最終章

第80話 潜入

 良かった、と、ムルは心の底からそう思った。壮大でまるでおとぎ話のような、水の蜂と自分自身に関わる『真実』。彼は牢の中で仲間たちにを語った。


 話し終えた後、長く沈黙するチャッタとアルガンに、ムルは何と声をかけていいか分からなかった。しかし彼が口を開くよりも前に、チャッタとアルガンは優しく微笑んでくれた。

 酷く驚いてはいたけれど、二人は自分を気づかってくれている。それだけで温かい気持ちで満たされていく。泣き出してしまいそうなくらいに。


 二人に話すことができて本当に良かった。けれど。

 同時に少しだけ、ムルの左胸は針で刺さったような痛みを覚えた。




 青白磁の壁には金色の紋様が描かれ、市街地と王宮を隔てるだけの物としてはあまりにも豪華だ。王宮の屋根や柱に埋め込まれているのは大粒の宝玉だろう。月光を受けて淡くその身を輝かせている。

 どこか妖しいボンヤリとした光は、まるで城そのものが闇夜に目を光らせているようで不気味だった。この場所で渦巻く陰謀を知ってしまったからだろうか。


 周囲から聞こえてくるのは夜風が木の葉を擦る音と、噴水からこぼれる水の音。そして、仲間たちの僅かな息遣いだけでとても静かだ。


「先程あった謎の揺れによって、急遽王宮の見回りを強化せよとのめいが下った。兵士の数が増えたことは危険でもあるが、お前たちが紛れ込みやすくなったとも言えるな」

「悠長にしていて、貴方たちのが決まってしまったら元も子もありませんからね。覚悟を決めて、このまま一気に潜入しましょう」

 シルハとその部下の言葉に、チャッタたちは頷く。着なれない柔らかな布地で作られたマントが、その拍子にさらりと柔らかな音を立てた。


 ムルが全てを話し終わった後、永遠にも等しい沈黙の中で、アルガンが突如弾かれたように顔を上げた。腰を浮かせて片膝を立て、いつでも飛び出せるように身構えている。

 やがて靴底が床を叩く音が複数、牢に向かって近づいてきた。


「――待たせたな」

 次いで聞こえた低い声と鉄格子越しに見えた顔に、アルガンたちは安堵の息をつく。

「なんだ、シルハのおじさんか。敵かと思った」

「おじ……まだそう言うのかお前は」

 片眉を吊り上げ、シルハがしかめっ面をしている。後ろで待機していた彼の部下は、笑いを堪えているのか肩を若干震わせていた。

 その中の一人が慌てて咳払いをすると、ぐるりとチャッタたちの顔を見回す。


「あー、潜入の手筈が整ったので、皆さんを迎えにきたのですが……」

「何か、あったのか?」

 シルハが先程とは別の意味で顔をしかめた。チャッタたちの雰囲気がおかしいことに気づいたのだろう。

 チャッタは思わず視線を逸らして、アルガンとムルの顔を見る。目の合ったムルが無言で首を振ったのを見て、軽く声を上げて頷いた。


「いいえ、大丈夫です。ただ」

 シルハたちに、話の全てを伝える必要はない。しかし、これだけは伝えておかなければ。

 チャッタがムルに目で合図を送ると、察した彼が口を開いた。

「水の蜂の女王――女王蜂様が王宮にいるんだ」

「何……!?」

 言葉を詰まらせ、シルハたちが大きく目を剥いた。


「それは、本当なのか? 水の蜂がいるのではないかという仮説は聞いていたが、何故ここに来て女王蜂が生きているなどという結論に至ったのだ?」

「間違いないんだ。証拠があるわけではないし、王宮のどこにいるかまでは分からないけど、確かにそう感じる。王宮ここにいるって」

 ムルは左胸に手を当て、しっかりとした口調で告げた。彼の言葉に力強さがあったからか、懐疑的だったシルハたちも表情を引き締める。


「けどさ、俺たちのやることは変わらない――いや、むしろますます王宮に潜入する必要ができたってことだ。アンタらには予定通り、俺たちを王宮へ案内してほしいんだ」

「なるほど、そうだな」

 アルガンの言うように、これからするべき行動は変わらない。


 地下牢を出る前、潜入用にとシルハたち兵士が身につける鎧やマントを借りた。アルガンなどはひたすら動きづらいと愚痴をこぼしていたが、目的地にたどり着くまではせめて着ておくべきだろう。


 牢を脱出する際にすれ違った別部隊の兵士は、チャッタたちに気づくことなくそれぞれの巡回場所へと向かっていった。その様子に、チャッタは少し肩の力を抜く。一応、変装の効果はあったようである。

 その後、順調に階段を上り一度外へ出て、一向は王宮の正面までやってきたのだ。


 堂々としていなければ逆に怪しまれると、王宮へ続く屋根付きの通路を一列で歩いていく。

 右手側へ視線を向けると、王宮と市街地を隔てる門の内側、木や花が植えられたそこは庭園のようになっていた。外壁と同じ青みがかった白い床石が敷き詰められ、その簡素ながらも整然とした装いは王宮まで客人を導く絨毯のようだ。


 中央には噴水が置かれ、動物を模した石像の口から幾筋もの細い水が溢れ落ちている。水は月光を受け慎ましやかな輝きを放っていた。

 囁くような小さな声で、シルハが前を向いたまま話し始める。


「このまま王宮の左手へ回り込み、兵の専用通行口から中に入る。あくまで王宮内部に異常がないかを調べている体でな」

 専用通路は正面玄関へと通じている。大聖堂や大広間、その奥の謁見の間にも繋がっている場所で、文字通り王宮の玄関口なのだそうだ。そこから他の部隊の動きを見つつ、奥へと進むそうである。


「問題はやはり、我々が内朝ないちょう部へ入る権限を持たない、と言うことですよね。謁見の間までは最悪『先程の揺れで異常が出ていないかどうか巡回にきました』で言い訳が立つのですが……」

「内朝ってなんだ?」

 アルガンが首をかしげると、シルハの部下が王宮を見上げながら口を開く。


「王宮は政務や謁見、祭事などを行う外朝がいちょうと、王や王族が私生活を過ごす内朝ないちょうに大まかに分かれているんです。外朝には大聖堂なんかも含まれますから、正当な手続きを踏んでいれば誰でも出入りすることができます。しかし、内朝は王族の方々の私的な空間。後宮ハレムなどもそこにありますから、王族の方々や一部の兵しか出入りできない決まりなんですよ」


 以前にも似たような話を聞いたが、その『一部の兵』に残念ながらシルハたちは含まれないのである。

「この時間帯だからな。大司祭様は内朝部分にある自室でおやすみになっていると考えるのが自然だ」

 シルハは視線を上げ、夜空に浮かぶ月を眺めながら言う。夜は深さを増して、もうすぐ真夜中と呼べる時間になる。


「話を聞く限り、警備もそれ相応に厚そうですよね。もしかすると、噂に聞く大司祭のが警備をしている可能性も……?」

「十分考えられるだろうな」

 アルガンと同じ、炎の魔術の使い手が待ち構えている可能性が高いのか。

 チャッタは横目でアルガンの表情を盗み見る。彼はまたと戦わなければならないのだ。吹っ切れたような表情をしていたが、大丈夫なのだろうか。


「王宮の中だからって、手加減はしてくれなさそうだよね。アルガンは、大丈夫?」

「は? 今更だろ? それよりも」

 アルガンが不意に足を止め、視線を上げた。

「シルハのおじさん。その、俺たちを捕らえたことに対する報告はどうなってるんだ?」


「下手に大司祭様のお耳に入ってもいけないのでな。まだ正式に届出は出していない。幸いお前たちに牢へ入ってもらったのは、もう日が沈む頃だったからな。時間が遅かったのを言い訳にしたのだが、急にどうした?」

 もはや『おじさん』に突っ込むのは止めたらしい。アルガンに合わせて足を止めて振り返り、シルハは眉を顰めた。


 それを聞いたアルガンは左胸に手を当て、何かを考え込んでいるように見える。

「ちょっと、気になることがあって」

 アルガンの言葉に、一同は息を飲んだ。




 天まで届くのではないかと思うほど高い、半円ドーム状の天井。見上げていると首の後ろに鈍い痛みが走った。

 内側に描かれた太陽を思わせる紋章の周囲に、鳥や花や水、天から降り注ぐ雫のような模様が刻まれている。天井には小窓がついているため、描かれた意匠が月明かりによく映えた。


 たどり着いた正面玄関は、王宮の入り口に相応しい広さと威光を放っていた。何本もの太い石の柱が、巨大な天井を支えている。

 この空間は少なくとも二層に分かれているようで、柱の影から上へ続く階段が見えた。

 吊り下げられているのは、複数の蝋燭を置くことができる巨大な照明だ。等間隔に並んだそれが、今は灯りを灯されることなく僅かに揺れている。


「さあ、ここから奥へ進みましょう。まずは階段を上って上の階へ」

 シルハの部下が一歩足を踏み出した、その時だった。


「みんな、伏せろ‼︎」

 鋭いアルガンの声で咄嗟に全員が頭を下げると、苛烈な光と熱線が真上を通り過ぎていった。

 小さく舌打ちをしたアルガンが、素早く片手を前に突き出す。彼の体へ届く直前で炎が弾けて霧散した。


「まさか……」

 兵士たちの中から、震えた声が上がる。アルガンが片手を掲げて手のひらに火を灯すと、正面玄関全体の様子が露わになった。

 柱の影に潜んでいたのだろうか。まるで置物のように佇む無数の人影に、一同はすっかり取り囲まれていた。

 マントの隙間から見える衣装は、シルハたちの物とも違う。そしてどこか既視感があった。


 足音がやけに大きく響き渡り、こちらを取り囲んだ敵の輪が割れる。

 そこから現れた人物を見て、アルガンは息を呑んだ。風に吹かれているかのように、唇や体がカタカタと震える。


「久しぶりだな。アルガン」

「アブルアズ……」

 鋭い灰色のまなこを光らせながら、大司祭アブルアズは唇を歪めた。

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