第73話 黒い噂

 シルハはまるで自分を納得させるように頷くと、真っ直ぐチャッタたちを見据えた。

「どこまで力になれるかは分からんが、できる限りのことはしよう。しかし、王宮であまり手荒な真似は控えろよ。陛下はもちろん、大司祭様とは無関係の者も多くいるだろうからな」


「手荒な真似をしないかどうかは、正直向こうの出方によ」

「アルガン! できる限り穏便に、ね⁉︎」

 余計なことを言いかけたアルガンの口を塞ぎ、チャッタはシルハの方を見つめる。


「えっと、協力って本当によろしいんです、か?」

 こちらとしては願ったり叶ったりだが、大っぴらに協力すると言ってしまって大丈夫なのだろうか。

 不安な気持ちが芽生え、彼はシルハの顔色を伺いながら尋ねた。


「別に俺は、大司祭様に忠誠を誓っていたわけではないからな。みがいた剣の腕を活かして、国とそこに住む民を守れればと思って戦ってきたのだ。お前たちには故郷を助けてもらった恩もある。それに正直言うと……ただの聖職者に大きな顔をされるのは、ずっと気に食わなかったのだ」


 シルハはその真面目な印象に見合わず、あっけらかんと告げた。驚きもあってチャッタは、羽のような睫毛を何度かしばたたかせる。

「アンタも言うんだな」

 アルガンはどこかおかしそうにカラリと笑う。それに釣られたチャッタはようやく表情を明るくし、シルハに深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」

「俺も、礼を言うのが遅くなってしまったが、改めて。俺の故郷の人々を救ってくれて感謝する」

 シルハが腰を折るようにして頭を下げると、左右の部下もそれにならう。

 ムルの優しさのおかげかもしれないな。チャッタは彼の眠る小部屋を振り返り、柔らかく目を細めた。白い石の壁は今も、松明の炎で柔らかく照らされている。


 しかし、シルハの言葉によって、遺跡の中に再び緊張感がもたらされた。

「ただ、個人的な感情を抜きにしても、以前から大司祭様には少々黒い噂があってな。今回の話を聞いて、強ちそれも間違いではないのかもしれんと思ったのだ」

「黒い、噂?」

 シルハの後に続けるように、彼の部下たちが口を開く。


「前国王陛下は数年前、突然崩御なされたんですよ。原因不明のご病気とのことでしたが、直前までお元気でいらっしゃったので皆大混乱で。百年前の戦争以降、王都は閉じられていましたから、案外民への影響は少なかったかもしれませんね」


 チャッタがまだ師匠と砂漠を旅をしている頃、国王陛下崩御の話を耳にしたことがあった。大きな町などでは、しばらく華やかな行事などは控えられていたようだったが、それでも水の配給などは絶えず行われていたような気がする。


「そして、後を追うように、皇后様やご子息様が次々と亡くなられて……唯一残ったのが末のご子息だった現国王のジャザーム陛下だけ」

「そして、その国王様をお支えになっているのが、アブルアズ様ときたら、ねぇ」


「それは……あまりにも、出来過ぎですね」

 疑われて当然と言うかなんというか。チャッタは思わずアルガンと顔を見合わせる。

「大司祭様が何かをしたという証拠は、もちろんありません。単なるやっかみからくる悪質な流言だろうと、王宮に勤める者の間ではそう言われていました」

「それでも、シルハさんはどこか気になるところがあったんですよね?」


 チャッタが尋ねると、シルハは喉に物を詰まらせたような声を発する。何か余計なことでも言っただろうか。


「根拠があった訳ではないのだ。ただこう、アブルアズ様の言葉を聞いていると、腑に落ちないと言うか、例えようのない居心地の悪さを感じるのだ。魔術というものも神官は嬉々として使っていたようだが、どうも得体がしれないというか、馴染めなくてな」

 なるほど、根拠があるわけではなかったらしい。けれど案外、そういう直感は馬鹿にできない。現にアブルアズには裏の顔があったのだから。

 シルハは気を取り直すかのように、咳払いを一つして口を開く。


「アブルアズ様は、大司祭として問題なく職務をこなされていたのも事実。もちろんまつりごとにも不審な点はなかった。混乱する国がすぐにまとまったのは、幸か不幸かあの方が前国王陛下の頃から政に関わってこられたからだ。民にはきちんと水を分け与えてられていた上、オアシスが枯れてしまったリペに王都の水を分け与えるよう進言したのも、あの方であるしな」


「え、リペに王都のオアシスの水を……?」

 改めて聞けば、王都に勤めているはずのシルハがリペにいた理由は、訓練を隠れ蓑にしてリペに大量の水を運ぶためだったのだそうだ。


 そうか、それでリペはオアシスが枯れていたにも関わらず、豊潤な水で満たされていたのか。

 過去の疑問も解消されすっきりするはずが、何故かチャッタの胸中は、もやもやと渦を巻いていた。


「シルハさん。水を運搬するのは一体、どの程度の頻度だったのでしょうか?」

「何故、今そんなことを――まぁ、そうだな。俺たち以外の部隊が担当することもあるから正確には分からんが……数ヶ月に一度、程度だろうか」

 首を傾げながら答えたシルハの言葉に、チャッタの唇から疑問の声が漏れた。


 それでは到底、水が足りない。

 そもそも王都のオアシスの水は、この国に暮らす民へ分け与えられていたはずだ。リペなど独自の水源をもっている町もあるので、今まで強く疑問を持ったことはなかったのだが。

 それすら王都のオアシス頼みとなると、話が変わってくる。


「それは、おかしくないですか?」

「そうなのか? 豊潤な地下水脈がオアシスの水源なのだろう? 現に王都のオアシスは、ずっと美しい水で満たされていたぞ」


「いくら地下水脈が通っているからって、数ヶ月に一度丸々一つのオアシスを満たして、その上、ひと月毎に各集落へ水を提供し続ける。そんなことを続けていたら、あっという間に水は足りなくなりますよ。王都のオアシスはそんなに大きいんですか?」


「いや、正直リペのものより一回り大きいくらいだ。確かに一部の神官たちの間でも、よく水が足りるなと話題になることもあったが……」

 突然変わってしまった会話に耐え切れなくなったのか、アルガンが呆れた表情で口を挟む。


「だから、リムガイたちはあんなことをしでかしたんだろ? 水が足りなくなって困ってきたから、人を減らして回ってるって言ってたじゃん」

「それでもきっと追いつかない。この頻度で水を消費し続けていたのなら、もっと早く王都のオアシスが枯れてしまってもおかしくなかったはずだよ」


 彼の言葉に応えながら、チャッタは俯く。心臓が早鐘のように鳴っていた。

 何故、こんなにも気になるのだろうか。実際この国は上手く回っていたのだから、自分が気にするようなことはないはずなのに。

 チャッタは、震える唇を押さえるように指を当てる。


 この国全体を支える命の水。きっと王都のオアシスの水源が自分の予想以上に豊富であっただけだ。あるいは、オアシス以外の水源があったのかもしれない。

 そう思った時、チャッタの頭にが浮かんだ。


「あ――」

 心臓が大きく跳ねて、背筋が一瞬で凍りつく。

 そんなはずがない。何を馬鹿なことを考えているんだ。チャッタはゆっくりと頭を振る。

 しかし一度浮かんでしまった考えは、彼の脳裏にべったりと張りついてしまっていた。


「チャッタ。どうしたんだよ、突然」

「アルガン……」

 アルガンがチャッタの肩に手を置き、心配そうに顔を覗き込んでくる。深紅色の瞳の中に、狼狽した様子の自分が映っていた。


「ずっと、考えていたんだ。ムルが生きているなら、他の水の蜂が生きていてもおかしくないんじゃないかって。けれどいくら探しても見つからないから、きっと彼が最後の生き残りなのかもしれない。そう、思ってたんだけど」


 チャッタはすがるように腕を伸ばし、アルガンの手首を握った。深紅の瞳は松明の火のように大きく揺らぎ、暗く不安げな色に変化していく。

 チャッタは喉を鳴らす。酷く渇きを覚えていた。


「もしも、もしもだよ? 彼女たちがこの国に姿を見せなくなってしまった理由が、どこかに捕らわれているからなのだとしたら――」

「は? どこかにって、一体どこに」

 アルガンが目を見開き、言葉を飲み込んだ。

 周囲はひどく静まり返っている。彼の唇から漏れた呼吸が、遺跡の中に大きく響いた。


「つまり、チャッタはこう言いたいのか? 王宮に水の蜂が捕まっていて、この国の水を生み出しているかもしれないって」

「水の蜂……?」

 そう不思議そうに呟いたのは、誰だったのだろうか。チャッタは真っ直ぐアルガンを見つめたまま、重々しく首肯した。


「そうだとしたら、水の蜂が見つからない理由も、枯れないオアシスの理由も説明がつくだろう? あ、でも今、水が足りなくなってきてるってことは――どうしよう!? は、早く、早く助けに行かないと」


「落ち着けよ! もし、チャッタの考えが正しいとしても、決めつけるには情報が少なすぎるし、おかしなところも多いだろ? 例えば、リムガイの言動だってそうだ。はっきりアイツの前で水の蜂の話題を出したわけじゃないけど、ムルを見る目にしろ何にしろ、完全に水の蜂のことをおとぎ話か何かのように思ってた。アブルアズが水の蜂を捕まえているとして、リムガイに全くそのことが伝わってないのは不自然じゃないか?」


 言われてみればそうだ。チャッタはゆっくりと瞬きをして、視線を周囲へ巡らせる。

 シルハやその部下たちも呆気にとられた表情で、チャッタたちのやり取りを眺めていた。

 いくら上手くその存在を隠していたとしても、王宮に勤める彼らにすら、何の不信感も抱かせずにすむものだろうか。王宮に水の蜂を捕らえておけるような、都合の良い場所があるだろうか。

 結論づけてしまうには、あまりにも乱暴すぎる。


 チャッタは深く息を吐き、身体の力を抜いた。

 無意識に力を込めてしまっていたのだろう。アルガンの手首の色が変わってしまっていることに気づき、彼は痺れた片手を引っ込めながら謝罪する。


「ごめん。さすがに、焦りすぎたね」

「本当だよ。水の蜂のことになると見境がなくなるの、気をつけろよな!」

 口調は厳しいがどこか柔らかいアルガンの眼差しに、チャッタは再度謝罪の言葉を述べる。

 会話が途切れたのを見計らってか、シルハが遠慮がちに口を開いた。


「すまない。その、水の蜂というのは、数百年前に滅びたという種族のことであっているだろうか? 何故、その種族の名がここで出てくるんだ?」

「その、種族が王宮に捕らわれている可能性が? え、水の蜂って……本当にいるんですか?」

「それよりも」

 不意に、ワーフィブが口を挟む。口の端を歪めた、笑みとも呼べない複雑な表情を浮かべている。


「お前さんの話によるとその、ムルという青年は、水の蜂の生き残りなのかのう?」

「あ……」

 しまった、とチャッタは思わず口を手で覆う。本人に隠す気はなさそうだが、いない所でべらべらと秘密を明かすものではない。


「その……」

「まぁ、良い。気になるところではあるが、本人もまだ眠ったままだしの」

 ワーフィブは気を遣ってくれたらしく、ムルの眠る小部屋の方を一瞥して言った。

 肩を縮ませて、チャッタはありがとうございますと息をつく。


「――とにかく、俺たちは一度他の部下と合流し、今後のことを話し合ってくるとしよう。さすがに部下をたばかったままで、お前たちに協力することなどできんからな」

「大丈夫ですよ。俺たちと似たような男の集まりですから。きっと問題なく協力してくれると思いますよ!」


 シルハの部下が、シルハに向けたともチャッタたちに向けたともとれるような言葉を明るく告げる。三人は立ち上がると、遺跡の外へ通じる階段へと向かった。


「よろしくお願いいたします」

 チャッタは腰を折るようにして、深々と頭を下げる。煩かった心臓の音は、幾分か落ち着いてきたようだ。 


 アルガンの言う通り、冷静になろう。チャッタは拳を握り、深呼吸をする。

 ただ、アブルアズ以外にも気になることができてしまった。ひょっとしたら王宮に、水の蜂に関する重大な秘密が隠されているのかもしれない。


 スッと、冷たい汗が、チャッタの背中を流れていった。

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