2 entrance

強い風だ。ちょっと古めな我が家の窓がガタガタとうるさい。

今日は大晦日。冷水をかけられ、号泣したあの日から大体一週間が経った。あの日から僕はもう。何というか。うん。諦めた。なにをやっても痛い目に遭うなら、もう殴られないことだけ考えて生きていこう。それで18になったら速攻で家を出てしまえばいい。あと8年。そう。あと8年。問題は…耐えられるかだ。


もう既に体がかなりおかしい。息が浅い。深く吸っているつもりが、全く空気がはいってきている実感がない。そして心臓。ちょっとのことですぐ根を上げるようになった。10メートル走ってすでに物理的に胸が痛い。


もともと体力はない方だ。でも長距離走の授業では最下位を回避できていた。でも。

ここのところは最下位を連発。どうしちゃったんだろ。だなんて考えている僕は、現在も横たわっている。どうも、ダメだ。フラフラして座ってるのも辛い。なによりほんとに心肺が弱っている気がする。


「っ…」


突然の凄まじい吐き気。急いでトイレに向かい、中身をぶちまける。しかし…


「噓でしょ…」


初めて見る。でもわかる。間違いない。血痰だ。しかもかなりの量だ。これは…ひょっとして相当まずいんじゃあない?でもね…隠さないと。もっと痛い目に遭う。それだけは嫌だ。なんでだろうね。こんなに体調が悪いのに僕は何も伝えられない。伝えることすら許されない。こういうのを理不尽っていうのかな。良く分かんないや。まだ仮にも十歳なのに。どうして…どうして…ねえ僕はn


左半身に鈍い衝撃が走った。同時に視界が大きく揺れたような気がした。おかしいな。ここはどこだろう。やけに茶色い世界だ。なんなんだ一体。


「修ちゃん⁉」


こっちに向かって走ってくる足が見える。顔は見えないけど、声からして多分ママだろう。………顔が…見えない…?それでもってこの茶色い世界?そういうことか。僕は倒れたんだ。トイレから帰る途中の廊下の床材。確かこんな色をしていた。きっと僕が見ているのはそれなんだ。


「修ちゃん⁉大丈夫⁉ちょっと!どうしたの?ねえ⁉」


正直あんま力は残ってないけど、身を起こす。この人はいつもそうだ。僕が冷水をかけられたあの日、僕よりも泣いていた。自分の旦那を止められない自分を呪っていることも僕は知ってる。この人には心配かけたくない。だからちゃんと言わないと。


「ちょっと…無理かな。やばいかも…」


口から出たのは言わなきゃと思ってたことと真逆の言葉。また心配かけちゃう。馬鹿か。僕は。ほんとにしょうもない。こんな子でごめんね。ママ。


「修ちゃん?修ちゃん⁉いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


ごめん。ごめん…ほんとにごめん。心配かけてばっかで。


急激な浮遊感が僕を襲う。僕を抱き上げているのはママだ。もう小4、もうすぐ小5だよ。重いだろうに…抱き上げてどうするってのさ。だめだ。考えんのも辛い。死んじゃうのかな…


「すぐに病院に連れてってあげるからね?」


大晦日に診てくれるところなんてあるのかな。朦朧としてく意識の中、揺れる軽自動車の中、漠然と僕は考えていた。


       ◇                  ◇


ここは…えっと…知らないな。それにすごくゴム臭い気がする。あと口がやたらと動かしにくい。…酸素マスクか。そっか。ママが病院に運んでくれたんだ。いくらか楽になったような気もする。そういえばママはどこにいるんだろう。


「修斗くーん?起きたー?」


「え、あっ。はい。おはよう…ございます…?」


突然声をかけられたことにびっくりしてコミュ障っぽくなってしまった。何がおはようございます、だ。全然早くないじゃないか。僕が倒れた時点でもう三時だったはずだ。


「修斗くん何言ってんの~早くないよ~」


ほら突っ込まれた。にしてもこの看護師さんテンションが高い。結構苦手なキャラなんだけど。…それどころじゃない。聞きたいことが山ほどあるんだ。


「あっ修斗くん、お母さんは今先生とお話してるからね。修斗くん重度の肺炎になってたんだよ。苦しかったでしょ~」


でしょ~じゃないんすよ。死にそうでしたよ。というかこの看護師さん僕が聞きたいこと全部言ってくれたな。そっか。肺炎だったんだ。そりゃ血痰も出るよ。

ちょっと待った。一つ肝心なことを聞けてない。


「あの、ここは何て言う病院なんですか。」


「ん?あ、そっか。ここは堀総だよ。」


堀谷富田総合病院。通称堀総。僕が住んでる地域では有名な総合病院だ。そっか。堀総に運ばれたんだな。


その後お医者さんとの話が終わったママから短くて三日、長くて一週間の入院になることを聞かされた。まあ、そんなにショックは受けなかった。なっちゃったもんは仕方ない。しっかり治すとしよう。入院になると知った父が服などを持ってやってきた。すごく機嫌が悪いかもしれないとビクビクしてたけど、案外そうでもなかった。

良かった。これなら父の顔色を気にすることなく養生に専念できそうだ。





三日、一週間どころじゃない僕の入院生活は、ここから始まったんだ。

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