第90話 同じ『人間』

 向かってきた「水の竜」へ、アルガンは炎の力を込めた両腕を振るう。鼓膜を突き破るかのような音を立てて、水がに変わり消えていく。白い煙が散らされた後には、先ほどと何ら変わりのない巨大な水球が浮かんでいた。揺らめく水や周囲にうごめく水の竜に阻まれ、女王蜂を守る壁には届かなかったようである。


 ムルが苦戦するわけだと、アルガンはどこか納得しつつ息を吐く。女王蜂の操る水が多すぎるのだ。

 再び水が集まり、槍のように尖ってアルガンの下へ降り注ぐ。炎の壁で即座にそれを消し去るも、アルガンはこちらの力がごっそりと削り取られていくような感覚を味わっていた。


「量が違うだけで、こうも力関係が逆転するなんてな」

 アルガンは悪寒の走った背筋を誤魔化すように、口元に薄っすらと笑みを浮かべた。

「アルガン!」

 チャッタの声が聞こえて、振り返る。深い翡翠色の瞳が、気づかわしげにアルガンを見つめていた。

「大丈夫なのかい? ここに来るまでに君も随分と消耗して」

「ああ、もう! うるさいな」

 突き放すように言うと、チャッタは驚いたように目を丸くした。なんとなく愉快な気持ちになって、アルガンは歯を見せて笑う。

「俺は、最強で最高の使だ。安心して任せとけ」

「アルガン……⁉」

 息を呑んだチャッタは、すぐにとても嬉しそうに微笑んだ。隣にいたムルもこちらを向いて、一つ大きく頷く。

 ちゃんと伝わっただろうか。二人のおかげで、自分はこんなに変わることができたのだと。


 アルガンは二人と距離を取りながら、再び巨大な水球へと向き直る。周囲の露払いも危険だ。水と火がぶつかり合うことで、幾度も爆発が起きている。広い空間だが、チャッタやムルに被害が及んでもいけない。

 彼女の周りの壁を消し去って、ムルを女王蜂の下へ行かせられればいいだけだ。

「だったら、できるだけ他の攻撃は無視して、とにかくあれを壊す!」


 両手を天に向かって突き出し、炎の道を作る。また水で消されない内にと、素早く跳躍してそこへ飛び乗った。まとわりついてくる水の攻撃を消しながら、頂上まで駆け上がる。そして、足場を蹴って水球目がけ飛び降りた。

 すかさず、上空のアルガンへ向けて、凝縮された水の帯が一直線に向かってくる。鋭く空気を裂く音がその切れ味を物語っていた。


「っ、させるかっ⁉」

 全身に炎をまとわせ、腕を顔の前で交差して防御態勢を取る。何かが焼けるような音と共に、水がアルガンの手前でに還っていく。水の勢いが強く、一瞬でも気を抜けばすぐに全身をズタズタに切り裂かれそうだ。

 左胸にある疑似魔術器官へ意識を集中させ、熱を作り続けろ燃やし続けろと指令を送り続ける。


 不意に、水の帯が途切れて視界が開けた。目の前に、真っ赤な炎に包まれた自分の姿が少し歪んで映っている。透明な水球の下へたどり着いだのだ。

 アルガンは右拳を振りかぶり、そこへ力を集約させる。

「壊させてもらうからなっ!」

 思い切り、女王蜂を囲む水球へ拳を振り下ろした。


 硬い岩を殴ったような感触が拳に伝わる。手ごたえはあった、このまま力を込めていけば破れる。

 そう考えていたアルガンは、異変を感じて目を見開く。拳から伝わってくる感触が変わったのだ。

 岩のように固かった水が、たおやかな薄布ヴェールのように柔らかくなる。まるで彼の力を受け流すような。

 違和感を感じた時には、アルガンは水球から勢い良く弾き飛ばされていた。


「アルガン、後ろ⁉」

 チャッタの声に、宙で首を捻って背後を見る。追撃とばかり、巨大な水の竜が迫っていた。大口を開けてそのままアルガンの体を飲み込もうとしている。

 慌てて片方の腕をふり回して体の向きを変え、水の竜に向けて炎を放つ。高温の炎と低温の水がぶつかり合い、再び大きな爆発が起こった。

 その爆風に吹き飛ばされ、アルガンの体は落下し、床へと叩きつけられてしまう。


「痛ってぇ……」

 片腕で体を支え身を起こす。骨が軋んだ音を立てた。落下地点である床はひび割れ、大きな穴が空いている。

 思ったよりも怪我が酷くないのは、ムルが咄嗟に魔術で守ってくれたからのようだ。床とアルガンの体の間にひんやりとした冷たい感触がある。そうでなければ、全身の骨が折れていたかもしれない。アルガンは悔しさで歯を食いしばる。

 失念していた。女王蜂が操っているのはあくまでなのだ。硝子か何かのように、衝撃を加えれば割れると思ったことが間違いだったのである。


「アルガン、大丈夫⁉」

 チャッタが血相を変えて駆け寄ってくる。その背後にはムルの姿も見えた。

「ムルのおかげで大した怪我はない、大丈夫だ」

 二人を安心させるために微笑みながらも、アルガンは内心焦っていた。俺が壁を破ると大口を叩いたものの、これでは悪戯に力を消耗していくだけである。

「水だからか、あの水球の表面は自由自在に変化するんだ。戦い方を変えないと……!」


「――何か、有効になりそうな攻撃手段はあるかな。元々が水なのだから、強い火力を持った炎は効くだろう? だったら拳が当たった時点で効果があるはず……ああ、そうか。衝撃を吸収されてしまって、アルガンの炎が全体へ行き渡る前に、はじき返されてしまうのか。それと、その前段階、他の攻撃への対処方法も考えないと」

「お、おいチャッタ?」


 何やら呟き始めたチャッタに、思わずアルガンは声をかける。

「僕の戦い方はこれなんだから。任せておいてよ」

 チャッタは柔らかく微笑むと、すぐに表情を引き締め唇に指を当てる。彼を守るために、ムルが頭上に障壁を張っていた。

 そんな彼らを頼もしく思いながら、アルガンは女王蜂を守る水球を見上げる。


「とにかく最小限の力で一点突破、か」

 他の攻撃への対処は素早く、最小限に。そして気泡を割るように、水球への攻撃は面ではなく点で突くように。そうすれば、水の壁を破れるかもしれない。

 アルガンが呟いた瞬間、チャッタが顔を上げて小さく叫んだ。

「そうだ。アルガン、これ……!」


 すかさず、ムルが背後から何か細長い物を持って駆け寄ってくる。細身の両刃の剣。既視感のある形状に、アルガンは目を見開く。

 何故、これがここに。

「その、アブルアズの部下が使っていたものなんだ。女王蜂の凶刃に倒れた彼らを、ムルが介抱してたみたいなんだけど」

 その時に、拾って回収してくれていたのか。

 兄弟、つまり炎の魔術使いが使っていた剣だ。アルガンは恐る恐る手を差し出して、ムルからそれを受け取る。


 握ると僅かに、自分と同種の力を感じた。これはもしかして、リムガイが使っていたのと同じ、疑似魔術器官が埋め込まれた剣なのではないだろうか。熱に強く炎の魔術と馴染む特別な剣だ。


 ハッと息を呑んで、アルガンは握った剣を見つめる。使ったことはないけれど、何度も彼らの戦い方を見てきた。

 これがあれば、もう一歩先へ自分の力を届かせることができるかもしれない。

「使わせてもらおう。それとムル。頼みたいことがあるんだ」

 アルガンの言葉に、ムルがすかさず首肯した。



 ムルが再び宙を舞う。足場を使って宙に留まり続けながら、敵の攻撃を引き付けてもらっているのだ。

 アルガンは、ムルと女王蜂との間の辺りに剣を持って立っている。同じ性質を持つものだからか、その剣はまるで自分のためにあったかのように手に馴染んだ。そう、であったはずなのに。

 余計な雑念を振り払うため、彼は激しく頭を振ってムルの動きへ集中する。


 ムルは上手い具合に、女王蜂の攻撃を引き付けてくれているようだ。水の竜の体躯が絡まり、一ヶ所に集中していく。ここだ。

「ムル!」

 アルガンは大きく跳躍し、彼の名を呼んだ。その瞬間、ムルは力を抜いてわざと落下していく。アルガンは、自分の体躯と同じくらいの巨大な火球を生み出した。

 少々過激なやり方だが、これで女王蜂の下へ行く。


「行けぇぇぇぇっ!!」

 アルガンは火球を水竜へと放り投げた。攻撃が当たったかどうかを確認するより前に、剣を構えて女王蜂の方へと向き直る。

 轟いた破裂音と共に起こった爆風を追い風に、アルガンは飛んだ。

 防御しているとは言え、熱気を孕んだ風に肌が焼かれ痛みを覚える。しかし、爆風に乗った体は女王蜂の攻撃を振り切り、一気に水球との距離を縮めていた。


 しかし、水球から放たれた帯は、再び彼に襲いかかってくる。冷静に。風を切りながら息を吸い、アルガンはと同じように剣を構え、前方へ向けて振り抜いた。剣に宿った力がアルガンの火力を増幅させ、目の前の水を消し去り道を切り開く。


 分かり合えなかった自分と彼ら。でも、ムルと女王蜂は違う。絶対に、分かり合える。信じて、ただ真っ直ぐに女王蜂へと向かう。

「俺だって、アンタに言いたいことがあるんだ!!」

 彼はこの場にいる中でただ一人、女王蜂に強い怒りを覚えていた。

 アルガンは眉を吊り上げて、大声で吼える。


「人間に裏切られたんだろ!? 今まで頑張ってきたことを全部台無しにされて、もう何もかもどうでも良いって、絶望しちゃう気持ちも分かるよ!」

 剣の柄を両手で握り、水球に向かって思い切り突き出した。水が刃に触れ、幾筋にも分かれて後方へ流れていく。

「でもさ、俺はずっと聞いてたよ『水の蜂』が優しいってこと! どれだけ綺麗な種族かってこと!」


 覚えている。憧れなんだと翡翠色の瞳を更に輝かせ、幸せそうに語っていた彼のこと。数百年前に滅びたとされていた彼女たちの生存を信じて、ずっとその痕跡を追いかけてきたその想いを。

 彼だけじゃない。彼の師匠も、その前にいた誰かも、学者と名の付く人でなくたって。ずっとそうやって水の蜂の記憶を、彼女たちの優しさを繋いできたのだ。

 そして、その優しさと強さは、ちゃんとムルに引き継がれている。

 泣いているかのように、アルガンの声は震えていた。


「アンタたちのことを信じ続けて語り継いできたのも、同じ『人間』だろうがっ⁉」

 剣先が水球に到達する。水の壁の水圧に、刀身が、柄を握る両手が押されて震える。今にも、後方へ弾き飛ばされてしまいそうだ。

 それでも全体重と全部の力を、壁を破るための力に変えていく。水圧が強くなる。あと少しが、押し切れない。

 掠れて裏返って、みっともないほど震えた声で、彼は伝われと絶叫した。


「頼むから目を開けろ、耳を塞ぐな! ちゃんと、向き合ってやれよ! 全部駄目だって諦めずに、目の前にいるコイツらのことだけでも信じてやってくれよ!!」

 気のせいだろうか。

 一瞬だけ、水から伝わる力が消えた気がした。


「――っ」

 食いしばった歯の隙間から、苦し気な息が零れる。強い水圧に押されて、アルガンの体が吹き飛んだ。

「アルガン⁉」

 咄嗟に駆け寄ってくるチャッタを、アルガンは手で制す。落下していく彼の口の端は、得意げに吊り上がっていた。

 女王蜂を囲った水球には、紅い剣が楔のように打ち込まれていたのである。


 瞬く間に剣が炎に包まれて、打ち込まれた刀身から淡く紅い薄布ヴェールが放たれ、水球を覆いつくす。顔を持ち上げ、アルガンが指を打ち鳴らした。剣が振動し、水球全体を揺らがせる。巨大な水球が、音を立てて弾けた。


 中にいた女王蜂は、崩れ行く水球に驚き、天井を見上げて息を呑む。

 しかし、すぐに彼女は細い剣を宙に掲げ、もう一度自身を守る「壁」を作ろうと力を使った。アルガンが壊した穴が、あっという間に塞がっていく。

 後もう少しで再び水球が完成してしまう、そんな時、の手から一本の矢が放たれた。


 女王蜂の体を掠めることもなく、矢は彼女から少し離れた場所へと突き刺さる。

「ありがとう。アルガン」

 すかさず、弓を構えたムルが玉座の傍に降り立つ。


 チャッタに支えられながら立ち上がったアルガンは、頼もしい背中を見て満足げな笑みを浮かべる。

 後は、ムルの役目だ。

「これなら、きっとあなたにも届く」

 弓を元の水へと戻し、ムルははっきりとした声色で告げた。

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