第72話 話し合い
目覚めた時、チャッタは今自分がどこにいるのか、分からなかった。松明の明かりで夕日の色に照らされた空間、頬に触れる空気はどこかひんやりとしていて清浄だ。何度か瞬きをしていると、目の焦点があってくる。視界に映るのは、岩盤をそのままくりぬいたような凸状の天井だ。
それを認識した途端、彼は慌てて上半身を起こす。
そうか、ワーフィブの案内でたどり着いた遺跡で、休ませてもらっていたのだ。床につけた手のひらにはさらりとした布の感触がある。
この遺跡は、何かあった時のためにと食料や水、生活用品などが保管してあった。遺跡の固い床ではきちんと休めないだろうと、ワーフィブは布やマントなどをかき集め人数分の寝床も作ってくれたのである。おかげで快適とまではいかないが、十分な休息がとれたようで、頭も身体もすっきりとしている。
しかし、遺跡で寝泊まりだなんて人のことは言えないな。チャッタは以前、遺跡を家にしていたムルを問い詰めたことを思い出し、頬をかいた。
右隣にはムルが眠っていて、彼の胸の上に乗ったニョンが一定の拍子で上下している。アルガンの姿はなく、少し角がずれた状態で折り畳まれた布が置いてあった。自分は一体、どのくらいの間眠っていたのだろうか。
立ち上がり寝床代わりの布を畳んでいると、カツンカツンと靴底が床を叩く音が近づいてきた。
「おお、起きたのか!」
ぽっかりと空いた入り口から顔を出したのは、ワーフィブである。チャッタたちは小部屋の一つを借りて眠っていたのだが、扉がついているわけでもないため、物音は筒抜けだっただろう。
ワーフィブがどこか焦っているような様子に見えたため、チャッタは怪訝に思って首を傾げた。
「すみません。僕、随分とぐっすり眠ってしまったみたいで……。何かありましたか?」
「いや、それは良いんじゃ。元々しっかり休んでもらおうと寝床を整えたのだからの。ぐっすり眠れたのなら何よりじゃ。いや、何かあったと言うか、なんと言うか」
歯切れ悪く告げたワーフィブが、指先でチャッタを小部屋の外へ手招く。
眉を寄せ、チャッタが部屋の外へ顔を覗かせてみると、一心不乱に食物を口に詰め込むアルガンの姿があった。
大口を開けて食べ物を口内へ放り込み、咀嚼している間に次の
その動作は恐ろしく速く、奇術でも見ているかのようだ。
「その……彼はいつもこうなのかの?」
「す、すみません。元々よく食べる子ではあったのですが、ここ数日の絶食でタガが外れたみたいですね」
アルガンの目の前には、干し肉や平べったいパン、ラクダの乳、乾燥させた果物まである。こんな砂漠の真ん中で食べるには十分すぎる量と献立だが、果たして味わって食べているのかどうか。
アルガンの横にはシルハが腰を下ろしていたが、呆気にとられた様子でその食べっぷりを眺めている。
「ああ、やっと起きたのかよ! ……食い物、なくなるぞ?」
「いや、他の人の分まで食べちゃ駄目だからね⁉︎ ところでムルは? アレから一度も目覚めず?」
「一度だけ目を覚まして、ラクダの乳だけ飲んでまた寝たよ。いつにも増してぼんやりしてたし、まだその、疲れてるんじゃね?」
「そっか。元々怪我をしていた上にシルハさんたちと戦って、ほとんど休む間もなくイミオンとの連戦だもんね」
呟きながら、チャッタは小部屋の方を振り返る。少しでも水分と栄養がとれているのであれば、もう少しゆっくり寝かせても良いだろう。
「お前さんも相当疲れていたようじゃの。丸一日寝ておったから」
「え、丸一日と言うことは……」
ここにたどり着いたのは夜が明けたばかりの頃だったはず。それから日が沈んで、また夜が明けたと言うことか。
チャッタはワーフィブの言葉に目を丸くした。
「シルハたちは目覚めるのが早かったからの。お前さんの言っていたことを確かめに行って、先程帰ってきたところじゃ」
食事が終わったら、しっかり話をすると良い。
ワーフィブはそう言うと、チャッタにも食事を勧めたのだった。
チャッタは敢えて控えめに食べ物を口にした。満腹になって万が一頭が働かなくても困るのである。
そして、互いに腕を伸ばしても届かないくらいの距離を空け、チャッタとシルハは遺跡の真ん中で顔を付き合わせた。
チャッタの左隣にはアルガンが、シルハの両隣には彼の部下たちが、そしてその少し後ろにワーフィブが胡座をかいて座る。
ムルは不在だが、後で伝えておけば良いだろう。元々彼はこういう場で積極的に発言をする方ではない。
チャッタは緊張を解くように、ふうと息を吐きシルハに向かって声をかけた。
「それで、ちゃんといましたか?」
シルハは部下たちに目で合図を送ると、苦い表情で首を縦に振る。
「お前たちの言う通り、焼け落ちた集落であのイミオンと言う男を見つけた。他の部下たちに、一旦ヤツの身を預かってもらっている。罪人として処罰されるはずの者が野放しになっていると言う状況は、確かに異常だな」
「ええ、そこが分かっていただけて良かったです。まずは、あの夜のことから順に説明させて下さい」
チャッタはリペの夜のことを話し始める。
知り合いの飼い猫がオアシスを囲む塀の中に迷い込んでしまい、いけないとは思ったが中に入ったこと。
すると、その知り合いがオアシスの水がないことを知ってしまい、鬼気迫った様子の兵士たちに追いかけられ逃げたこと。
「その、最終的に手荒な手段をとってしまったことは謝罪します。しかし、決して兵士様たちの命を奪ったりはしていません。彼らの命を奪ったのは別の人物です」
「別の人物だと? 一体、誰だと言うのだ」
「俺とは別の、炎の魔術の使い手だよ。もうここにはいないから、アンタらの前に突き出したりはできないけど」
アルガンが言葉を濁しながら告げる。
そう、リムガイはもういない。シルハたちの目の前に突き出すこともできないので、こちらが兵士たちを襲った犯人ではないと証明できるものはない。
「後は、貴方たちもご存知のように、僕たちは手配されて追われる身となった訳ですが……シルハさん」
敢えて名を呼び、チャッタはシルハとしっかり目を合わせた。
「何故、あの手配書にこの子、アルガンのことが書かれていなかったのか。そこは当然、疑問に思ったはずですよね。あの時とは、髪色が違いますけど、彼が炎の魔術を使うところを目撃した貴方なら」
シルハは無言で眉間の皺を深くした。否定しないということは、きっと。
チャッタはアルガンへ視線を送る。彼が深々と頷き、口を開いた。
「上の奴らは俺の力が必要だったから、俺は手配されなかったんだ。そしてリペの兵士と、この辺り一帯の集落を焼き払った犯人として、チャッタとムルに罪を被せて始末する予定だったらしい」
「上、だと?」
シルハが片眉を跳ね上げる。
「ああ、アンタたちも知ってんだろ? アブルアズ、今は大司祭なんだってな。ソイツが元凶だよ。集落を燃やした男たちをまとめていたのも、俺みたいな炎の魔術使いを生み出したのも、全部アイツがやったことだ」
シルハの両隣の部下たちが、息を呑み一瞬腰を浮かせた。シルハもあまりの発言に絶句している。
国の聖職者の頂点である人物が元凶などと、俄かに信じられるものではないのだろう。
「これは敵から得た情報なのですが、まぁ、状況が状況でしたから、偽りということはないでしょう。王宮において大司祭様がどのような立場なのか、僕は詳しくないのですが」
「あの方は、前国王の頃から王族と懇意にされている方で、司祭という立場ではあるが政にも関わっていらっしゃるはず。手配書の内容に口出しできるかと問われれば――できるのだろうな。現国王のジャザーム様は、あの方を非常に頼りにされている」
シルハは部下たちに視線を向けると、重いため息をつく。
「それに、擬似魔術器官の研究はあの方が指揮をとられているときく。それならば、炎の魔術使いを生み出すこともできるかもしれんが」
とにかく、信じられん。
シルハは片手で額を押さえると、首をゆっくり横に振った。
薪が割れる音が、壁際の松明から響く。炎が揺らぎシルハの影を長く伸ばしていた。
「シルハ」
ワーフィブが言い聞かせるような口調で、弟子の名を呼ぶ。
「ワシは、その大司祭様には会ったことがない。だから、お前さんが司祭様の方を信じるというなら、それも仕方がないじゃろう。ただ、それが大司祭の人柄からではなく、お前さんの立場や地位がそう思わせているようなら、ワシは殴ってでも目を覚まさせてやるわい。この者に命を救われた者としてな」
「ワーフィブさん」
思わず声をかけたチャッタに、ワーフィブからぎこちない目配せが送られる。チャッタは状況にも関わらず、口元に手を当てて笑ってしまった。
「シルハ様」
押し黙っているシルハに、部下の一人が声をかけた。振り返った彼に向かい、冗談っぽく笑みを浮かべて見せている。
「もしその、俺たちのこととか気にされているなら、ほっといて下さい。どうせ俺たちはお行儀の良い兵士様なんかじゃないんですから」
「そうそう。いつもあなたに叱られてばかりの、バカで呑気なはみ出し者ばかりです。偉い人に逆らうのは……ちょっと怖いですけど。ええっと、今までみたいにどうにかなりますよ! 多分」
部下たちの突然の言葉に、シルハは目を見開いて固まっている。やはりこの人は悪人ではないようだ。
微笑ましく思って、チャッタは内心安堵しつつも眉を寄せ表情を引き締める。
「ご不安なら、僕たちの監視はとかなくても構いませんし、協力して下さいとも言いません。ですが、このままアブルアズを放っておけば、もっと多くの人が犠牲になるかもしれません。だからここで僕たちを捕えることだけは、止めていただけませんか?」
チャッタはシルハの鷲色の瞳を見つめた。その目に映っているのは困惑か、それとも。
やがてシルハは何故か、チャッタたちが眠っていた小部屋の方へ徐に目を向けた。
「その、ムルと言ったか。その者と我々が一度戦ったというのは本当か?」
「え? あ、はい。不思議なことに、覚えていらっしゃらないでしょうけど……」
ムルはイミオンやシルハたちと連戦で疲れているだろうと、そんな話をした気がする。しかし何故この場面で。
戸惑っていると、シルハは息を吐き肩の力を抜いた。
「お前たちに追いつく前、俺たちは砂漠の真ん中で、揃いも揃って眠りこけていた。起きた後の体は戦闘後のような疲労感があり、しかし、皆ほとんど怪我という怪我は負っていない。俺たちの体はきちんと物陰に移動させられ、側には見覚えのない水や食料が置かれ、乗っていたラクダは逃げ出さぬようつないであった。これは一体、どういうことかと思っていたが」
戦った後で、何らかの形で記憶を奪われていたのか。シルハはそう呟いて、何故か苦笑のようなものを洩らした。
「うわ、ムルわざわざそんなことしてたのかよ。至れり尽くせりじゃん! らしいと言えばらしいけど」
アルガンが呆れたような声を上げて笑う。彼の視線は、ムルが眠っている小部屋の方へ注がれていた。
確かにそうだ。
シルハがため息混じりに声を発する。
「なんとも甘い、罪人がいたものだな」
彼は諦めたように長く息を吐くと、表情を僅かに緩めて告げた。
「――分かった。協力しよう」
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