第83話 見届けるよ

「魔術を使えない、それが何だ?」

 静かに告げたアブルアズは、冷えた眼差しでアルガンを見下ろした。

「私は何も、この手で振るう『力』が欲しかったわけではない。私が魔術器官を宿したのは、私の理想とする国の実現にが必要だったからだ。私自身が戦う必要などない。いつの時代も上に立つものは前線には出ないものだからな」

 動揺が全くうかがえない声色は、侮られているからだろうか。

 アルガンは憤慨して噛みつくように叫ぶ。


「とにかくもうこんなことは止めろ! 人の命を勝手に弄って……コイツらは便利な道具じゃない。そんなこと、許されないだろ⁉︎」

「何を言う? 私の下に集ったのは、力を求め志願してきた者たち。私は望む通りにしてやったまで」

「この状況になっても、まだ開き直るって言うんだな……⁉︎」


 アルガンは大きく一歩前へ出る。アブルアズの純白の衣装に炎をまとった指先が触れ、僅かに黒い穴を開けた。それを見ても、アブルアズは笑う。どこまでも暗い眼差しでアルガンを見下ろして。

「私を脅すつもりか? あの頃のお前ならまだしも、ここまで甘く弱くなったお前が、私を殺せるのか?」

「――っ、この」


 ドン、と、下から突き上げられるような振動を感じたのは、その時だった。

 牢の中で感じた揺れと同じ、生物の鼓動を間近で感じたような感覚。しかし今度はそれが、一回、二回、三回。回数が増えて、体に伝わる振動も大きくなっている。

 続けざまの衝撃に、アルガンの気が一瞬そちらに逸れた。アブルアズの口から歓喜の声が上がる。


「そうか! ついに動いたか」

「は、何を」

 扉が勢いよく開いた音で、アルガンは弾かれたように振り返る。心臓が痛いほどに鳴っていた。


 床に伸びた太い一条の光。薄暗さに慣れた瞳には痛いほど眩しく、思わず目を閉じてしまう。光の中から飛び出してきたのは黒々とした人影シルエットだった。

「しまった、新手か⁉︎」

 シルハの部下が炎の剣を握り影と刃を交える。暴れすぎて騒音が漏れたのか、そもそも時間をかけ過ぎたのか。追加の兵を呼んでしまったのだ。

 とにかく、ここでアブルアズを逃してはいけない。


「アブルアズ!!」

 アルガンは振り返り様、彼の左胸を貫く覚悟で大きく踏み込んだ。しかし、その拳は空を裂き、割って入ってきた兄弟の刃によって受け止められてしまう。

「くそ……」

 組み合う兄弟の背後に、笑うアブルアズが見える。やっとここまで追い詰めたのだ、絶対に逃がさない。

「そこを、どいて――」


「これは一体何の騒ぎだ⁉︎」

 響き渡ったのは、張りのある男性声だった。意志のこもった声と、僅かに混じった動揺が、感情の希薄な『兄弟』たちでないことは明白である。

 目が逆光にも慣れ、新たな乱入者たちの姿が露になる。格好からして他の部隊の兵士、つまりシルハの同僚だ。こちらも騒ぎを聞きつけ、集まってきてしまったのか。


「大司祭様!? どうしてこんな場所に……は、まさかお怪我を!?」

 この王宮にいる兵士の多くは、大司祭が聖人だと信じている者ばかり。アブルアズの姿を認めると、血相を変えて目を剥いた。


「いいえ、私は大丈夫。ご心配には及びません。賊が侵入したとの報告を受け駆けつけてみれば、お恥ずかしながらこのようなことに……。皆様が駆けつけてくださり、本当に助かりました」

 一瞬の隙をつき、兄弟とアブルアズが消えていた。複数の兄弟たちに囲まれるようにして、いつの間にか扉の前まで退避している。

 目尻の皺を深くして柔和に微笑み、穏やかな口調で話す姿は別人そのもので、背筋を撫でた寒気がアルガンの足をすくませた。


「そうでしたか。ここは我々に任せ、どうぞ大司祭様は安全なところへ」

「待て! ソイツは」

 アルガンが咄嗟に上げた声は、集まってきた兵士たちによって遮られてしまう。やむを得ないと拳を奮えば、炎の魔術を引っ込めた兄弟たちの凶刃が迫る。

 その間に、アブルアズの背中は悠々と扉の外へ消えていく。


「お前、うちの兵……なのか? 一体なんだ、その奇天烈な武器は!? 炎の魔術、だと」

「どこの所属だ⁉︎ まさか、裏切って賊に成り下がったか!?」

「違う! 騙されているのは、我々の方だ! アブルアズは」

「黙れ、言い訳なら鉄格子越しに聞いてやる」


 兵士たちの言い争いが、アルガンには随分と遠くに聞こえる。

 アブルアズを行かせてしまった。血の気が引いて、一瞬目の前が暗くなる。

 気づいた時には敵が目の前に迫っていた。慌てて体をずらして回避し、相手を蹴り飛ばす。

 切り替えろ、絶望するにはまだ早い。


 アルガンは深く息を吸うと、真っ直ぐ背筋を伸ばして立つ。僅かなりとも時間は稼ぐことができたし、この状況だって前向きに考えれば、警備の目をいくらかこちらに引き付けることができているのだ。

 後はムルたちが、上手くやってくれることを祈るだけ。


「できれば話し合いをさせて欲しいんだけど……そういう雰囲気じゃなさそうだな」

 剣を抜き放つ兵士たちを前に、アルガンは腰を落として身構えた。





 強く握った荒縄ロープが、手の内側で擦れて痛みを覚える。しかし、気にしている場合ではない。を誰かに目撃されては、絶対に騒ぎになってしまうだろうから。


「チャッタ、いけるか?」

「だい、じょうぶ! 旅のおかげで、これくらいの無茶はどうってことないよ!」

 先に行って待っているムルを見上げ、チャッタは腕と足に力を入れて荒縄を上る。地上ではシルハが周囲に目を配ってくれていた。


『多分、もう俺たちが……いや、俺がいることは相手にバレてると思う』

 アルガンの言葉を受けて、チャッタたちは二手に分かれることにした。

 アルガンとシルハの部下は、アブルアズを探して見つけをする役目。そしてシルハとチャッタとムルは、先に内朝部分へ潜入し女王蜂の行方を探る役目だ。


 ここでアルガンと分かれることに躊躇いもあったのだが、『俺はもう二人と離れるつもりはない』という彼の言葉を信じることにした。

 アルガンは必ず過去に決着をつけて、自分たちを追いかけてきてくれる。


 当初、通るはずだった兵士専用通行口をアルガンたちに譲り、三人は別の道を探ることにした。一度外に出て、壁づたいに王宮の外周を探り、シルハが目をつけたのは、外朝と内朝部分を繋ぐ渡り廊下である。


 廊下は屋根がついているものの、柱と柱の間に壁はなく外気がそのまま通るようになっている。人が通れば、ちょうど腰から上部分が見える形になるだろうか。廊下のある高さは一般的な建物の二階ほどで、高すぎるというわけではないのだが。

 よりによって、ロープでよじ登るという方法はどうなのだろうか。


「これ、万が一見つかったら、言い訳できないですよ?」

「見つからなければ良い。向かいに他の通路があるわけでもなく、王宮の周囲に植えた木々と夜闇が上手く身を隠してくれる。下と上さえ気を配っていれば、寧ろ盲点となるだろう。こんな場所から潜入する鹿は、いないだろうからな」

 シルハが平然というので、チャッタは顔をひきつらせるしかなかった。体格に見合って大胆なのだろう。


 まず身軽なムルが荒縄ロープを持ち外壁を上った。僅かな凹凸に指先をひっかけ、すいすいと上っていく。そして腕を伸ばして柱を掴むと、廊下の中へ体を滑り込ませる。

 しばらくすると、荒縄ロープがチャッタの目の前に落ちてきた。両手でしっかりとロープを握り、チャッタは少しずつ体を持ち上げていく。


 変装のために身につけた防具は重く、チャッタとムルは早々に変装を解いていた。気休め程度だが、マントだけはシルハたちのものを使わせてもらっている。首元を掠める布の感触は柔らかく、少しくすぐったい。


 誰もが寝静まる静かな夜は、ロープが軋む音さえ大きく響く。チャッタはなるべく音が出ないよう注意しながら、痛む腕を必死で動かし続ける。

 ついに廊下の壁へ手をかけた。ムルがチャッタの手をとり、よじ登る手助けをしてくれる。


「大丈夫か?」

「うん。なんとか、大丈夫……」

 廊下に座り込んでいると、あっという間にシルハが顔を見せた。音も立てずに着地すると、軽く息を吐く。

「ふう、上手く行ったな。これで目的地はすぐそこだ」

 彼は柱にくくりつけていたロープを手早く回収する。


 廊下の柱の間から、夜空にぽっかりと浮かぶ月が見えた。庭の植物の芳しい香りを、冷たい風が運んで吹き抜けていく。頬を撫でるそれを、チャッタは心地よく感じた。仕方がないとは言え、汗だくになっているのは自分だけである。

 少し面白くない気分になり、チャッタは僅かに目を伏せた。


「手が痛むか? 水、飲むか?」

「え? ああ、いや、痛みは平気だよ! ありがとう」

 ムルがチャッタの手のひらを眺め、甲斐甲斐しく水が入った皮袋を取り出す。ムルの背中に張りついていたニョンも、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 彼らの背後から、シルハが眉を潜めてチャッタを見つめていた。


「無茶な手段をとったな。その……不快にさせてしまったらすまないが、お前はこの先、着いてきて良いのか? 戦闘員ではなく学者なのだろう」

 チャッタは勢いよく顔を上げた。口を開くより前に、ムルがシルハの顔を見上げて強い口調で言う。


「チャッタは、強いから大丈夫だ。それに」

 言葉を一度区切り、ムルはこちらを振り返る。普段よりも強く惹き付けられる瞳には、僅かに不安な色が浮かんでいた。

「見届けてくれるんだろ?」

「ムル……?」

 澄んだ星空のような瞳が、瞬きで見え隠れする。

 チャッタは胸の辺りで、拳を強く握った。


 なんでもないような顔をして、ムルは一人でずっと頑張ってきたのだ。ただ、交わした約束を果たすためだけに。

 もちろん、学者として女王蜂に会いたい気持ちは強い。けれどそれ以上に、ムルの想いが報われて欲しいと思う。

 それに自分が、どれだけ手助けできるかは分からないけど。


「もちろん。僕は見届けるよ、最後まで」

 絶対に、女王蜂様を救いだそう。

 チャッタの言葉に、ムルは深く頷いた。

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