第69話 次があるなら
まだ勝算はある。ムルが自信ありげに頷いたのを見て、アルガンも首肯した。彼がそう言い切ったのだったら、自分が言うことは何もない。リムガイとの戦いに集中しよう。
アルガンは息を深く吸い込むと、改めて敵を見据える。
こうして対峙するのは何度目だろうか。自分と同じ力を持つ、弟。情などあるはずもないが、これ以上罪を重ねる前に止めなければと強く思う。
目が合うと、リムガイはその口元に獰猛な笑みを浮かべる。眉を潜め、アルガンは大地を蹴って飛び出した。
力を込めた彼の右拳と、リムガイの長剣が合わさり、波紋のように熱風が吹き荒れる。
アルガンは拳で長剣を強く押し、その反動で後ろへ下がった。
チャッタの言葉で思いついたことがある。試す価値は、ある。
硬い大地に両足をつけると、膝が鈍く痺れた。奥歯を噛みしめ曲がった両膝に力を込めると、再びリムガイの下へ向かう。
跳躍しつつ、敵の右側頭部を目がけ、左足を大きく振り回した。
「あー、もう!」
咄嗟にリムガイが背を反らせたことで、左足は
「やらせるかっ⁉」
アルガンは左肘を上からぶつけ、長剣を叩く。刃が落ちたところで膝を曲げ、足裏を相手の鳩尾目がけて突き出した。
だが、浅い。リムガイは素早く後ろへ下がり、アルガンの攻撃を避けてしまう。そして長剣を構え直しながら、つまらなそうに呟いた。
「ふーん、特に代わり映えのしない攻撃だね」
「うるさい! いい加減、倒れろよ!」
吼えたアルガンは、一息にリムガイへ駆け寄り、拳を突き出す。
今の彼は体術を中心に戦い、できるだけ
リムガイの周囲にはまだ壁が存在しているし、正直自分の体力も限界が近いから、というのもある。
しかし、彼は闇雲に攻撃しているように見せかけつつ、常にある物の様子を観察していた。
冷静に。その時がくるまで決して悟られず、機を待つのだ。
繰り返し拳や足、肘や膝を、何度もリムガイへと繰り出していく。
リムガイは回避し、時に剣で受け止め流していく。決定打のない単調な戦いが続いているのは、リムガイも疲弊しているからなのだろう。
彼の表情から次第に、隠しようもない苛立ちが表れてくる。
「さっきから何? この面倒な攻撃。何も策がないなら、もう諦めてくれる⁉︎」
「そう言われて、諦めるやつがいるかよ⁉︎」
アルガンは再び力を込めた拳を振り下ろす。その拳が何もない空間を割いた後、焦れたリムガイが大きく踏み込んでくるのが見えた。
炎が蛇のように刀身へ巻きついていき、リムガイが剣を持つ腕を大きく後ろへ引く。
ここが、待ち望んでいた好機だ。
炎を纏った刃が、一直線にアルガンの心臓めがけて向かってくる。アルガンは最低限の動きで横へとズレると、即座に左腕を動かす。
そして以前と同じように、左手でリムガイの刃を強く掴んだ。
痛みはない。今彼の左手は、ムルが魔術で作ってくれた包帯が巻かれている。そう簡単に、傷つけられはしない。
「はぁ? また同じことを」
「同じじゃない!」
この前はただ、リムガイの動きを封じるための行動だった。今度は、違う。
「俺の狙いは」
アルガンは右手を左手の上へ重ねた。そしてこれ以上動かせないよう、強く強く刃を握る。リムガイが顔色を変え、長剣を強く引っ張った。
思った通り。アルガンは歯を見せてほくそ笑む。
リムガイに、この剣を諦めると言う選択肢は存在しない。
アルガンは剣の内側に力を放流する。狙うは、これまで繰り返し攻撃を叩き込んだあの一点。
彼はずっと、リムガイ自身を攻撃するフリをして、刃の同じ所へ拳をぶつけ続けていたのだ。
流し込んだ力を、脆くなっているであろうそこへ集中させ、爆発させる
「うあああああっ!」
喉奥から絞り出すようにして吼える。片膝を振り上げ、上から一気に全体重を乗せた。微かに何かが軋んだような音が、アルガンの耳に届く。
リムガイの長剣は、細かい破片を散らしながらへし折れた。
眩暈を覚えて、アルガンは思わずその場に両膝をつく。
しまった、油断した。息を切らせ弾かれたように顔を上げると、リムガイは呆然と目を見開き、折れた長剣を見つめていた。
隙だらけのアルガンを攻撃することもない。唇を戦慄かせ、震えた指先から長剣の柄がこぼれ落ちる。
アルガンは立ち上がることも忘れて、思わず声をかけた。
「やっぱり、アンタの力の
『何か、リムガイの力を増幅させるような物が、あるんじゃないかな?』
あの自分が作った卵殻の中で、チャッタに言われた言葉。それで、気がついたことがあった。
リムガイが魔術を使う時は、何故かいつも剣を介してだということに。
「この剣は熱に強いだけの、ただの武器じゃない。この剣そのものが、もう一つの魔術器官。いや、アンタの力の根源なんだろ……?」
立ち上がり、静かに声をかける。
現に今のリムガイからは、驚くほど力を感じなかった。まるで、ムルが相手をしていた名もなき兄弟たち、いや、それ以下である。
予想以上にリムガイは、この長剣の力に依存していたようだ。
「だから、諦めろ。もうアンタは、俺には勝てな」
「――黙れよ!」
リムガイが叫び、右腕を大きく振るった。
アルガンは瞬間的に地を蹴って、距離を開ける。しかし、避けるまでもなかった。
リムガイの手から生まれた炎は、蝋燭のように仄かなもので、見当違いの方向へ飛んでいき霧散する。
剣が要だとは言ったが、それを失くした途端、ここまで弱体化するものなのか。
俯いていたリムガイの口から、ふっと空気が漏れる。
顔を上げた彼は、何かを諦めたような穏やかとも言える表情を浮かべていた。
「随分と優しいんだねぇ、兄さん。ふふ、でもね。僕はもう、後戻りなんてできないんだよ」
「まだ、そんなことを言って」
そう言いかけたアルガンの喉が詰まり、苦しげな音を立てる。
改めてリムガイの様子を観察し、彼は愕然とした。
弱まっているのは、彼の力だけではない。彼の命、存在そのものが、驚くほど希薄なのだ。
今までアルガンたちを翻弄し、数多を焼き尽くした存在だとは思えない。月明かりに照らされた肌は青白く、まるで死人のよう。瞬きをしている間にも、消えてしまいそうだった。
「アンタ、まさか……」
「言っただろ? 最高傑作は兄さんなんだって。身の丈にあってない力を、無理して使ってたんだ。そりゃあ、限界がくるのも早いよね」
リムガイが肩で息をしながら、力なく笑う。その笑みも酷く痛々しかった。
魔術を使うには、当然代償が必要だ。リムガイは文字通り生命を削っていたのか。
いや、身体はとっくに限界を迎えていたのかもしれない。それを剣、魔術器官の力で無理に動かしてまで、自分と戦っていたのか。
胸の中を侵食していくこの感情は、怒りなのか悲しみなのか、それとも悔しさなのか。アルガンは奥歯を噛みしめ俯いた。
「ははっ、何、その顔? 気にしないでよ。炎の悪魔って呼ばれてた、兄さんらしくもない。……それよりさ。ここまできたら、ちゃんと最期まで相手をしてよね」
大きく息を吐いたリムガイが、右拳を前へ突き出して構える。月光のような瞳には、再び強い輝きが戻っていた。
最期まで。
迷ったのは一瞬だった。
アルガンは喉を鳴らすと、眉間にぐっと力を込める。腹から絞り出すようにして、言葉を返した。
「――ああ、分かったよ」
アルガンも両足を肩幅に開き、右拳へ意識を集中させた。自分は元々彼を、自分と同じ存在を止めるためにここまで来たのだ。
今更一人分の重石が増えたところで、どうということはない。ここで断ち切る。
二人の視線がぶつかり合う。もう言葉を交わす必要はない。
同時に、彼らは地を蹴った。
左胸から右腕へ、熱を流していく。アルガンは右の拳に、残った全ての力をかき集めた。
狙うはリムガイの左胸。そこに、全ての元凶がある。
喉が張り裂けるほど叫んでいたのは、どちらだっただろうか。
拳を叩きつけた瞬間に響いた音は、場違いなほど澄み切っていた。
耳鳴りと心臓の音がうるさい。アルガンは両目をぐっと閉じて、深く息を吸う。
彼が打ち込んだ力はリムガイの左胸、心臓の傍にあった疑似魔術器官を砕いていた。
リムガイは立ち尽くしたまま動かない。彼の拳はアルガンに届くことなく、だらりと垂れ下がっていた。
やがて彼の体が前のめりに倒れ、乾いた砂が軽く舞い上がる。
「あー……」
リムガイが仰向けになって、悔し気な声を発する。こみ上げてくる湿っぽい感情を、アルガンは喉を鳴らすことで飲み込んだ。
リムガイは許されないことをした。それが分かっていながら胸が苦しくなってしまうのは、自分も同じことをしてきたからなのだろうか。
もっと早く止められていれば、言葉を交わし合えていればという後悔からなのだろうか。
彼と自分は、同じだ。同じなのに、どうして。
「悪いけど、反省なんかしないよ。昔のまま死んだように生き続けるよりは、よっぽど面白かったし。……うん。最後までこんな考え方しかできないから、多分、僕はここでおしまいなんだろうね」
あー、腹が立つほど綺麗な星空。
そんなリムガイの呟きに釣られて、アルガンも夜空を見上げる。
濃紺の絨毯へ光る小石をぶちまけたみたいな、綺麗だけどぐちゃぐちゃに散らかった空だった。子どもがした悪戯みたいだ。
「兄さんの予想通り、父さんは、今王宮にいるよ。なんと大司祭様。すごいよね。会いたいなら、行ってみれば」
「は……?」
状況も忘れ、アルガンは間の抜けた声を発してしまう。それがおかしかったのかもしれない。リムガイは口元をつり上げた。
どう言うつもりで、それを自分に伝えたのか。問いかけようとアルガンは口を開く。
しかし、上手く言葉が出てこない。熱を持っていたはずの指先が、冷たく
「アルガン」
柔らかく空気を震わせたのは、チャッタの声だった。
振り返ると、彼は気を失ったムルを背負いこちらを見つめていた。眉を寄せ形の良い唇を歪めて、今にも泣き出しそうに見える。
何故アンタがそんな顔を。
呆れにも似た感情で、アルガンの唇から苦笑が漏れる。いつの間にか、指先の震えは止まっていた。
そうだ、自分はこちらを選んだのだから。アルガンは大きく息を吸う。
そして、この地にぽつりと、水滴のような言葉を落とす。
「次があったら、別の楽しみを見つけろよ。もうアンタの相手をするのは御免だ」
「うわ、ここでそんなこと言う? 次があるかなんて、誰にも分からないのにね」
喉を鳴らして、リムガイが笑う。時々何かが絡んだような音を立て、苦し気に咳き込みながらも笑っている。
もうアルガンが、振り返ることはなかった。
顔を真っ直ぐ正面に向ける。肩が以前よりも重く感じるのは、その身に背負うものが増えたからだろう。
それでも、腹に力を込めて、大地から引きはがすように足を一歩ずつ踏み出して歩く。
チャッタはずっと、心配そうに自分を見つめていた。潤んだ翡翠色の瞳を見上げ、アルガンは力強く頷いてみせる。
「行こう」
「――分かった」
二人は歩き出す。
広大な、命が芽吹くことのない枯れた大地の向こうへと。
次第にリムガイの気配が小さくなっていく。背後から僅かに熱を感じて、何かがはぜるような音が聞こえてくる。
その音に混じって、微かなひとりごとが風に乗って届いた。
「うーん、そうか……。もし、次があるなら、か」
声が冷えた夜風で散らされ、飛ばされていく。
「僕には、全然、想像もつかないや」
何故かその一言だけが、はっきりとアルガンたちの耳に届いた。
蝋燭の炎が消える瞬間、大きく燃え上がるように。
アルガンの耳元で風が唸り、髪の毛を乱暴に撫でていく。前髪を押さえ、彼は一度だけ足を止めて振り返った。
そこは既に何もなかった。ひび割れた赤褐色の大地に月光が下りていて、ぼんやりと何もない空間を浮かび上がらせている。
細かい塵のようなものがふと、アルガンの目の前を横切っていく。
夜風からは微かに、灰のような香りがした。
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