第84話 きっと、あそこに

 夜空に浮かぶ楕円の月が、自分の影を長く伸ばしていく。チャッタはぎょっと目を剥くと、慌てて柱の影の中に体を滑り込ませた。

 渡り廊下を辿っていった先には、鉄製の門が一つ。その両隣に佇む見張りに、気づかれてしまっただろうか。チャッタの懸念とは裏腹に、突然見張りたちは前のめりに倒れ伏した。


「上手くやったな」

 シルハの呟きに首肯すると、チャッタは彼の後に続いて素早く廊下を駆け抜けた。

 扉の前では、ムルが倒れた見張りの体を見下ろしている。こういった不意打ちは、彼の得意とするところだ。


「この二人、どうする?」

「倒れたままでは目立つ。どこか、適当な部屋の中にでも放り込んでおこう」

 シルハとムルはそれぞれ見張りの体を担ぐと、少しずつ慎重に鉄の扉を開いた。赤い明かりが隙間から漏れ出て、廊下に帯状の線を引いていく。


 天井から釣られた照明には、深夜にも関わらず無数の蝋燭の明かりが灯されていた。壁や廊下がうっすらと紅色に染まり、夕暮れ時にも似た雰囲気を醸し出している。しかし、進むにつれて深まる静寂は、空間の冷たさを助長していくようだった。


「ここからが、いわゆる内朝ないちょうなんですね」

「ああ。俺もここに入るのは初めてだ。陛下の私的な空間とは言え、いや、だからか。なんとも豪華なものだな」

 シルハがぐるりと視線を巡らせ、呆れたような声をもらす。


 天井に施された意匠も柱に描かれた紋章も、王宮の外観そのままに豪華だった。一つ一つは美しいのだが、黄金に藍色、緋色に翡翠色と、様々な色が視界を埋めつくし、動植物や幾何学柄の紋様が、目をちらつかせる。

 こんなにも自分の威光を誇示したいのだろうか、そんなことを思ってしまい、チャッタから苦笑が漏れる。


 シルハが近くにあった焦茶色の扉をそっと開いて、慎重に部屋の中を見回す。そして、そこへ気を失った見張りを押し込んだ。調度品などが置かれただけの空き部屋だったようである。

 扉を閉め、困ったような表情でシルハは眉を潜めた。


「さて、内朝部にはたどり着けたわけだが、この後はどうやって女王蜂を探す? 何度も言ったが、ここから先は俺にとっても未知の場所だ。探り探り進むことになるが、宛はあるのか?」

「そうですね……ムル、何か感じるところはある?」

 試しに尋ねてみたものの、ムルは無言で首を横に振っただけだった。

 手がかりはなしか。チャッタは唇に指を当てて押し黙り、シルハは眉間の皺を更に深くした。


「誰かを隠していても、気づかれない秘密の場所か……」

「秘めた場所と言えば、真っ先に思いつくのは後宮ハレムだが、まさか、そんな場所にいるわけでもあるまい? 確かめようにも、男子禁制である後宮への潜入は不可能――いや、そうでもない、のか?」

 シルハの視線が自分に向いていることに気づき、チャッタは乾いた笑い声を上げる。


 確かに後宮は秘められた場所だが、人の口に戸は立てられない。滅びた種族の女王がそんな場所にいれば、どこかで話が漏れているはず。

 水の蜂の遺跡に隠し扉があったように、真に秘められた隠し部屋にいるか、あるいは。


「まだ、目覚めていないのかもしれないね」

「目覚める?」

 怪訝そうに片眉を上げたシルハに、チャッタは首を横に振る。申し訳ないが説明している時間はないのだ。


「えっと、そもそも女王蜂様は誰かに囚われて王宮にいるのか、まだ誰にも見つかっていないのかすら分かりません。それを探るためにも、情報を集める必要はあると思います」

 シルハは無言で頷くと、廊下の先へ視線を送る。

「情報か……まさか、誰かに直接聞くわけにはいかないだろうな。だとすると、何かを知っていそうな人物の自室、アブルアズの執務室や寝室を探るのが一番か」


 チャッタはシルハの言葉に同意し、彼と同じ方向へ視線を送る。

 釣られている照明のおかげで、廊下の端の方までよく見えた。小隊が行進できそうなほど広い廊下に、扉がいくつも並んでいるのが見える。今のところ警備の兵士がやってくる様子はないが、アルガンたちは上手くやっているだろうか。


「大司祭の部屋を探すのか?」

「手がかりが何もないからね。あたりをつけるとしたらそこくらいじゃないかな」

 合わせて隠し部屋の存在も探る。ムルは遺跡の隠し扉を何度か見つけているし、彼なら何か見つけられるかもしれない。

 チャッタがそう言うと、ムルは王宮の壁に手を当てて頷いた。


「確かオアシスを臨む場所に、大司祭や陛下の自室があると聞いたことがある。西側、内朝の最奥だ。見つかれば問答無用で死罪だからな、十分注意して行くぞ」

 恐ろしい一言を吐きながらも、シルハは先立って歩き出す。未知の場所だと言いつつ、とことん付き合ってくれるつもりのようである。

 チャッタはムルと顔を見合わせ、ふっと柔らかく微笑んだ。




 ここにも何もないか。チャッタは空の寝台と箪笥が置かれた部屋を眺め、深くため息を吐く。

 内朝は王の私的空間とのことだったが、異常に部屋数が多い。何代か前の王は子どもや使用人の数が多く、また別の王は収集家で各地の調度品を集めて回ったりしていた為、その分部屋も増えていったようである。

 中にはチャッタの興味をそそる物もあったのだが、じっくり眺めている場合ではない。きっちりと施錠されている部屋もあり、思うように調べられないこともあった。


「巡回だ。そのまま部屋の中でやり過ごせ」 

 扉の外からシルハの声が聞こえ、チャッタは寝台の下に潜り込んで息を潜める。

 やがて足音が遠ざかっていったのを確認し、彼は重い体を動かし部屋を出た。続く緊張感で疲労が溜まっているようである。向かいの部屋から出てきたムルが、チャッタを見るなり首を横に振った。


「こちらも手がかりはなしだ」

「そうか。残念だけど、別の場所を探そう」

 廊下で見張りをしていたシルハの元へ、二人は駆け寄った。

「しかし、かなり奥まで潜入できたはずだ。そろそろ目的の部屋が見つかっても良い頃なのだが」

 シルハが先の様子を探るため、角から顔だけを覗かせる。


 突然、下から突き上げるような揺れが三人を襲った。生き物の鼓動を間近で感じたような揺れは、牢にいた時と同じである。

 しかし今度は一度では収まらない。数回、体の内側から大きく揺さぶられ、チャッタはたたらを踏んで壁に片手をついた。


「そこに、誰かいるのか!?」

「――しまった!?」

 鋭い声に振り替えると、武装した兵士たちがこちらへ視線を送っていた。シルハたちと同じ格好だが、施された意匠が豪華で地位が高いことが伺える。


「貴様ら、我が部隊の者ではないな!? 一体」

 素早く動いたムルが、兵士たちを針で沈めた。しかし、兵が上げた大声は、別の見張りを呼んでしまったようである。慌ただしい足音が三人の元へ近づいてくる。


「数が多そうだな」

「二人とも先に行ってくれ。すぐに合流する」

 ムルが針を構えながら短く告げる。迷っている暇はない。チャッタは一瞬言葉を詰まらせながら、力強く頷いた。


「わ、分かった。ムルも気をつけて」

「のんびりしていると、敵が増える! 行くぞ!」

 にわかに騒がしくなった廊下を、チャッタはシルハの後に続いて駆け出した。




 肩で息をしながら、周囲を見回す。いつの間にか照明の数は減っており、手のひらほどの赤橙色の灯りがぼんやりと廊下を照らしていた。薄暗いが、壁や廊下の装飾は相変わらず華美である。


 あれだけ怒号が飛び交っていたはずなのに、嘘のように静かだ。誰もいない。

 チャッタはどうやら、敵に追われる内にシルハとはぐれてしまったようだ。

 早く二人と合流しなければ。長く息を吐き、チャッタは顔を上げる。


「あ……」

 背後から聞こえた足音に、肩が大きく跳ねた。

 後ろから誰か来る。前に進むか、右手の角を曲がるか、選択肢は二つ。

 相手の足の速さが分からない。背を向けて逃げるよりも、どこかへ身を隠した方が安全かもしれない。

 そう考えて、咄嗟に右手の廊下へ飛び込んだが、それは間違いだった。


「うそ、だろう」

 飛び込んだ先は、扉も何もない行き止まりだった。焦っている間にも、足音は確実に近づいてくる。

 ここで元の場所へ出ていけば、確実に見つかってしまう。やむを得ずチャッタは壁に背を預けて座り込み、影の中へ身を隠す。

 ここは奥まっていて暗いため、こちらを見られなければやり過ごせるかもしれない。いや、その僅かな可能性に賭けるしかない。


 夜空にも似た紺色のマントを、身に固く巻きつける。フードを深く被り、必死で息を殺した。

 心臓の音が、周囲にも聞こえているのではないか。そう錯覚してしまうほど、鼓動は激しく鳴っていた。


「あそこだ……きっと、そうなのだ。あそこに、きっと……」

 バタバタと落ち着きのない音と荒い息遣いに、チャッタは違和感を覚えた。

 やってくるのは、兵士ではないのだろうか。足音にも息遣いにも余裕がない。まるで、あちらの方が誰かに追われているようである。


「きっと、あそこに行けば……きっと」

 うわ言のように『あそこ』という言葉を繰り返しながら、誰かが近づいてくる。一際音が大きくなったかと思うと、再び遠ざかっていく。

 助かった。チャッタが安堵の息を漏らしかけたその時、聞こえてきた言葉に大きく目を剥いた。


「きっと、あそこに行けば、女王蜂が、水を生み出してくれるはずだ……!」

 女王蜂、だって。

 チャッタは咄嗟に口元を押さえ、声が漏れないようにキツく押さえた。足音を殺して、そっと通りすぎていった人物の姿を垣間見る。


 後ろから見える相手の走り方は、酷くぎこちなく不格好だ。やはり兵士ではない。

 丈の長い衣服がひるがえり、また柔らかく相手の足にまとわりついていく。

 ジャラジャラと聞こえてくる音は、相手の身につけた装飾品だろうか。指先で赤色の石が輝き、相手が腕を動かす度に丸く金色をした何かが揺れる。手に何か握りしめているようだ。


「まさか……」

 豪華な装飾品を身につけることができる人物と言えば。

 いや、そんなはずはない。いくら王宮の中とは言え、こんな時間に一人で出歩いていい人物ではないのだ。

 浮かんだ考えを否定するように、チャッタは首を横に振る。


 しかし、彼が誰であろうと女王蜂のことを知っているのは確かだ。ムルやシルハを待っている間に見失ってしまうかもしれない。

 チャッタは一瞬躊躇った後、相手の後を追って駆け出した。

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