第81話 大司祭

「潜入ご苦労。色々と小細工をしながらここまで来たようだが、残念だったな。お前の魔術器官の気配は強すぎる。たちがすぐに気づいて私に伝えてくれたぞ、アルガン」


 冷たい灰色のまなこがアルガンを見据える。身にまとった白い羽織ローブが暗い室内で光るように浮かび上がっていた。生地は上等だが、金糸で左胸に紋章が刻まれただけの簡素な衣服である。いかにも聖職者らしい装いだが、その声色には一切の慈悲も伺えない。


「いくら兵士に紛れ込もうとしたところで、夜にも関わらず顔を隠しているのは不自然だ。怪しんでくれと言っているようなもの。手配書で顔が割れているからと、隠さざる負えなかったのだろうが、詰めが甘いな」

 アルガンは背後の二人を気にしながら軽く舌打ちをして、頭に被ったフードを取り去った。

 動揺を隠せず、周囲から焦ったような声がもれる。シルハの部下の中には、唖然としてアブルアズを見つめている者もいた。普段の彼は上手く聖職者として立ち回っていたのだろう。

 もはや本性を隠す気がないのか、アブルアズは蔑むような視線をこちらに向けている。


 アルガンの脳裏に遠い日の記憶がよみがえった。

 その青白い肌もどこか歪に感じる笑みも、温かさなど微塵も感じさせない灰色の眼差しも、全て百年前とだ。

 背筋を這った恐れを誤魔化すように、アルガンはわざと声を張り上げる。


「はっ! 本当に生きてたんだな。元々蛇みたいなじいさんだと思ってたけど、さすがの執念深さだ。アンタの寿命も魔術器官か?」

 問いかけに対して、アブルアズは面白くなさそうに鼻を鳴らす。


 ずっと眠っていたとはいえ、アルガン自身が百年以上も生きているのだ。きっとアブルアズも、魔術器官によって生き延びてきたに違いない。

 他にどんな力を秘めているか分からない。アルガンはアブルアズの一挙手一投をも見逃すまいと、目元にぐっと力を入れて彼を睨みつける。


「しかし、ようやく戻ってきたなアルガン。私の最古にして最高傑作、淵源えんげんの炎の悪魔よ。私の目的にお前の宿す魔術器官は必要不可欠だ」

「勝手に俺を『作品』扱いすんな‼︎」

 頭に血が上り、アルガンは松明代わりの炎を投げつける。

 アブルアズの兵が素早く前に出て、片手であっさりと炎を防いだ。やはり彼らはアブルアズの私兵、つまり全員炎の悪魔で、アルガンのなのだ。


 淡い月明かりが降り注ぐ空間で、アルガンの荒い息遣いが響く。アブルアズは上から下まで舐めるようにアルガンを見つめ、やがて首を横に振りながらため息を吐いた。


「報告の通り、どうも力が弱くなっているようだな。余多の戦場を駆け、全てを燃やした存在とはとても思えん。これでは他の兄弟の方がマシなくらいではないか。やはりお前の魔術器官は回収し、別の適合者を探すことにする」

「はぁ……⁉︎ 何、勝手なことばっかり言って」


 再び目の前が怒りで真っ赤に染まるが、アルガンはグッと唇を引き結び言葉と感情を飲み込む。ここで悪戯に力を消費してはいけない。

 一度大きく息を吐き、アルガンは努めて冷静な声を発した。


「確か、俺たちのような存在をこの国の正式な兵士にしたいんだったか? その為に国の中枢まで潜り込んだのか? そんな、くだらないことのために」

 すると、アブルアズは怪訝そうに眉を顰める。

「それを誰に――ああ、リムガイか」

 彼の名前が出た瞬間、アルガンの肩が大きく跳ねる。アブルアズは感情を乱すことなく、どこか納得したような声を発した。


「音沙汰がなく、お前が奴と接触したということは、なのだろうな。それは良いとして。お前はくだらないなどと言うが、そもそも水の恵みが少ないこの国やその民は、炎の魔術と相性が良いのだ。長きに渡る水の魔術の研究は大した成果を見せず、対して炎の魔術器官が一部とはいえ人に馴染み『成功』したのがその証拠。であれば、炎の魔術を使う種族中心の国を創るのが、道理というものであろう?」


 ある一言によって、アルガンの血の気が一気に引いた。震えた唇で思わず一歩前に踏み出して、衝動のままに言葉を吐き出す。

 相性が何だ、道理がどうした。

 それこそ、どうでも良いではないか。


「そんな、言い方かよ……⁉︎ リムガイは少なくともアンタを慕って、アンタの命令に従って生きてたんだぞ!? そんな、どうでも良いみたいな……。それに、リムガイのことだけじゃない。アンタが唆したせいで、どれだけ多くの人が犠牲になったと思ってるんだ!?」


「勘違いをするな。あの、足りない水のために民を減らすという所業は、奴が勝手に考えてやったこと。確かに炎の魔術の力を示すことは私の求めるところでもあったが、アレはやりすぎだ。まぁ結果的には、邪魔者を処分する口実ができたがな」

「口実って……!?」


 それはあの手配書のことか。

 アブルアズは、虫を追い払うように片手をひらりと振った。もうこの話は終わりだと、言わんばかりの態度である。

 よくも、自分が生み出した者に対して、関係ないなどと言えるものだ。耳元で、噛み締めすぎた奥歯が悲鳴を上げる音がする。



「『成功』なんかじゃない! アンタに運命をねじ曲げられた人間がどれだけいると思ってんだ!? こんなことは、今すぐ止めろ! 炎の魔術は人の手に余る、手放すべき力だ」

「手放すだと、お前こそ何を言っている?」

 アブルアズは初めて感情を顕にし、先程よりも早口で畳みかけるように言葉を紡いだ。


「私が作り出したのは、炎の魔術の使い手などではない! 全く新しい『種族』だ。水の蜂のように――いや、それよりも強靭な力を持つ大いなる存在だ。そんな素晴らしいものを手放せと? これからお前たちの力を使えば、国は確実に豊かになる。水の蜂の代わりに、お前たち炎の悪魔が民の渇きを癒し、誰もがお前たちをあがめるのだ。その素晴らしさが何故分からない?」


「――はっ! やっぱり本音はそれか」

 自国に水がないなら他国から奪いに行く。追い詰められ国のことを憂えば、ひょっとするとそういう考えに至ってしまうこともあるのかもしれない。

 しかし、アブルアズの考えはそれですらなかった。


「アンタは国や民のことなんて、これっぽっちも考えちゃいない。ただ、自分の『作品』を称えてもらいたいだけだ」

 やはりここで、アブルアズは止めなければならない。不幸になる人が増えるだけだ。


 アルガンは息を細く吐きながら、腰を深く落として構える。それを見た兄弟たちが、一斉にアブルアズを守るように前へ出た。

 兄弟たちの背後から、アブルアズがシルハの部下たち一人一人の顔を焼きつけるように視線を移動させていく。


「お前たちも、どんな口車に乗せられたかは知らんが、罪人に手を貸すとは。同罪とみなし処分したと私から陛下にお伝えしておこう」

 銅像のように固まっていたシルハの部下たちは、その言葉で我に帰った。

「今さらだな。協力するって決めた時から覚悟はしてたよ」

「これ以上お前なんかに、国を好き勝手にさせない!」

 彼らは表情を引き締め、剣を抜き放つ。それを見たアブルアズが忌々しげに顔を歪めた。


「やれ」

 一斉に炎の魔術使いたちが構える。それぞれの手には赤い炎が揺らめいていて、正面玄関全体を明るく照らし出す。


「ここを燃やすつもりか⁉︎ 王宮の中だぞ」

「もちろん、燃やすつもりなどない」

 兄弟たちがマントの中から剣を取り出し、迷うことなく炎をその刃へとぶつける。

 刃が赤橙の光を帯びて、炎を身にまとっていく。その様は正しく、リムガイを思わせた。


「ここは今後も国の要として使う予定だ。慎重に戦え」

 剣を構え、一斉に兄弟たちがアルガンへ襲いかかる。回避しづらいように時間差をつけ、次々に刃を間合いの外から振り下ろす。放たれた細い帯状の炎が一直線にこちらへ向かってくる。

 しかし、アルガンたちに届く前、炎は何かにぶつかり音を立てて爆発した。


「防がれたか……」

 白煙が漂う中、アブルアズの呟きが聞こえてくる。一度限りだったが、ムルから預かった水が役に立ったのだ。

 さぁ、そろそろ良いだろう。どうせ程なくバレるだろうから。

 アルガンは借り物の装備を脱ぎ捨てながら、この空間全体へ届かせるように叫ぶ。


「もう良い、!」

 彼の声を合図に、次々と扉が閉ざされる音が響いていく。

 アブルアズが片眉を跳ね上げ、周囲を見回した。潜んでいたシルハの部下が、正面玄関の扉を全て封鎖したのである。

 そして、もう一つ。

 アルガンの背後にいた二人が、身にまとったマントを脱ぎ去った。


「……っ」

 僅かに、アブルアズから動揺の息が漏れる。チャッタとムルだと思われていたのは、シルハの部下、一介の兵士だったのである。

「バレてることなんてな、とっくに気づいてたんだよ」


『多分、もう俺たちが……いや、俺がいることは相手にバレてると思う』

 アルガンが、遠くからでもリムガイの存在を感じ取れていたように。

 静かすぎる夜に違和感を覚え、アルガンは仲間にそう告げた。

 そこでシルハの部下に身代わりになってもらい、チャッタたちを先に行かせることにしたのだ。

 女王蜂が王宮にいると判明した今、こんなところで足を止めている場合ではないのだから。


「残念だったな。アンタはもう俺の、最終目的なんかじゃねぇんだよ!」

 アブルアズを止めて、早く二人を追いかける。

 自分を鼓舞するように、アルガンは強気な笑みを浮かべてみせた。

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