第75話 遺跡の役割

「そうだ。現状一番安全で怪しまれにくい方法だろう。少し窮屈な想いをさせることになるがな」


 王都に入るための検問は厳しく、入都できる者は王の発行する許可証のある者のみ。また兵が遠征などで帰還した場合、出て行った時の人数や人相を門番が正確に把握しており、部外者が紛れ込んでいないか調べられてしまうそうだ。

 そこで、捕らわれた罪人として護送された体を装う方が確実だという。

 手配されていないアルガンが混じっていたとしても、拘束されている状態であれば門番も追及はしないだろうとのことだ。


「王都到着後は、申し訳ないですが一度牢へ入っていただくことになるでしょう。そこから機会を伺って貴方たちを逃がします。なんとか、他の部隊の目を掻い潜って、と言ったところですね」

「安心してください! シルハ様もいますし、部隊の威信をかけてやり遂げて見せますよ!」


「王宮へ潜入する時には俺の部下を装えば良い。さすがに他の隊の人数や人相まで正確に把握している者はいないだろうからな。後はもう、お前たちの運と実力次第だな」

 アブルアズ様の居場所は探っておく。シルハの言葉に、アルガンはうんざりしたような顔をして首を横に振る。


「潜入かぁ……コソコソ動くのあんまり得意じゃないし、片っ端からムルに刺してもらうってことで良い?」

「分かった」

「だから、作戦が雑なんだってば! そこら中に倒れてる人がいたら、隠密行動も何もないよ。ムルの毒はその……どうしてもって時の奥の手で」


 反射的に指摘したものの、チャッタの言葉は尻すぼみになっていく。結局彼もムルの力を当にしているのだ。

 冷ややかな眼差しを向けるアルガンから視線を逸らし、チャッタは指で頬をかく。


「『毒』とは物騒な単語が聞こえたが……そう言えば、不思議な生き物を撫でておる、お前さんの話を聞いておらんのう」

 そうだ、ムルの話をしていなかった。ワーフィブの言葉にチャッタは息を呑む。それに彼のいないところで、勝手に秘密をバラすような真似をしてしまった。


「ムルごめん! 君が眠っている間に、僕がうっかり口を滑らせて君の正体が」

「別に良い。隠してないからな」

「いや、ちょっとは隠せよ」

 絶句したチャッタの代わりに、アルガンが呆れ顔で呟く。


 相変わらずなムルに乾いた笑い声を洩らし、チャッタはムルに了承を取ってワーフィブたちに説明を始めた。自分が知る限りの、ムルの正体と彼の事情。

 水の蜂の特性や毒のことも。


「そういうわけでして。シルハさんたちが彼と戦ったことを思い出せないのも、水の蜂の毒の影響なんです。ああ、毒と言っても、後遺症が残るわけではないので安心してください。毒は人を害するためのものではなく、あくまでその身と自分達の秘密を守るためにあるのだと言われています」


 突然滅びた種族が目の前にいると聞き、シルハやその部下は目と口を開いたまま呆然としている。ワーフィブは眉を潜め、無言で顎髭を撫でていた。無理もない。チャッタ自身も、信じられるまで時間がかかったのだから。

 真っ先に口を開いたのはワーフィブだった。


「そうか。お前さんが、あの水の蜂の……」

「証拠があるわけじゃない。だから、信じてもらえなくても仕方がないと思う」

「いや、わざわざこの場でそんな嘘をつく必要はないじゃろう。それに証拠などなくても、お前さん自身が自分を『水の蜂』だと信じているなら、それが真実じゃよ」

 ワーフィブは髭を撫でる手を止め、目尻の皺を深くして微笑む。


「とにかく、彼はえっと、水の蜂? なんですね」

「毒か……。言葉は物騒ですけど、上手く使えば便利ですね」

 ワーフィブが信用してくれたからだろうか。シルハたちも表情を和らげ、ムルをあっさりと受け入れてくれた。それほど水の蜂に思い入れというか、興味がなかっただけかもしれないが。

 そうなるとやはり、王都や王宮に水の蜂に関する何かがあるという考えは、杞憂なのだろうか。


 落胆と安堵が綯交ぜになったような気持ちを抱え、チャッタは翡翠の瞳をそっと伏せた。

 彼の様子に気づいた様子もなく、シルハが視線をムルの方へ移動させ、片眉を跳ね上げる。


「しかし改めて考えると、俺たちがその毒にやられたと言うことは、お前と戦い敗北したということだろう? お前はそれほどの実力者なのか」

 落ち着いた頃にもう一度手合わせ願いたいものだ。シルハは歯を見せて笑い、ムルに好戦的な瞳を向ける。

 ムルはニョンを触る手を止めて顔を上げ、素早く何度か瞬きをした。驚いているような戸惑っているような、どちらともとれる雰囲気である。


「え、良いな! 俺もやりたい」

「アルガン。わざと疲れるような真似はしないでよ。これから嫌でも戦わないといけないんだからね」

 嬉々として目を輝かせるアルガンの肩に、チャッタはそっと手を置く。


 すると、シルハの口からふっと息が漏れた。驚いて見てみれば、彼の口元が僅かに緩んでいる。チャッタや部下たちからの視線を感じたのか、彼は表情を引き締め咳払いを一つ吐く。


「さて、それは良いとして。体調に問題がなければ、明日の早朝にはここを経つがどうだ?」

「早朝、ですか? それだと最も日差しが強い時間帯に砂漠を歩くことになりませんか?」


 一番日差しの強い時間帯は移動を避けるのが、この国の旅の鉄則である。そもそも王都までの道のりは、足場の悪い砂地やそびえ立つ岩山に阻まれるため、確か一週間ほどかかったかと思う。

 途中町や集落もないため、万全に準備しておかなければ王都へ辿り着く前に行き倒れだ。急ぎたいのは山々だが、軽々しく明日の早朝などと決めてしまって良いのだろうか。


「ああ、安心しろ。これは王都に出入り可能な者しか知らない事なのだが」

 シルハの右隣にいた部下が、チャッタとシルハの間に地図を広げる。チャッタが持っている物とほぼ同じ、この国の地図だ。チャッタの古い地図よりも、集落やオアシスを示す印が減っているのが物悲しい。

 シルハの指が今はなきカンデウの辺りから王都へ、地図上を一直線になぞる。


「実はこの辺りに、王都へ通じる地下通路がある。強い日差しを避けられ、足場の悪い砂漠を通らなくともよくなるため、王都と取引のある商人や王都の兵士はこの通路を通って王都へ向かうのだ」

「早朝にここを経ち地下通路を通っていけば、次の日の夕刻前には王都へたどり着けると思います。そうすれば夜間、闇に乗じて王宮へ潜入できるでしょう」


 潜入や奇襲は闇夜に紛れるのが定石。敵もそこを警戒しているとはいえ、一般人も多くいる昼間から王宮へ潜入するのは愚策だろう。やはり隠密行動をするには夜が良い。

 シルハたちの提案に同意し、チャッタは頷いた。


「ムルもアルガンも、早朝に出発で大丈夫かい?」

 二人とも首肯したのを確認し、チャッタはシルハたちに頭を下げる。

「計画は分かりました。どうか、よろしくお願いいたします」

「ああ。こちらも準備を進めるとしよう」


 交渉成立だ。いよいよ王都へ向かうのかと思うと、緊張からかチャッタの指先が僅かに震え始める。それを誤魔化すように、彼は頼りなく笑ってひとりごとのように呟いた。


「それにしても、地下通路ですか。シルハさんたちの情報伝達や人員の補充の素早さは、そのおかげでもあったんですね」

「そうなんですよ。便利だし安全だし、国中この通路で回れると便利なんですけど……途中で行き止まりになっていたり、入り口らしきものがそもそも開かなかったりしているらしくて、思い通りにはいかないんですよね」


 まるで他にも通路があると言わんばかりの言葉だ。シルハの部下の言葉に、チャッタは引っ掛かりを覚える。思い返してみれば、そもそも地下通路と言えばリペや他の町にも存在していたのではなかったか。

 そして、確かその通路は水の蜂が作ったものだったはず。


「その、王都へ続く地下通路は誰が作ったものなんですか?」

「誰が作ったかは知らんが、少なくとも俺が知る限りそれを国が作ったという記録はない。どれも石を積んで造られた……そうだな、どこかこの遺跡の雰囲気に近いような気もするな」

 シルハの言葉に、チャッタは唇に指を当て思案する。


 王都へ通じる地下通路やシルハの部下が言う他の地下通路も、リペや別の町の物と同様に水の蜂が作ったものなのだとしたら。果たしてそこはただの、日差しを避け、道のりを短縮するためのものなのだろうか。

 行き止まりがあったり、入口が閉じられている場所もあるというが、そもそもリペにあった地下通路は最初から開いていたのだろうか。


 もし全ての地下通路が遺跡と同様に、ペンダントなどの鍵を使って開かれる物なのだとしたら。

 本来、その扉を開く時宜は。


「――そうか。全部『雨』なんだ」

「チャッタ? どうした、突然」

 心配そうに眉を寄せるアルガンに、チャッタは首を横に振る。この考えが正しいかどうかは、実際にその時になってみないと分からないのだ。今この場で口に出しても仕方がないだろう。

 そう考えチャッタは、思いついた考えを口に出すことはなかった。


 しかし、水の蜂の遺跡と地下通路の役割とは何なのか、何故水の蜂は雨が降ったら地下への扉を開くように伝えていたのか。

 一つの解に辿り着けた気がして、チャッタは大きく高鳴る左胸にそっと手を当てた。





 静寂の中、ふっと意識が浮上する。目蓋はまだ重く、ゆるゆると目の上に落ちてきた。

 しかし、体の気怠さとは裏腹に頭は妙に冴えていて、再び眠りにつけそうにない。早朝には発つのだから、諦めて起きていようか。

 そう考えながら、寝返りを打って真横を向くと、アルガンの寝床が空になっていることに気づいた。気怠さなど感じている場合ではない。チャッタは血相を変えて飛び起きた。


 そして、反対側を振り返り言葉を失う。ムルもいない。どういうことだ、まさかとっくに出発の時間になっていて、置いていかれたのか。

 そんなはずはないと思いつつも不安な気持ちが広がり、心臓が素早く脈を打った。

 チャッタは布団代わりにしていたマントを肩に羽織り、小部屋から飛び出す。


 広間では、シルハとその部下が壁に背を預け座っていた。両目を閉じて肩が一定の間隔で上下している所を見ると、そのまま眠っているようである。少なくとも置いていかれたわけではなさそうだ。チャッタは少しだけ肩の力を抜く。

 しかし、その後響いた低い声に、心臓が口から飛び出さんばかりに跳ねた。


「――起きたのか?」

「は、し、シルハさん⁉」

 起きていたんですか、と左胸を押さえつつ問うと、シルハがゆっくりと両目を開いた。彼はチャッタの問いには答えず、視線を階段の方へ向ける。


「残りの二人を探しているなら、今外に出ている。眠れないようで、少し体を動かすのだと言っていたな。目立たず、あまり遠くへ行かないように忠告はした。恐らく遺跡の入り口付近にいるだろう」

「ああ、そうでしたか。ありがとうございます」


 彼の言葉を聞いて、チャッタはようやく全身を弛緩させた。そうか、二人も眠れないのか。

 マントの前を隙間なく閉めると、チャッタはシルハに軽く会釈をした。


「僕も少し出てきます」

「程々にしておけ。いざという時に、疲れが残るようでは困るからな」

 チャッタは首肯すると、暗がりの中、慎重に階段へ足を乗せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る