1 cold water incident

 やけに風が強い。そりゃそうか。12月だもんな。しかも夕方になろうとしているしな。

 重くて軽いようなランドセルを背負って駄弁りながら進む帰り道。結構好きだな。うん。


「やっぱ晃輝Kのこと好きだって‪w」

「Kって誰だよ」


 しょうもない恋バナを振ってきた友達、音禰を軽くあしらう。


「え〜。わかんないの?心美じゃん‪w」


 いや、イニシャルそのまんまかよ。なんて思うが、いちいちツッコむのもめんどくさい。


「なるほどぉ。初耳だは。」


 またも適当にあしらう。


「お前そんなことも知らんの?無いわ‪w」

 ややキツめなレスを返してくるのは勇樹。

「はいはい。悪かったねー」


 いちいち煽りに反応しても仕方がない。ここで棒読みスルーをしたのは我ながら上策だと思った。


「そんでね〜あっ、」

 再び口を開いたのは音禰。やはりこのユルい口調とちっちゃい背丈は可愛いと思ってしまう。うーん。


「立ったままは疲れるしさ、1回帰って公園集合しない?」

「あー。いいね。いくはー。蒼は?」


 勇樹が謎に沈黙を貫いていた蒼に確認。やけに今日は静かだねぇ。蒼よ。


「しょうがないから行ってやろう。」


 いや、お前何様だよ。とツッコミたい 気持ちを最大限に抑え、僕も返事をする。言いたくない。それが本心。


「ごめん。今日KUNONだから無理。また暇な時行くよ。」

「そっかぁ。わかった。じゃあ帰ろっか。また公園でね。」


 音禰は何時でも楽しそうだな…


「うす。」


 気の抜けた返事をする勇樹と蒼に続いて僕も何か言わねば。

「まあ、僕の分まで楽しくやれよ。」


 ちょっと嫌味っぽかったかな。


「うん。じゃあね!修斗!」

「おう。」


 3人と別れ、1人家へ歩き出す。この時間が本当に苦痛だ。いっつもそうだ。僕ばっかり話に追いつけない。恋バナも。ゲームの話も。何もかも。


 皆本当は僕のことどう思ってんのかな。話に着いてこれない邪魔なやつとか思ってんのかな。じゃあなんで僕と仲良くしてくれてんのかな。居ない方が楽しいんじゃないかな、僕なんて。


 何がまた暇な時に行く、だ。その「また」なんて来ないくせに。

 本当は僕だって行きたい。皆と遊びたい。


 でも。でも…ああ、まただ。呼吸が荒い。走ってもないのに…最近多いな…過呼吸って言うんだっけ。どうでもいいけど。


 呼吸を冷ましながら歩く。嫌だ。家に着きたくない。でも帰らないと帰らないでそれは怖い。


 目の前に現れてしまった家の扉で小さく祈る。でも残酷だ。鍵は開いていた。やだな…


「ただいま。」


 何事もなかったかのように言う。目の前の人物はさっきまで僕が過呼吸になってたなんて知らないんだろう。でもその方がいい。


「ああ。」


 いつもの5倍増しの不機嫌で返してきたのは父親だ。ついでに僕の小学校のPTA会長でもある。


「何時から行く?」

「へ?」

「へじゃねえんだよ。KUNONだ。」

「ご、5分後に行きます…」

「ああ。支度しろ。」


「行ってきます…」

 今日やる分のKUNONは簡単であって欲しい。そんなことを願う。でも多分そんなことは無い。KUNON。自学自習をモットーに進める塾だ。それぞれの能力に合わせたプリントが出される。だから学年より上の教材をやることも可能な訳で。


 …因みに僕は小4だが中2の教材を解いている。小4が中2の問題を解く。そりゃあ難しい。でも4学年先なんて学習しているなんて我ながら自分は有能だとちょっと自信を持っている。


 なんて考えているうちに着いたKUNONの机で絶望。こりゃあムズい。現在4時。7時には帰りたい…

      ◇     ◇       


 終わった…ようやく終わった…なんとか7時に終えることができた。夕食も食べ終わり、ここからは自由時間…とはいかないらしい。


「おい。随分とおそかったじゃねえか。」

「ごめんなさい…」

「ごめんなさいだと?なめてんのかお前。KUNONの鞄ン中見せろ」


 まずい。今日のはかなりミスが多い。挙句時間も掛かっている。難しかった。僕からすればただそれだけだけどそうはいかないのが僕の父親だ。鞄を渡す。中を見られる。


「なんだおめぇ。なんだよ。なんでこんな間違えてんの?」


 無理だ。答えられない。恐怖が思考を支配している。無理だ。


「何黙ってんだよゴルァァァァ!」


 顔の左半分に猛烈な痛みが走る。一発、全力で殴られた。そんなことはもういいんだ。慣れた。問題はどれだけこれを喰らうかだ。


「しかも何?1時間もかかってんの?たかが5枚で?あんまふざけたことしてんじゃねえぞ。ええ?」


 ガンッ!!


 胸ぐらを掴まれ、床に荒く倒される。そして右頬に一撃。


「なんだよ。文句でもあんのかよ。というかさっさと立てよ。」


 …痛い。ただもう全身が痛い。苦しい。立てる余裕なんてない。

 でも立たなかったらもっと痛い目にあう…!


「おい。表出ろ。やる気のねえ物見せた罰は受けてもらう。」


 外に出た。流石は12月。とんでもない寒さだ。


「おい。クソガキ。」


 髪の毛を引っ張られ、引きずられる。引きずられた先は_蛇口だった。蛇口の下に頭を投げ入れられ、頭に水をかけられる。


「何とか言ってみろよこの糞坊主!」


 酷い。今日はいつもの比じゃない。怖い。怖いよ。ねえ怖い。誰か助けてよ。ねえ。


「この出来損ないが。飯だけはバクバク食いやがって!」


 バシャッ


 たまたまバケツに溜まっていた水を、今度は全身にかけられる。そして右頬を一発、殴られる。


「クソが。しばらく反省してろ。俺だって殴りたくなんかねえんだよ。」


 それだけ言うと、父は一人家の中へ入って行った。


 寒空の下、殺していた心が、生き返る。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 なんで、なんでさ?なんで僕ばっかりこんなにつらい目に合わなきゃいけないのさ。

 ねえ。なんでさ?なんでまだ10歳の子供の身体がこんなに痛みを知ってんのさ?僕まだ10歳だよ。なのに…ねえどうしてだよ。どうしてだよ。どうしてだよ!毎日毎日殴られて。蹴られて。それでもずっといい子でいようとして…友達とも遊べず勉強に縛られて…


 水をかけられた服が凍り始めた。体が震え始める。それが寒さによるものなのか、悔しさと恐怖によるものなのかはもう自分でも分からない。


 胃の中の物を全てぶちまけた。酷く血の味がした。でもそんなのを気にかける余裕もない。ただ、ただ辛くて。自分が本当に惨めで。


 ねえ、どうして、どうして、どうして…

 もういやだよ。助けてよ。ねえ。誰か。ねえ。


 自分でも分からないほど、気絶するまで、泣き続けた。いつも大好きな夜の風が、矢のような気がした。









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