おくりもの/2月14日
2月14日の夜、煌びやかな高層ビルの前に恋人達が待ちあっている。思いあう二人が待ち、出会い、喜び合って身を寄せる姿が装飾の明かりに照らされている。
その姿は屋上にもあった。一組の恋人。だがそこには地上の様に他の人影は無い。煌びやかな光も無い。立ち入り禁止の屋上は寒い暗闇で、照らすものは赤灯だけだ。
「遅ーい。こんな所で待たせて遅刻までするの?」
私は恋人に不満を口にする。
そこには声以外にも音が響いていた。楽器の様に響く金属音。しかしそれは固くて冷たく、祈りと祝福を持つ音色ではない。
剣戟だ。
二人の恋人は身を寄せ合って思いを囁くのではなく、お互いの剣で相手の命を断つべく身を振るっていた。
「今日はずっと野暮用があってな。済まなかった」
彼の返事はいつも通り素っ気ない。でも行動で意思を示す彼の数少ない言葉には、最上の誠意が込められていることを知っている。謝罪そのものより他人が知らない彼の姿を自分だけが知っている優越感が少し気持ちよかった。
二人は普通の恋人同士の会話をしながら社交ダンスの様に、だが尋常ならざる速度で手足と刃を躍らせ剣の間合いだけ離れつつ、時に抱き合う様な近さで打撃も加えて攻撃を交し合う。
凍った様な屋上を刹那光る火花の連続と二人の戦闘音だけが色取っていた。
「くぅっ……!」
目玉の真横を
お互いに恋人の為にあつらえた洋服を着ているというのに。こんな場所でも彼の姿を見たときはもしかしたらと期待したのに。
「シッ——はっ!」
刃が裂いた隙間からはこの前の聖夜に自分が贈ったセーターが見えた。胸のどこかが切られてもいないのに痛み感じる。
剣戟は続く。
彼の剣は細身で長さは自分の物より短い。しかし長い手脚で加速する最短最速の刃は完璧に急所へと伸び、受ければ確実に死ぬ。対して自分の剣は太刀だ。長く分厚い刃は素早く振れないが置くだけで相手の剣を弾き、間合いにとらえれば一撃必殺とはならずとも大きく相手を切り裂く。
男と女が扱う得物としては普通は逆だろう。だがこの相反する形が自分たちの関係を象徴するようにも思えてどこか好ましく感じられていた。
だけど今は。
「……っ」
感傷に意識を掬われたか。一閃が回避かなわぬ位置まで迫って来た。下げ貫く剣閃が狙うのは胃下の奥、腹部大動脈だ。集中した視野で刃の先端がパーカーに食い込んでいくのを捉える。刹那、手が太刀を放した。得物の重量さえなければ単純な身体の素早さは体重が軽い女の自分の方に分がある。
「せあっ!」
回避と同時に彼の上体に潜って鳩尾に打撃を放つ。
「——ッ」
彼は余分な力を抜きあえて打撃を受けてその勢いを利用し後方に跳んだ。屋上の端まで飛んだ彼との間に今夜で最も長い距離が出来た。
「くっ……ふ……」
彼は僅かに息を吐いただけで苦痛を感じるような素振りも見せず構え直した。だが自分にはわかっている。
(やせ我慢。このかっこ付け!)
緩衝されたが確実に入った。もう近接での速突きは連打出来ない。だが不利になったのはこちらも同じだった。太刀を振り回していた細腕で渾身の打撃を打ったのだ。削られていた体力、負荷が蓄積した体に強い衝撃が加わってもはや長期戦は無理となった。拾い構える太刀が重い。
お互いに、心も体も知り尽くしている。技の冴えも肉体の限度も戦闘の志向性も。もちろん、お互いの知らない部分があることだって知っている。
だから、次の一撃が最後になることが分かっていた。それが互いに初めて目にする切り札であることも。
一瞬、見つめ会う。
そして互いに極限へ集中を高めていく。愛し合う仲でありながら殺し合うことになった経緯も、実際に斬り合った心と体の苦痛も意識の最奥へと沈んでいく。愛しい相手と過ごした日々も、受け取った感情も無くなっていく。もはや相手が誰であるかすら関心にならない。
ただ一撃に己の全てを凝結させる。
世界は刹那、静止し。
二人が動いた。
彼が一歩を踏み込んだ。そしてその一歩でこちらの眼前へと、まるで間の空間が無くなったかのように唐突に現れていた。
縮地。
遠間を一気に詰める特殊な歩法。初めて会った時、出来ない彼をばかにするように何度も見せびらかした技だ。彼は練習していたのだ。初めて会った時から恋人になってこんな風になるまでずっと。きっと今日だって。
影すら置き去りにするような速さで彼の剣閃が迫る。
それに対し自分は大上段からの一撃で迎え撃つ。しかし間に合わない。太刀で振る大上段よりも彼の縮地の突きが早い。
だが太刀は高速で走った。何故か。太刀の鍔上、刀身を握っていたのだ。振られる刃は短くなり瞬速の斬撃を可能とする。
白羽取りの応用から放たれる雲耀の一撃だ。
一瞬で互いの間合いが重なった。
先に相手の肉に届いたのはこちらの刃だ。しかしそれは、彼がこちらの斬撃に対して左の拳を伸ばしていたからだ。左腕を犠牲にして斬撃の速度を遅らせるつもりか。
(そんな事で雲耀の太刀が怯むか!)
太刀は一切減速せずに拳を割り下腕の中ほどまで切り裂く。だが彼はそこで更に手を捻った。尺骨と橈骨で挟み取ろうというのか。
無理だ。
強靭な筋肉と骨が絡んでもやはり太刀は止まらない。それでも彼は更に肘打ちを放って刃を迎え打つ。
速度は全く変わらず彼の左下腕が切断された。
そのまま走る太刀が頭蓋に触れる感触が刀身から伝わる。
瞬間、自分の首元に剣閃が刺さる冷たい感触が来た。
血が出る間も無く一気に気管を貫いて脊椎へ届かんとする。
彼の腕は太刀の速度に全く影響しなかった。だが切り裂かれている刹那の間に腕を動かし僅かに横へ斬線を逸らしたのだ。それによって太刀が通る距離は極小とはいえ長くなり、結果として頭蓋に届くまでの時間が遅れた。
そして、その時間を以って彼の突きが自分へ刺し込まれたのだ。このまま脊椎まで切断されれば斬撃は相手を断つ前に力を失う。更にまずいことに首に刺さった剣が
だがしかし
(たとえ腕の力だけでも!)
刀身を握る手に最大の力を籠める。刃が掌を裂いて血を吹かせた。
彼の刃先は頭蓋に太刀がめり込もうとも更に自分の奥へ突き込まれていく。
自分も彼もどれだけ血肉が削れようが剣を止める気は無い。
互いの全身全霊が真っ向からぶつかり合い、そして。
二人は、止まった。
こちらの太刀は頭蓋骨を裂いたがそれ以上は切れず、彼の刃は内筋までを裂いたが神経まで届かずに止まった。
二つの
このままであれば勝負の決着は付かずお互いに出血死するか。
あるいは、二人とも生き残っていたかもしれない。
だが勝負とは時の運。死神が自分に息を吹いた。背後から強風が走る。それは桜色のマフラーの端をちょうど彼の手元へと運んだ。
引っ張られれば、こちらの方から刃先にめり込む。
戦士としての本能が最後まで刃を振りぬこうとする中で、自分の意識は死を目前にしてゆったりとしながら高速で思いを巡らせた。
出会って、一緒に戦って、認め合って、喧嘩して、恋人になって。
愛し合って、殺しあって。
殺されて。
別れる。
(さいごに、なんて、いおうかな)
それを決める前に自分の命は消える。
だが。
太刀が、彼を斬り絶った。
あり得ない事象に呆然とする間に、彼が目の前に崩れて、首元に刺さっていた剣が抜けて地面に落ちる音で気が戻った。倒れながら彼に這いよって顔を見る。
(なんで……?)
声は出ない。彼は仰向けになって夜を見つめている。
(なんで!?)
口の動きも見えなくたって彼には意思が伝わった。
「分からない」
空気が抜ける出だけになった肺の動きに乗る、かすかな返事。
「それ、似合ってる、やっぱり」
最後の言葉。
「かわいい、よ」
そうして。
彼は死んだ。
その表情にしずくが零れ落ちる。自分の目からあふれた感情が彼の顔に何個も何個も降りおちて、やまない。
そうして涙で彼の顔の血を洗い流しているうちに気は遠くなり、意識が途絶えた。
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