第82話 炎の魔術使い
「なるほど」
アブルアズが不快そうに眉を潜めて、ため息を吐く。彼の周囲には炎をまとった無数の刃が立ち並び、蝋燭のように辺りを照らしていた。
「確かに、あの者たちがいないのは誤算だった。よく見れば
アルガンが僅かに踵を浮かせると、兄弟たちが大司祭との間へ割って入ってくる。話をしている間に攻撃を、と思ったが、そう甘くはいかないようだ。
アルガンは小さく舌打ちをする。
「そう言えば、お前の仲間は『水の蜂の学者』に『水の蜂』だそうだな。だとすれば目的は――女王蜂か?」
驚愕の声が漏れるのを、咄嗟に歯を食い縛って耐える。しかし僅かに見せた動揺は、相手に伝わってしまったようだ。
どこか満足げに唇をつり上げ、アブルアズは目を細めて笑い声を上げる。
「ふふ、そうか。あの黒髪の青年が水の蜂だと言うのは半信半疑だったが、同族にしか分からぬ『何か』があるのかもしれん。これは良いことを聞いた」
「女王蜂はどこにいる!? アンタが隠してんのか!?」
さて、どうであろうな。アブルアズは肩を
「ムルたちや女王蜂に何かしたら、絶対に許さねぇ……!」
「ふん。少なくとも、水を生み出す貴重な存在である女王蜂に何かをするものか」
アブルアズは背後を向いたまま、心外だとばかり吐き捨てる。彼の背は、集まってきた兄弟たちによって隠されてしまった。嗄れた声だけが不気味に響き渡る。
「その兵、実力はあるようだが、この炎の剣を前に存分に戦えるのか? 協力者のはずが、とんだ足手まといではないか」
「俺たちは、足手まといなんかになる気はない!」
アルガンが止める間もなく、シルハの部下たちが数人、剣を構えて飛び出した。
「はぁっ!」
シルハの部下は気合いを込め、剣を上段から振り下ろす。兄弟が炎の剣であっさりそれを受け止めると、ただの金属でできた刃は瞬く間に赤橙色に染まった。
「剣から手を離せ! 火傷じゃすまないぞ!?」
アルガンは叫びながら跳躍すると、敵の横っ面を蹴り飛ばした。
間一髪、兵士が剣から手を離すと、こぼれ落ちた刃は床に落ちる前にどろりと形を変える。
「わ、悪い……」
「コイツらの相手は俺がする! アンタたちはとにかく、ここから誰も出入りさせないように扉を守ってくれ!」
そう声をかけている間にも、赤く光る刃が真っ直ぐアルガンの左胸目がけて迫る。
体を横にずらしつつ、手の甲を刃の側面へぶつけた。空いた相手の懐に入り込み、鳩尾へ拳を叩き込む。鈍い音を立てて、敵は膝を折って崩れ落ちた。
兄弟は皆、攻撃されても表情一つ変えず悲鳴すらも上げない。まるで動く人形のようだ。これも合わない魔術器官を、無理に埋め込まれたのが原因だろうか。
シルハの部下たちが、各自扉の方へ向かうのが見える。兄弟たちが、燃え盛る刃を携え後を追っていた。
アルガンは敵の背を目掛け、炎を矢のように放つ。何人かが足を止めてこちらへ向かってくるが、数が多すぎて全員を引き付けることはできない。
兵士たちは、なんとか立ち回ろうとしていたが、炎をまとった剣と金属の剣がぶつかれば金属の刃は溶かされ、炎の刃を上手く避けても、その隙に魔術が放たれる。慣れない戦いに苦戦しているようだ。
「ぐぁっ⁉」
上がった悲鳴に踵を返し、アルガンは片腕を押さえた兵士の下へ駆けつける。跳躍して、トドメを刺そうとする敵の後頭部を鷲掴み、思い切り床に叩きつけた。
その間にも、味方の悲鳴は次々に上がる。焦燥感に駆られ、アルガンは視線を泳がせた。
ひとまず味方に障壁を張るか、いや、守ってばかりではこちらの力が先に尽きる。やはり味方がやられる前に、自分が兄弟を倒すしかないのか。
「無駄だな。そんな者ども、切り捨ててしまえば良いものを」
どこからか呆れたような声が響く。温度のないその声は間違いなく、アブルアズだろう。暗闇と兄弟たちの姿に紛れてしまい、どこにいるのか分からない。
「うるせえ! 隠れてないで出てこいよ!」
群がる敵を相手にしつつ、そう叫ばずにはいられなかった。馬鹿にしたように鼻を鳴らす音が、やけに大きく聞こえてくる。
「——くだらん。アルガン、お前は本当に弱くなったな」
ふと、アルガンの頭に疑問が浮かぶ。
「よわくなった……?」
星空にも似た深い色をした瞳を思い出す。綺麗で優しくて、誰よりも強い意志を湛えた輝き。
戦闘中にも関わらず、アルガンの口元に柔らかい笑みが浮かんだ。
「弱いだって? そんなワケがあるか」
最強だと言われた過去の自分でも、きっと彼には勝てなかった。あんな風に全てを救い上げて守って、大切なものを手放さず生き抜いてきた彼は、本当に強いと思う。
「本当に、強い人って言うのは」
何があっても自分の『優しさ』を貫ける、
振り下ろされた剣を、交差した両腕で受け止める。力を込めて敵の剣を押し返すと、相手の腹に足裏を叩き込んだ。苦し気な息を吐き出しながら、敵が仰向けに倒れていく。
出会ったの頃、遺跡で暴れる大蛇もアルガンたちも、全てを救おうとしていたムルの姿を思い出す。
彼がそうだったように、誰の命も諦めたくない。今は敵である兄弟たちも、魔術器官の被害者なのだから。
けれどこのままでは、多くの犠牲を出してしまう。
一体、どうすれば。
「くそっ! 武器さえまともなら、遅れをとることはないのに……」
不意に聞こえてきた兵士の呟きで、ハッとアルガンは目を見開く。
炎の剣に対抗できる、まともな武器。ひょっとしたら自分はそれを、生み出せるのではないだろうか。
しかし、ただ形を真似ただけでは逆に味方を傷つけてしまう。
自分にできるだろうか。
「『水』でできることなら、『炎』だってできる。俺は、炎の魔術使いだ……!」
皆の命を守るためには、これが最善の選択。味方と自分自身の力を、信じろ。
アルガンは片腕を勢いよく振り上げた。
手のひらから発した炎を広く帯状に伸ばし、天井へと向かわせる。それは炎でできた道だった。跳躍して飛び乗り、アルガンは一気に頂点まで駆け上がる。
てっぺんまでたどり着くと、空間全体へ視線を巡らせた。
ここから見ても、アブルアズがどこにいるかは分からない。しかし今は気にせず、味方の位置を素早く把握する。
アルガンは両拳に炎を纏わせ、道から飛び下りた。
「みんな、信じて受け取れえぇっ!」
アルガンが両腕を振るうと、幾筋もの紅い光が流星のように降り注いだ。
ただの無差別攻撃だと思ったのか、兄弟たちは冷静に片手をかざし降り注ぐ炎を払い落していく。対してシルハの部下たちは、思わず頭上を覆った腕を慌てて下ろした。アルガンの炎が、彼らの目の前で形を変化させていく。
現れたのは、剣先にかけて緩く湾曲した片刃の剣。兵士たちがいつも使っているものと同じ形だった。
恐る恐るそれを握った兵士が、感嘆にも似た声をもらす。
「これは……熱く、ない……?」
「武器がまともなら、遅れはとらないんだろ!? それで頼む、アブルアズの兵を止めてくれ! 今は敵だけど、魔術器官に洗脳されているだけのヤツもいるはず、だから――」
「おお! 任せとけ!」
「俺たちを何だと思っているんですか? ただの戦闘狂いの集まりじゃないんですよ!」
アルガンの言葉を遮って返ってきたのは、力強い言葉と明るい表情だった。
勢いを取り戻したシルハの部下は、雄たけびを上げ、敵へ向かっていく。その手には、しっかりとアルガンが作った剣を握っていた。
兵士たちは兄弟が振るう剣を絡めとり、掬い上げるようにして弾き飛ばす。武器を失った敵の両腕を別の兵士が素早くつかみ、手早く拘束していく。
「次だ、次!」
繰り出される敵の突きを裁き、兵士が炎の剣を横に払う。剣の峰をぶつけられ、敵は膝を折り崩れ落ちた。
思わず、アルガンの唇から明るい笑みがこぼれる。
「強いな!」
「当たり前だろ⁉︎ じゃないと、案外無茶を言うあの人の部下なんてやってられねぇよ!」
武器を奪われ気を失わされ、拘束されて、次第に動ける兄弟たちの数が減っていく。味方の勢いは砂嵐のように敵を飲み込んでいった。
扉を突破された形跡はない。今なら、見つけられるかもしれない。アルガンは神経を研ぎ澄ましアブルアズの行方を探る。
二層目へ上がる階段の傍に、不自然なほど『力』の密度が高い場所があった。何人かの兄弟たちが、背中を合わせ立っているだけのように見えるが、恐らく。
「そこだぁ!」
床を大きく蹴って飛ぶように距離を詰める。アルガンの接近に一拍遅れて気づいた兄弟たちを、炎を纏わせた拳で蹴散らし突き進んだ。
力が密集した場所へ、右拳の炎を思い切り突き出す。硝子が割れるような音が響き渡った。
「くっ……」
「やっと、捉えたぞ……!」
肩で息を吐きながら、アルガンは唇の端を持ち上げる。兄弟たちが張った障壁の奥、そこにアブルアズが潜んでいたのだ。
事態に気づいた兄弟たちが、駆け寄ってくるのが見える。見せつけるように、アルガンは更に半歩前へ出た。後もう数センチ動けば、アブルアズの左胸に右手が届く。
その距離に兄弟たちの足がぴたりと止まった。
「これで、形勢逆転だな――」
唇の端を持ち上げたアルガンは、あることに気づいて目を見開く。
ここまで近づいて初めて、いや、ここまで近づかなければ、とても気がつかなかったことだった。
「……なるほどな。アンタがなかなか見つけられなかった理由がよく分かった」
アブルアズの片眉が跳ねる。何を考えているのか分からない表情だ。悔しさか諦めか、はたまた未だに余裕があるのか。
追い詰めているはずのアルガンが、喘ぐように息を吐く。
アルガンは最初、兄弟たちの姿や気配で、アブルアズは上手く身を潜めているのだと思った。だが、それは間違いだったのだ。
「アンタの力はここにいる誰よりも弱い。アンタは魔術器官を宿していながら、魔術を使えないんだな」
兄弟たちの中にいれば、たちまち霞んで感じられなくなってしまうほどに。
微かに感じる、アブルアズの左胸に宿った小さな
こんなやつにたくさんの人が翻弄され、命を失ったのか。
悔しさなのか虚しさなのか、こみ上げてくる感情にアルガンは歯を食い縛った。
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