第六章

第71話 もう一つの鍵

 紺色の空が透けて、水を思わせる淡い色合いに変化していく。徐々に首筋へ注がれる光も鋭さを増してきて、チャッタは一度ムルを下ろすとその頭にフードをかぶせた。

 大地に転がった石が光を反射し、時折目に飛び込んでくる。その眩しさに目を細め、チャッタもフードを深くかぶり直した。

 再びムルを背負おうと慎重に彼の腕をとる。


「チャッタ。ムルを背負うの、俺が代わろうか?」

「良いよ。アルガンは疲れているだろう? 僕はまだ大丈夫」

「そうか……じゃあ、毛玉はせめてこっちに来いよ!」

「にょー!?」

 アルガンがチャッタの懐から、ニョンをすぽんと引っ張り出す。抗議の声を上げるニョンに思わず苦笑しながら、チャッタは前を歩く老人の姿を眺めた。

 集落の村長であり、シルハの剣の師匠でもあったというワーフィブである。


「話をするとなれば、落ち着ける場所が必要じゃのう。良い場所がある」

 数十分ほど前、彼はそう言って先立って歩き始めた。ラクダも入り込めない狭い場所だと言うので、こうしてチャッタたちは一列に並び砂漠を進んでいる。


「ワーフィブ師匠せんせい

 不意に背後から声が降ってきて、チャッタの両肩が大きく跳ねる。後ろを歩いていたシルハが、チャッタ越しにワーフィブへと声をかけたのだ。

 いきなり襲いかかられる危険はなくなったものの、未だに背後につかれると緊張で体が強張ってしまう。シルハは遠くを見るように目を細めていた。


「集落の場所からも離れているようですが、一体どこに向かわれているのですか? そちらは更に険しい岩石砂漠地帯では」

「そうか。お前も知らんかったか。実はそこに、秘密の話をするには都合の良い場所があるんじゃよ」

 ワーフィブは、肩越しに白磁のような歯を見せ笑う。彼の歩く先に、切り立った岩山が連なっているのが見えた。


 やがて一行は、その中へ入っていく。

 所々褐色の混じった枯草色の岩道は、隆起していて不安定だ。ムルをうっかり落とさぬよう注意して歩かねばならない。


「う、わ……と。あ」

 よろけた所で背中を誰かに支えられ、チャッタは背後を振り返る。シルハが自分の倍はあろうかと言う太さの腕で、受け止めてくれたようだ。

 驚きと何とも表しがたい気まずさが言葉を詰まらせ、チャッタは首だけを折って礼をする。


「おお、大丈夫か? もうすぐじゃから辛抱してくれ」

 年の割に危なげなく岩の上を進んでいたワーフィブが、とある切り立った崖の前で歩みを止めた。

 他と変わった所のない、ただの岩の壁に見える。強いて言えば他よりも少し凹凸が少ないだろうか。


「ここじゃよ」

 眉を潜め、首を傾げる一行に、ワーフィブは悪戯を思いついた子どものような笑みを浮かべる。

「まぁ、見ておれ」

 ワーフィブは首元に右腕を入れると、円型の何かを取り出した。細かい鉄色の鎖に、くすんだ翡翠色の石がついている簡素なペンダント。

 しかし、見覚えのある形に、チャッタとアルガンは息を呑んだ。


「それは……」

 母親の形見なのだと、寂しげに語っていた少女の姿が目に浮かぶ。そのペンダントは、砂漠の町で出会った少女が持っていた物とそっくりだった。


 ワーフィブは迷いなくそれを壁に押しつける。岩肌の自然な凹凸に紛れて分からなかったが、そこにはちょうど、ペンダントがはまるくらいの窪みがあいていた。

 軋むような音に続けて、何もないと思われた壁が扉のように割れる。

 そして中から、地下へと続く階段が現れた。


「ワーフィブさん、そのペンダントはどうされたんですか? も、もしかして水の蜂の……?」

「おー、そうじゃな。うちの集落に伝わっていた物なのじゃが、詳しいことは中に入ってから話そうかの」

 そう言って、ワーフィブは腰元からランタンを取り出した。




 通路は研磨された石で造られ、大人二人が並んで下りられるくらいの広さがあった。天井も高く、一番長身のシルハだけ少々窮屈そうであったが、それでも背中を曲げることなく歩けている。


 数分も歩かぬ内に開けた空間に出た。

 住居が丸々一軒入るくらいの広さだろうか。天井も通路よりも高く、中心に向かって高くなるドーム状の構造をしているからか、圧迫感はない。

 壁には繋ぎ目が一切なく、まるで岩盤をそのまま繰り抜いたような空間だった。そこから更に枝分かれしていて、いくつかの小部屋に分かれているようである。アリの巣のような雰囲気に近いかもしれない。

 壁に取り付けられた松明へ、ワーフィブが火を灯して回った。


「へぇーこれは面白い! 用途はなんだろう? 住居というよりは、何かを保存しておく倉庫なんかが近いかな? 他の遺跡と違って生活感があるというか、ムルが家にしていた遺跡の入り口と雰囲気は似ているような……。こじんまりとしていて華美な装飾などは一切ないけれど、これはこれで水の蜂たちの生活が身近に感じられるようで、こう、とても良いね!!」


 チャッタはムルを背負っていることも忘れ、跳ねるような足取りで部屋の中央へ進んでいく。

 ぐるりと周りを見回す彼の瞳は光を発して輝き、まるで翠玉エメラルドのようだった。


「観察して記録したい! あ。けど、今は両手がふさがってるし、ムルを下ろすまで我慢を……」

「おーおー、なるほど。お前さんが水の蜂の記録を、人質の代わりとして差し出した訳も分かるのう」

 愉快そうに笑うワーフィブに、チャッタは詰め寄るような勢いで問いかけた。


「ワーフィブさん! ここは水の蜂の遺跡ですよね⁉︎ あのペンダントは集落に伝わっている物だと聞きましたが、貴方の集落は何か水の蜂とかかわりが――ああっ⁉︎」

 突然大声を上げ、彼は唇をわななかせ、怒りで眉を吊り上げていく。


「水の蜂とかかわりがあったかもしれない集落が……燃やされたってことか⁉︎ そんな、なんて非情な奴らなんだ! 国が許しても僕が絶対に許さない」

「チャッタ、とりあえず落ち着け。今更、そいつらに怒ってもどうしようもないからな」


 アルガンがため息交じりに告げる後ろで、シルハとその部下があっけにとられたような表情で立ち尽くしている。突然豹変したチャッタの様子に驚いたのだろう。

 我に返ったチャッタは頬を紅潮させ、改めてワーフィブに向き直った。


「す、すみません。どうも、学者の性分で」

「はは構わんよ。夢中になれる物があるというのは幸せなことじゃ。そうじゃな、先ほども言ったように、これはワシらの集落に伝わっておったものでの。『が起こった時には必ず扉を開くように』と言われておる」

 あること。意味深な言い方にチャッタが首を傾げると、ワーフィブは困ったように眉を潜めて告げた。


「雨が降った時に、と伝わっておるの。本当にそんなものが降るのかはワシにも分からんが」

「『雨』が⁉︎」

 思わず首を捻り、背中で眠るムルへ視線を向ける。

 確か彼は、同様のペンダントを持つ少女に『雨が降ったら扉を開くように』と告げてはいなかったか。

 だとしたら、本当に。

「雨が、降るのか? この、乾いた国に」


「そちらの青年も何やらワケアリかの。話を聞きたいところじゃが、まずは休め。シルハお前たちもじゃ。休息をとらねば、働く頭も働かんじゃろう」

「はぁ、しかし……」

 シルハの視線が、アルガンとチャッタを順になぞる。探るような目線にチャッタたちの表情は強張り、助けを求めるように互いに目を合わせた。


「なんじゃ。信用できんか? 安心せい。ワシが起きて見張っている間は、何もさせんよ。まぁ、出会って間もない爺の言葉も信用できんかもしれんがな」

「そうだよ! だってアンタ、この人の師匠なんだろ? だったら、そっちの味方をしても不思議じゃないし」

 シルハと距離を取りながら、アルガンが噛みつくように言う。彼の頭上にいるニョンも、威嚇するように鋭く奇声を発している。

 どこかネコのようにも見える仕草をどう思ったのか、シルハが眉間の皺を深くした。


「ほほっ、まぁ無理もないか。だがな、ワシは弟子だからと言うだけで、此奴の味方をするつもりは一切ないわ。何故なら」

 何故なら。わざわざ間が置かれた言葉に、アルガンが素直な反応を示す。一歩前に踏み出して息を呑み、言葉の続きを今か今かと待っている。

 ワーフィブの瞳が見開かれ、カッと鋭い光を放った。


「ワシは! 全ての美人の味方だからじゃ!!」

「……はい?」

 目が点になるとはこのことだろうか。固まるアルガンを他所に、ワーフィブは拳を振り上げて熱弁を振るう。狭い空間に彼の声が反響していた。


「いくら弟子とは言え、こんなデカくてゴツゴツしたヤツよりも、たおやかで極上の美人の味方をしたいと思うに決まっとるじゃろう、男としては⁉︎ それが恩人なら尚更じゃ!」

「あの、チャッタは男だけど」

「男だろうと美人は美人じゃ!!」

「師匠……貴方、全く変わっていませんね」


 豹変した師匠の姿に、額を押さえてシルハが項垂れる。頬が少し赤らんで見えるのは、気のせいではないだろう。

 部下の視線も、どこか生暖かいものに変わってしまっているような気がした。


「チャッタの、顔が効いてる……?」

 アルガンの茫然とした呟きに、チャッタは苦笑した。有利に働くこともあるだろうと、必死で磨いて維持してきた甲斐はあった、のだろうか。


「そういう訳じゃからな。此奴らが何かしようとするなら、ワシが全力で止めてやるわ。何なら、小部屋のどれかを使ってくれても良いしの。さぁ、分かったらさっさと休まんか!」

 ワーフィブに促され、アルガンがこちらに目で合図を送ってくる。それに頷き、チャッタは口元を緩めた。


「ではお言葉に甘えて――あ」

「どうした? まだどこか懸念があるかの?」

 チャッタはチラチラと周囲に視線を送りながら、上目遣いで小首をかしげる。


「僕が休むのは、その、もう少し遺跡を調べてからでも、良いですかね……?」

「いや、寝ろよ! アンタも倒れるぞ⁉︎」

 一息に距離を詰めてきたアルガンが、チャッタの頭に軽く手を置いた。

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