6月26日
爽やか転校生
私が通う県立高校は、県内で上から三番目くらいの進学校だ。
県内の中学生のうち、私学に通うほど親にお金やこだわりがなく、まあまあ上の大学を目指したいが、あんまり厳しすぎるのも敬遠するような子供たちが集まる、緩い校風の学校だ。
校則も緩いし生徒の服装も緩い。けど、みんな地頭がいいから他校のヤンチャさんたちと比べてあんまり馬鹿なことはしない。生徒はみんな出身中学で上から二十番以内くらいの成績だった子たちがほとんどで、勉強には自信のある人たちばっかりなんだけど、ここではみんながそのレベルなので、勉強ができるなんていうのは個性にならない。
それでも受験戦争に向けて入学当初から予備校通いをする子だったり、青春を求めて部活に精を出す子だったり、バイトを始めて私生活を充実させる子だったり、まあ凡そこの三タイプに分かれる。
私はといえば、二つ目と三つ目の中間くらいだった。
「お゛はよ゛ーリコ」
そう言って、通学路を歩く私に声をかけてきたのは、がっつり二番目のタイプの友人だった。
「おはようミーコ。今日もゾンビみたいだね」
八島美衣子は、漫画研究部に所属する女の子で、私のクラスメイト。中学は別だけど、去年今年と同じクラスでつるんでいるうちに何となく親友っぽい雰囲気になった。
一年のうち300日くらいは目の下に隈を作り、呪いのように重たい黒髪を長く垂れ流して、踵を引きずるようにもたもたと歩いている。
「う゛う゛。なんで朝って毎日来るの?」
「ミーコを人間に戻すためだよ」
おおかた、昨日の深夜アニメをリアタイした後でネットの友達と盛り上がったのだろう。ひょっとしたらその後イラストサイトに乗っけるためのお絵描きに勤しんでいたのかもしれない。後でアカウントチェックしてやろう。
彼女の歩みに合わせているせいで次々と後方から同じ学校の生徒が私たちを追い抜いていくのを漫然と眺めながら、ミーコが呪詛のように呟き続ける昨晩の推しキャラの活躍を聞き流し、すっかり緑色の濃くなった街路樹の匂いを呼吸した。
季節は六月。風通しのいい通学路を、木陰から木陰へと辿りながら歩いていても、じわじわと首筋に汗が滲んでくる。
一時限目は古文。ありおりはべりいまそかり。
二時限目は数学。サインコサインタンジェント。
三時限目は体育。今日は暑いからサボり決定。
四時限目は……なんだっけ。
こんな風にのんべんだらりと登校していても、もう何回も繰り返した朝だ。このペースならHRにぎりぎり間に合うくらいの算段はついている。
あと数秒くらいで閉まりそうな校門を、全く歩調を早めることなく通過した私は、そういえば、ミーコに会ったら聞いておこうと思っていたことを思い出した。
「ねえ。漫研のさ。あの鬼畜メガネみたいな見た目の先輩いたじゃん」
「ああ、ユースケ先輩? うん。いるっちゃいるけど」
「昨日さ、バイト先に来たんだよね」
「え? リコのバイト先、M駅でしょ?」
「うん。私以外に使ってる人いたんだー、って思って」
「いや……どうだっけ。興味ないからあんま覚えてないけど……。ううん。確か逆方向だったと思うんだよなー。どうだっけ。興味ないからなー」
「え。どうしよう。なんか怖いんだけど。目つきがヤバかったもん。昨日も」
「あー。大丈夫でしょ。あの人、『肩車できなくなった女は初老だ』って言い張ってるから」
「別の意味で怖いわ」
思い返せば、この時、私は血生臭い泥の沼の中に、すでに足先を捕らわれていたのだ。
きっと、チャンスはあったのだろう。
そんなロリコン野郎のことなんて気にしないで、のんきに四時限目の科目がなんだったか思い出そうとしていればよかったのだろう。
そうだ。
そんな変態高校生なんて、私の人生には関係ない。
袖振り合うも他生の縁。つまり、今世の私には関係ないのだ。
そう。
たとえその先輩が、その日から昏睡状態になっていたのだとしても。
まあ、実のところその事実を私が知ったのは翌週になってのことであって、その日の私には、もっとのっぴきならない事件が待ち構えていたのだけど。
そのあとすぐのHRで、教壇に立って出欠を取る前の担任の教諭の横に、見たこともない男子生徒がいたのである。
いや、顔ちっさ。
足長っ。
体細っ。
髪サラッサラ。
「あー。今日からお前たちと一緒に勉強する、紫村昆だ。仲良くしてやってくれ。紫村、自己紹介」
「はい。みなさん、初めまして。
教室に、春の風が吹いた。
さ……。
爽やかイケメン転校生だーーーーーー!!!!
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