第66話 何も守れない

 呻き声を上げ、敵が前のめりに倒れこんでくる。毒が効いたのは良かったが、これでは押し潰されてしまう。

 その体を避けようとムルが真横に跳躍すると、後を追うように炎の矢が襲ってくる。いくつかを払い落しながら前に出て、彼は矢を放った相手に針を突き立てた。しかしこれで安心している暇はない。


 ムルは針を引き抜き相手の手首をつかむと、力一杯後方に向かって引き寄せる。

 その体で左側の敵の接近を邪魔しつつ、右手の針で別の敵の剣を受け止めた。相手の刀身がまとった炎が、チリチリと肌を刺激する。

 両手の塞がったムルを仕留めようと、炎の魔術を使う敵が次々に襲いかかってくる。


「やられるわけには、いかない、な」

 ムルは隠し持っていた水を球体にして、足元に浮かべる。そしてそれを思い切り、片足で踏みつぶした。弾けた水は無数の針に代わり、周囲の敵へと向かっていく。

 悲鳴と混乱。その隙に剣を振り払い、敵を何人か沈めつつ離脱する。

 敵が水の針を消そうと魔術を使ったのだろう。ぶつかり合った水と炎で、周囲には真っ白な煙が立ち込めていた。

 ムルは構えを解くことなく、神経を研ぎ澄ませる。


 後、どのくらいの敵が残っているのか。

 細く長く息を吐くと、流れた汗がムルの頬を伝った。戦闘の邪魔になる為、マントは脱ぎ捨ててしまっている。焼けるような日の下で戦うだけでも、体力は容赦無く奪われていく。

 彼は喉を鳴らすと、体に水を薄くまとって肌を冷却した。


 戦闘を開始してから、どれだけ時間が経ったのだろう。集落は焼かれてしまっているが、アルガンの様子を見るに、未だ危険は去っていない。日没まで後どのくらい猶予があるのだろうか。


 この煙に隠れて見えないが、近くでアルガンも戦っているはず。

 今の彼ならきっと、大丈夫。


 ふと首筋に、火傷をしたような痛みを覚える。殺気だ。ムルは振り返りざま、大きく後ろへ跳躍する。

 自分の体を追ってくるのは、対となった二本の大剣だ。紅玉ルビーのように光り輝く刀身。白煙を突き破り、それらを構えて向かってくるのは、イミオンという元神官だ。


 二つの刃が順に横なぎに繰り出されるのを、ムルは身をよじって避け魔術を放つ。水で作られた刃は、イミオンの脇を通り抜け消滅した。


 風が吹いて煙が晴れ、戦場の様子が顕わになる。

 折り重なって倒れる敵と、未だにこちらを睨む数名の敵、そして強い殺気をまとって立ちはだかるイミオン。

 まだまだ気は抜けなさそうだ。


「お前、水を操るのは止めたのか」

「ん? 貴様、どこかで会ったか? 悪いが、覚えて無くてな。ただ、この状況は酷く心地がいい……!」

 喉を鳴らし、イミオンが楽しげに笑っている。以前戦った時とは、少し印象が違うようだ。

 何か根本的にズレてしまったような。


「『炎の魔術の秘密を教えてやる』。そう言われて、協力してやることにしたが……まさか、国そのものがこんな力を隠し持っていたとは。そのことに関して思うところがなかった訳ではないが、この力で下々の者を蹂躙する快楽を覚えてしまえば、目先の地位や名誉など! もう、どうでも良くなってしまうなぁ!」


 彼の表情はどこか、アルガンが力を解放した時と似ていた。目を見開き歯をむき出しにして笑う姿は、悪魔というよりも獣に近い印象を受ける。


「見ろ、このあでやかな刀身を! 炎を生み出し、ただ闇雲に放射するだけでは物足りん。文字通りこの手で炎を掌握し、手ずから操ってこそ誉れがあるというもの!」

 自らの大剣を見つめ、彼は恍惚とした表情を浮かべている。その笑みが獲物を狙う獰猛なものに変わった瞬間、イミオンが大きく地を蹴った。


 左右の腕を振り回し、ムルに斬撃を繰り出してくる。右腕の刃を受け止めたかと思えば、すぐに左の刃が襲ってくる。一つ一つの一撃も重いが、手数も多い。ムルは攻撃を受け流しさばいて、軌道を変えるだけで精一杯だ。

 何せ、隙をついて攻撃に転じようとすれば。


「はっ!!」

 ムルの背を目がけ、周囲にいた別の敵が炎を放ってくる。二股に分かれて襲いくる炎は、彼を抱きしめようとする二本の腕のようだ。

 そちらに気を取られている間に、イミオンが対の剣を合わせ、一際腕を大きく振り回す。

 遠心力を乗せた重い一撃がくる前に、ムルは深くその場にしゃがみこんだ。


「ん?」

 目標を見失い、疑問の声を上げるイミオンの懐に潜り込む。肩を突き出して、その体を思い切り突き飛ばした。

 距離が開いた瞬間、ムルは振り返って襲ってくる炎を水の盾で消す。激しい音と共に白煙が上がる中、彼は再びイミオンへと向き直った。

 平然と立つその姿に、変わった所は見られない。どうやら突き飛ばす時に仕込んだ針は、上手く刺さらなかったようである。


 水はあと、どのくらい残っていたか。

 ムルは針を構え、肩を上下させながら思案する。

 敵の正確な数が分からない中、無駄遣いは禁物。限られた用途にだけ使うようにしていたが、それもいつまで持つか。

 そしてやはり、イミオンが手強い。早々に他の敵を倒し、彼との戦いに集中したいところだ。

 その為に。

 ムルは視線を下げて、地面に落ちているを見つめる。


「休憩は済んだか? すぐに倒れてくれるなよ。張り合いがなくてつまらんからなぁ!」

 イミオンが吼え、飛びかかってきた。少しでいい、動きを封じる。ムルは片手を足元にかざす。

 細長い水が地面から出現し、高く伸びていく。蔦のように絡み合いイミオンの足を拘束した。


「こんなもの、なんの足止めにもならん」

 足止めだけが目的ではない。水の魔術が絡めとったのは、イミオンの足だけではないのだ。駆け出しながらムルは片手を強く引く。水で作った蔦が、足元に転がった敵の剣を絡めとり、宙へ浮かせた。敵の剣をとり、彼は一気にイミオンの隣を駆け抜ける。

 狙いはイミオンの背後にいた別の敵。ムルの接近に気づいた相手が、炎の矢を放つ。


 敵が使っていた刃を強く握り、ムルは全ての矢を叩き落した。炎の魔術を使う敵の武器であれば当然、熱に強いはず。

 彼は敵へ接近すると、奪った剣を振りかぶる。敵がその刃を受け止めた瞬間、もう片方の手に構えた針を死角から突き立てた。

「ぐ……っ」

 瞬時に毒が回り、敵の手から武器が零れ落ちる。ムルは針を口に咥え、針を持っていた手でその刃をも奪い取る。

 残りの敵は、前方と後方に一人ずつ。そして左側からはイミオン。


 ムルは迷うことなく、イミオンと前方の敵に向かって奪った剣を投げつけた。そして自分は身をひるがえし、後方の敵へ向かう。

 口に咥えた針を右手に持ち替え、身を低くして左手を地面へ滑らせる。そこに落ちていた物を握りしめ、瞬時に振り上げた。


 耳障りな金属音が響く。ムルの手に握られた棒状の金属が、敵の剣を弾き飛ばしていた。集落の中で、どこかの支柱に使われていたものだろう。

 できた隙を逃さず、彼は針を振るう。


 敵が倒れていく中、熱に晒され橙色に染まった棒を、ムルは放って投げ捨てた。

 なら、まだいくらでもある。何も金属に限ったことではない。


「燃えろ!」

 向かってきた敵が放射した炎を、体を伏せるようにして避ける。地面に手をつけ、砂を抉るように拳を強く握った。

「ぐっ⁉︎」

 敵の顔面目がけ、ムルは握った砂礫をぶちまける。目を覆って苦しむ相手を、針を使って沈めた。

 これでやっと、残りはイミオンだけだ。


「ふん、なるほどな」

 イミオンが鼻を鳴らして、ひとりごとのように呟く。

「こちらが使っていた武器や鉄屑。挙句の果てには、砂や石ときたか。実に泥臭い。死に際の虫けらが、なんと醜く足掻くものよ」

「何が悪い。俺は今までだって、そうやってきたんだ」

 ヒリヒリと痛む頬を乱暴に拭って、ムルは泰然とした口調で言い返す。頬を拭った手の甲は、赤い色が混じった砂で汚れていた。


「はっ! まるで、戦闘経験が豊富だと言わんばかりだな」

「そう言ってる」

 水を奪い合う人々の争いに巻き込まれ、時に自ら首を突っ込みながらも、ムルはその度に戦って生き延びてきた。

 そうでなければ、大事な約束が果たせない。記憶を失っていても、それだけは分かっていたから。


「ここで倒れたら、アルガンを救えない。俺の大事な約束も果たせない。だから、勝つ。その為に」

 使えるものは、なんだって使う。


「無駄だな」

 思いの外近くで響いた声に、ムルは息を呑む。

 頭上に振り下ろされた二本の大剣を、掲げた針で受け止めた。

 片手では足りず、両手で針を支えているが、質量の差は歴然。腕が悲鳴を上げ、小刻みに震えていた。


「多少の戦闘経験がなんだという。この圧倒的な力の差を前にして、水という脆弱な魔術が勝てると思うか!?」

「この、魔術ちからは」


 ムルの脳裏によみがえる、ある感触。自分の頭を撫でる、大きくて温かい手のひら。

 一体どれほどの願いを込めて、を託したのか。

 弱いはずがない。

 腹の底から湧き上がってくる強い怒りと悲しみ。泣き出してしまいそうな激情に、ムルは喉を震わせた。


「ずっと守って、引き継がれてきたこの力を、俺が憧れたあの人たちの力を。何も知らないお前が馬鹿にするな……!」

 頭に浮かんだ光景が、瞬時に霧散する。

 とは、誰だろう。今、何か大切なものを思い出しかけたような。

 割れるような激痛が頭に走って、ムルは手の力を緩めてしまった。


「――っ」

 イミオンが刃をひるがえし、下から上へ振り切った。指先から零れ落ちていくひんやりとした感触に、ムルは奥歯を噛みしめる。

 場違いなほど澄んだ美しい音を立て、折れた針の破片が宙を舞った。


「ふ、はははっ‼︎ やはり、貴様は虫ケラだな!」

 反動で、ムルは後ろに倒れ込む。

 彼の星屑のような瞳に、狂ったように笑うイミオンが映っていた。





 やはり喧嘩は喧嘩だったのだ。リムガイは手加減していたのだろう。本気で命を奪いにきている彼の攻撃は凄まじく、アルガンは何とか防いで合わせるのがやっとだった。

 決定打を見出せぬまま、見た目だけであれば演舞のような戦いが続いていく。それでもアルガンは諦めず、リムガイを止める方法を探っていた。


 その音が聞こえてくるまでは。


「ムル……」

 状況も忘れ、アルガンは呆然とそれを目で追った。

 ムルの針が折れている。どんな困難にだって、どんな劣勢にだって負けなかった彼の象徴が、無惨に砕かれて散っていく。

 そして倒れていくムルに、イミオンの凶刃が迫っていて。


「よそ見しないでって、言ったよね」

 耳元で低い声が響く。アルガンは腕を振り上げてリムガイの刃を弾く。

 しかし、無理な体勢を取った反動で足がもつれ、肘を大きく地面に打ち付けながら転倒する。それでも目の前の敵より、ムルの方が気がかりで。

 アルガンは体を捻って、彼の方へ顔を向ける。


 ムルは無事だった。しかしその体は仰向けに倒され、逃げ場はない。

 おまけにイミオンの剣を受け止めているのは、魔術で作ったと思われる薄い一枚の盾のみ。向こう側が透けて見えそうなほど薄く、軋んだ音を立てている。

 イミオンが何かに気づいたような表情で、口元を愉快そうに歪めた。


「ほぉ……? 貴様、随分と辛そうだな。それで保つのか?」

 ムルの腕が大きく震えて、盾に走った亀裂が増えていく。イミオンが顎を上げると、それを合図にムルの体が炎に取り囲まれた。

「ちょうどいい。余興だ。貴様が耐えきれず真っ二つになるのが先か、炎にその身を焼かれるのが先か」


「ムル……っ」

 足が、動かない。アルガンが首だけを捻って振り返ると、両足首を炎でできた縄で拘束されていた。

 縄の先には、地面に突き立てられたリムガイの剣がある。彼は無言でアルガンを見下ろしていた。その表情には、暗い影が落ちていてよく見えない。


「兄さん、アイツのことも良いけどさ。気づいてないの?」

「は……? 一体、何が」

 アルガンは目を見開いた。弾かれたように西の空へ視線を向ける。

 緋色の半円を地平に沈めて、日が落ちていく。日が落ちた後は、約束の満月の夜だ。


「そうそう。別の兄弟たちに頼んで、先にをしてもらったんだよね」

 暗いはずの東の空が、赤くぼんやりと光っている。その下で何が起きているかを、アルガンは聞かずとも分かってしまった。


 耳鳴りがして、全ての音が消える。手足が冷たくて一切の感覚がない。動けと自分の体に命じることすらできなかった。

 リムガイが地に転がる小石を蹴りつつ、アルガンの下へ近づいてくる。


「ちょうど良いね。僕らもあの蜂さんがどうなるか見てよっか。無惨に斬られるのが先か、生きたまま燃やされるのが先か。ねぇ、どっちだと思う?」

 リムガイは膝を折ってしゃがみ、アルガンの耳元に唇を寄せる。

 火傷しそうなほど熱い指先が肩に触れ、嬉々とした声がアルガンの心臓を深く抉った。


「かわいそうな、兄さん。あんなに頑張ってあがいたのに、なんにも守れない。全部、ぜーんぶ目の前で奪われちゃうんだね」

 深くて暗い穴の中へ、どこまでも落ちていくようだった。

 やはり、駄目だったのか。

 こんな自分が何かを守ろうだなんて、そんなこと。


「そんなことない。まだ何も、何一つ、

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る