第74話 「薬」

 シルハたちに続き、ワーフィブも尽きた食料を調達しに出て行ってしまった。アルガンが予想を遥かに上回る食欲を発揮した為である。

 やることがなくなってしまったチャッタは、改めて遺跡の調査をすることにした。どんな時でも遺跡を見ると気持ちが高揚し、気づいたことを書き留める手が止まらないのは長年染みついたさがだろうか。

 傍にいたアルガンも、飽きてムルの眠る小部屋に引っ込んでしまった。昼寝でもしているのだろう。


 どのくらいの時間が経ったのか。日の光が入らないため、集中していると時間の感覚がなくなってくる。一通り遺跡を調べ終えたチャッタは、紙の束から顔を上げ息を吐く。

 卓上がないので、床に紙を置き座り込んで筆記をしていた。記録するのに夢中だったためか身体が熱い。ふくらはぎから床の冷たさが伝わってくるのが、逆にちょうど良いくらいである。

 チャッタは額の汗を拭うと、記録した用紙を手に立ち上がった。


 この遺跡は殺風景というか、ただ岩盤をくりぬいた空間に部屋がいくつかあるだけの場所だった。他の遺跡のように、何らかの仕掛けや隠し部屋らしきものも見当たらない。

 何故この何もない遺跡にも、『雨が降ったら扉を開くように』と伝わっていたのだろうか。


「『雨』か……」

 かつてこの地にいた水の蜂もムルも、『いつかこの国に雨が降る』と言っていた。水の蜂は雨と関わりがあるのだろうか。この国に雨が降ったらどうなるのだろう。

 どこの町や集落にもオアシスが生まれていくのだろうか。などという、見たこともない光景が広がるのだろうか。

 それは一体、どんな景色なのだろう。


「雨が降って、国が水で満たされれば、誰もが教会の手を借りることなく、自由に水を手にすることができるようになるのか……」

 大司祭が信用ならないと判明した今、この国の状況は非常に危うい。

 彼らに水を握られているということは、そのまま命を握られていることと同義だ。気まぐれでいつ、心臓を握り潰されてもおかしくはない。


 善行のように思えるリペの件も、恐らく裏がある。王都から水の供給がなければ生きていけない。それはある意味、王都とリペの間に絶対的な主従関係ができていることを意味する。水を盾にすればきっと、余程の難題でなければ通ってしまうだろう。アブルアズの狙いはそこだろうか。

 不自然なほど豊潤な水を湛えたオアシス。王都には一体、何があるのだろう。


「僕の想像通りでないと良いけど」

 いつの間にか消えてしまった水の蜂。そして雨。

 王都の謎も含め、全ては一つに繋がるのだろうか、それとも。

 まとまりのない思考を中断させ、チャッタはそっと遺跡の壁に手を触れた。


「う、おうわぁ⁉︎ な、なん、え、はあ⁉︎」

 突然、遺跡の奥から驚いたような戸惑ったような大声が響いて、チャッタの体は飛び上がった。

 早鐘のように打つ心臓の上に手を当て、呼吸を整える。


「今のは、アルガンの声?」

 何があったのかと、慌てて小部屋の方へ駆けつけ中を覗き込む。

 床に座ったアルガンの背後にムルが貼りついて、深紅の髪の毛を一心不乱に触っていた。


「ちょ、ムル! 止めろ、離せ!」

「ごめん。まだ」

「『まだ』じゃないし! だから触るな、撫でるな、かき回すな⁉︎ チャッタ、ぼーっと見てないでムルを止めてくれ!」


 ムルが目覚めた喜びよりも、戸惑いの方が大きいらしい。アルガンは血相を変え、こちらに助けを求めてきた。

 チャッタは素早く何度か瞬きをした後我に返り、二人の元へ駆け寄る。

 彼が声をかけるより前に、ムルの瞳がこちらへ向いた。視線の先は、チャッタの目線の少し上。


「チャッタ。その髪、どうした?」

 言われてチャッタは、自分の髪型を思い出す。緩く後ろで束ねているだけの普段と異なり、髪全体を丸めて結い上げているのだ。


「え? ああ、ちょっと床で書き物をしていたんだけど、髪の毛が顔の前に垂れてきて邪魔になっちゃってね。それでこんな髪型に」

「ほどいてほしい」

「へぇ!?」


 有無を言わさぬムルの言葉に、チャッタの声が裏返る。言われた通りに髪をほどくと、ムルに手招きをされた。

 素直に近づいていくと腕を掴まれ、彼の目の前に座らせられる。アルガンと並んでムルに背を向けている状態だ。

 そして予想通り、ムルはチャッタの髪の毛も触り始めた。思いのほか繊細な手つきがくすぐったく、チャッタは腰を浮かせて身動ぎをする。

 やがてムルの口から、感嘆の声が漏れた。


「『とぅるとぅる』と『ふわふわ』」

「ああ……」

 チャッタの口から、納得したような呆れたような声が出た。続く戦闘で疲弊したのは、体だけではないのだろう。

 触感にこだわりを持つムルにとって、これも一種の『薬』になるのかもしれない。


「お疲れ様。まぁ、好きなだけ触りなよ」

「チャッタ!?」

 ムルを止めないチャッタに、アルガンは不満げな声を上げる。

 しかし、チャッタが目を合わせ苦笑を浮かべると、ため息と共に肩の力を抜いた。


「そう、だな。これで少しは借りを返せたってことで」

「減るものじゃないし、もう少しだけ我慢しようか」 

 しばらくされるがままになっていると、靴底が遺跡の床を叩く音が近づいてきた。このゆっくりとした足取りはワーフィブだろう。

 案の定、口ひげを蓄えた老人が、小部屋へひょっこりと顔を出す。


「おお、二人ともここに――ふほお!?」

 遺跡の壁に反響した大声が、とチャッタたちの頭を揺さぶる。

 ワーフィブが驚いた理由は、間違いなくこの奇妙な状況だろう。チャッタは羞恥でさっと頬を染めた。


「い、一体それは、どういう状況かのう……?」

「あー、すみません。こちらもタガが外れたみたいで」

 誤魔化すような笑い声がチャッタの口から漏れる。

 意味が分かるはずもないが、ワーフィブはぎこちない動きで頷いた。深掘りしても理解できないと思われたのかもしれない。

 そこでようやく、髪を触っていたムルの手が止まった。


「誰?」

「ああ。そうか、ムルは初対面だったね。この方はワーフィブさん。この辺りにあった集落の代表で、シルハさんの剣のお師匠様だよ。あ、シルハさんは分かるよね?」


 そう言えば、ムルとシルハは一度もまともな状況で顔を合わせていない。チャッタは念の為、そう尋ねた。

 ムルは少々ぼんやりしている所があるし、顔と名前が一致してないなどということもありそうである。

 心配は無用とばかり、ムルは力強く首肯した。


「大丈夫。あの、髪がガジガジしてそうな人のことだろう?」

「いや、逆にその言い方だと僕が分からないんだけど」

 ガジガジ、まぁ柔らかそうな髪質ではなかったか。チャッタは鷲色の短髪を思い浮かべ、唇を引きつらせる。

 恐らくムルはシルハをきちんと認識しているのだろう。チャッタはそう考えることにした。


「ついでに言っとくと、あのおじさん俺たちに協力してくれることになったから」

「ちょっと、アルガン『おじさん』って」

 アルガンの口から飛び出した単語に、チャッタはぎょっと目を剥いた。

 ワーフィブは気にした様子もなく、愉快そうに声を出して笑う。


「よいよい。事実、お前さんから見れば十分『おじさん』じゃろうて。……しかし、昔は泣き虫で臆病者で、ワシの影に隠れてぴーぴー泣いておったもんだが、まさかあんな仏頂面の堅物に育ってしまうとは、人の成長とは分からんもんじゃ。――おっと、話が逸れたな。ワシはワーフィブじゃ。よろしくな」

「俺は、ムル」


 会釈なのか相槌なのか分からない程度に頭を下げ、ムルはワーフィブの顔を見つめた。

 何か言いたいことがあるのだろうか。

 この隙にムルの手から逃れたチャッタとアルガンは、不思議に思い顔を見合わせた。


「戻りました」

 不意に聞き覚えのある野太い声が響き、チャッタたちの心臓が大きく跳ねる。

 噂をすればなんとやら。いつの間にか、シルハが戻ってきていたらしい。

 彼はこめかみに青筋を立て、背後の部下は笑いを堪えるように肩を震わせている。アルガンがしまったという顔をして、口元を押さえた。


 ワーフィブは何事もなかったかのように問いかける。

「おお、早かったの。話はついたか?」

「ええ。おかげさまで、良い部下をもったようです。それを踏まえて、今後のことを話し合おうかと戻ってきたのですが」

 シルハは咳払いを一つつくと、鋭い目つきで部下たちを一瞥する。部下たちは、飛び上がるようにしてピンと背筋を伸ばした。

 シルハはどこか冷ややかな眼差しで、自らの師を見下ろす。


「言っておきますが、師匠せんせい。俺の立場もありますので、あまりべらべらと昔話をしないようにお願いいたします」

「ほぉ、そうか。モテる男は、時に意外な一面を見せることも重要じゃと思うがのー」

「余計なお世話です!」 

 ほほ、とそれを笑い飛ばすと、ワーフィブはどこか軽やかな足取りでシルハを追い越し、部屋から出ていってしまった。





 目覚めたムルを交え、再びチャッタはシルハたちと顔を突き合わせた。彼らとの関係性は改善したが、いよいよ王都、そして王宮へ潜入するための相談と言うことで、空気は張り詰めている。

 いや、ムルだけがニョンを撫で、肩の力を抜いているようにも見えるが。

 先陣を切り、シルハが口を開いた。


「部下にお前たちの話を伝えてきた。皆驚いていたが、お前たちに協力すると言ってくれている。後ろにいるコイツらと同意見だったな。全く、無謀というか血気盛んというか」

「貴方の部下ですからね。仕方がないですよ」

 口元を緩ませた部下に、シルハは眉を寄せる。そのまま苦い表情をチャッタたちへ向けた。


「しかし色々考えてはみたものの。正直言って、俺たちは、気軽に大司祭様ましてや陛下にお目通りできる身分ではない。協力すると言った手前で申し訳ないが、最終的には自力でどうにかしてもらうしかないだろうな」

 潜入の手伝いと道案内くらいはできるか。シルハは腕を組み、そう呟く。

「え、なんで? 王宮に勤めてるんだろ?」

 アルガンが不思議そうに首を傾げると、シルハの部下が頬をかきながら頼りない声を出す。


「王宮勤めって言っても階級があるんですよ。一番上の部隊になればなるほど、陛下や王族の方々に近い場所の警護を任されます。俺たちは一応王宮に入ることを許されたくらいの、末端部隊ですからね。政務や公的行事、希に謁見が行われる場所を警備したりすることもありますが、陛下や王族の方々の生活空間には近づけません。リペの時のように遠征に駆り出されたりもしますし、まぁ、便利屋みたいなものです」

 

「それに大司祭様は、元々私兵団をお持ちとのことで警備の必要がなく、益々俺たちには関わりの少ない人でしたね」

 私兵団とは、きっとリムガイたちのことだろう。チャッタはアルガンに目で合図を送り、頷き合う。 


「あー、だからか。けど、そもそもどうやって王宮に俺たちを潜入させるんだ? 王都でさえ選ばれた人しか入れないって聞いたけど」

「それは、お前たちがまだ『指名手配されている』という状況を上手く使おう」

 首を傾げるアルガンを横目に、チャッタは納得して声を発した。


「指名手配されている僕たちを捕らえた、という体で王都へ行くんですね?」

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