第65話 いっしょに

 暴走することはない。そう言えば、きっとムルは何も言わないはず。

 戦闘中にも関わらず、アルガンは無理矢理口角を上げ笑って見せた。

「そうじゃない。違うだろう?」

 ムルの声は苦しげで、もどかしさが溢れていた。まるで叱られたように、アルガンの顔は強ばり肩が大きく跳ねる。


「他人を傷つけるとか、そういうことじゃない。俺が言っているのはアルガンのことだ」

 ムルの手のひらが、アルガンの両肩にそっと置かれた。いつになく真剣な眼差しに、目が逸せなくなる。

 そういうことじゃない、なら、どういうことだろう。

 

「自分を傷つけるような戦い方は止めろ。本気で力を使う度、苦しい思いをしているくせに、その声から耳を塞ぐな。俺はそんな姿見たくない。ずっと泣いていたんだろう、アルガンは」


 いつも通り、抑揚の少ない静かな声だった。

 それなのに優しくて、憎らしいほどに深く真っ直ぐ、アルガンの胸に突き刺さる。


 ずっと泣いていたと、ムルの声が、今でも記憶に残るあの言葉と重なった。

 今更のように、激しい痛みがアルガンを襲う。

 身体中が悲鳴を上げる中、左胸が一際痛みを感じている。


 物心つく頃から身を焼くような魔術をまとって、ずっと戦いに明け暮れて。

 その日々に喜びを感じながらも、心が焼かれて灰になっていくような感覚を覚えていた。

 楽しいのに苦しい。心地よいのに痛い。何に対する苦しさなのか、誰の痛みなのかも分からない。いつも感情はぐちゃぐちゃだった。


 けれどそれは言い訳にならない。奪ってしまった事実は変わらないのだから。

「だけど、おれは」

「『だけど』じゃない」

 アルガンの言葉をはね除けるように、ムルが首を横に振る。


「たくさんの命を奪ってしまったと悔やむ気持ちも、だからこそ二度と何かを奪わない、奪わせないと思うと気持ちも、とても大事だと思う。けど、俺はアルガンに」

 ムルの瞳が少しだけ、泣いているかのように細められた。


「アルガンに笑っていて欲しいから、ここまで追いかけてきたんだ」

 アルガンが大きく目を見開いた。

 世界から音が止み、胸の奥から熱い何かが込み上げてきて、息ができなくなる。

 自分には、そんな言葉をかけてもらう資格なんてないのに。

 ない、はずなのに。


「――兄さん‼︎」

 焦れたようにリムガイが叫ぶ。彼は激しい憎悪を宿した眼差しで、ムルを睨みつけていた。

「兄さん、なんで僕の話は聞かないくせに、そんなやつの話を聞くのさ!? 兄さんは、僕の兄弟で僕の仲間だろう!? 炎の悪魔同士、兄さんの居場所はだろう⁉︎」


 幼い子どものような独占欲をむき出しにして、リムガイがアルガンを見つめている。それはどこか縋るような眼差しだった。

「アルガンは悪魔じゃない」

 何も言えないアルガンを押し退けるようにして、ムルが一歩前に出る。

 僅かに震えたその声は、珍しく怒気を孕んでいるように聞こえた。


「許されないことをしたかもしれないけど、アルガンはずっと苦しんでた。これから何ができるだろうって必死で考えて、今度は誰も傷つけないように、悲しい思いをさせないように、悩みながら力を使ってきたんだ。そんな優しいアルガンを、お前と一緒にするな」

「ムル……?」

 上手く思考が追いつかず、アルガンは呆然と彼の名を呼ぶ。

 ムルはほんの僅かに目尻を下げて、力強く頷いた。


「今のアルガンは十分強い。そんな無茶をしなくても、絶対にリムガイを止められる。それに今は、俺もいる」

 アルガンの左手を、ムルの両手がそっと包み込む。一瞬の激痛の後、ひんやりとした感覚と共に、左手の痛みが和らいだ。


「俺は全てを知っている訳じゃない。だから、アルガンの苦しみや悲しみを、ちゃんと理解することはできない。でも精一杯、今の俺にできることをするから」

 見ると、左手に半透明な布のようなものが巻かれていた。ムルが魔術で作ってくれたのだろう。


「一緒に、戦おう」

 ムルはアルガンの左手を離すと、今度は右手だけを差し出してきた。まるで、握手を求めるような動作だ。

 彼の顔と自分に差し出された右手へ、アルガンは交互に視線を移動させる。


 一緒に、いても良いのだろうか。

 ふと、アルガンの頭に、自分のことを悲しげに見つめる翡翠の瞳が浮かんだ。ここにはいない、大切な仲間。ムルはいずれチャッタの下へ帰るだろう。

 そうすれば、すぐにムルともお別れだ。チャッタはもう、今までのように自分と接することはできないだろうから。

 結局、ずっと一緒にはいられない。だとしても。


 アルガンは自分の右手を恐る恐る持ち上げる。

 もう駄目だ。ムルの言葉を、ふいにすることなんてできない。それは彼が精一杯の想いを込めて、ぶつけてきてくれたものだから。

 何よりも自分自身が、その手を握ることを渇望していた。


 罪を忘れるなんてことはしないから。彼らの仲間に戻れるなんて、都合のいいことは考えないから。

 今ここで、彼の手を取ることくらいは、許されても良いだろうか。


「にいさん……?」

 リムガイのか細い声が、空気を震わせる。彼の声に惑わされることなく、アルガンはムルの右手を強く握った。

 相変わらずひんやりとした、水を操る者の手だ。

 ムルが軽く息をついて、頷く。

「ありがとう。アルガン」


 お礼を言うのはこちらなのに。アルガンは落ち着かない気持ちになって、思わず視線を逸らす。

「だけど、その、戦うって言っても、アンタも結構ボロボロじゃん。大丈夫なのかよ?」

「さっきまでラクダの上で寝ていたから、大丈夫だ」

「寝てたのか」

 全身から力が抜けて、口元が少しだけ緩む。

 その懐かしく感じるやりとりだけで、アルガンの胸に暖かな感情が満ちていく。

 まだ戦える。そう信じることができた。


「そんな、兄さん……」

 大きく息をのむ音が響き、二人は音の方へ顔を向ける。

 リムガイが唇をわななかせて、両拳を思いきり握りしめていた。

 ただならぬ気配に、アルガンたちは一歩も動くことができない。虫が背筋を這いずり回るような、身の毛もよだつ感覚に襲われた。

 リムガイの異常な雰囲気は、何だ。


 糸が切れたように、リムガイの両腕がだらりと弛緩する。

 やたらと大きなため息の後、彼は顔を上げ白銀の髪の毛をぐちゃぐちゃにまぜっかえした。


「あー、あー。そうなんだね。兄さんはに行っちゃうんだ」

 もう一度わざとらしくため息を吐いて、彼はこちらを流し見る。

 砂金色の瞳には、月明かりとも言えない暗い光が宿っていた。


「じゃあ、もう良いや。父さんには最悪、兄さんの『魔術器官さえあれば良い』って言われてたし。はぁ……せっかく僕が仲間に引き入れるからって、交渉してあげたのに。全部兄さんが悪いんだからね」


 枯れた砂地を太陽が熱く照らす中、リムガイの周囲だけが冷やされていく。

 今までアルガンに注がれていた熱が、そのまま全て反転したような冷気だ。


「兄さんとソイツ、いや、全部燃やして、中の魔術器官だけ回収させてもらっちゃおう。そう言えばソイツ、蜂さんみたいな魔術を使ってたやつだよね。持って帰れば、父さんが喜んでくれるんじゃないかな!」


 一人で納得し、喜んでいるリムガイから殺気が膨れ上がる。全身にまとわりついて、それだけで足がすくんでしまいそうだ。アルガンは奥歯を噛みしめて、ムルと共に身構える。

 リムガイが高らかに笑いながら、両手を大きく広げた。


「そういう訳で、っちゃおうか! ほら、兄弟たちもそろってきたことだしね」

「は!? 今、なんて――」

 背後を振り返ったアルガンは絶句する。


 リムガイの殺気に紛れて気がつかなかったが、いつの間にか挟まれている。

 今夜、近隣の集落を襲うために、集まってきた兄弟たちだろう。

 誰も彼もが体の中に同じ気配をまとわせていた。


 この数、しかも、全員が炎の魔術を使うとなると、かなり厄介だ。アルガンは敵から視線を逸さぬまま、ムル向かって叫ぶように問う。


「ムル、一緒に戦うって言ってくれたけど、一体どうするつもりだ! 炎の魔術とは相性が悪いだろ!?」

「なんとかする」

「なんとかって……」

 水の魔術を使えるとは言っても、ムルの水は有限だ。いくら炎を消そうとも、炎を生み出せる敵が次々に向かってくる。

 なんとかする、とは言うが。


「とにかく、アンタは借りを返したいかもしれないけど、リムガイの相手は俺がやるからな!」

「気を遣ってくれてありがとう。無理はしないって約束してるから」

「約束ぅ!? 一体誰と」


 アルガンの声を遮って、取り囲んでいた兄弟たちがこちらに飛びかかってきた。

 かざしたそれぞれの手のひらから、炎が生まれ踊り出す。なぶられれば火傷ではすまないだろう。

 アルガンは咄嗟に、ムルと炎の間に割って入るため足を動かした。


「だぁめ、兄さんはこっちだよ」

 迫る声に振り返れば、リムガイの刃がアルガンを貫こうと迫っていた。

 その攻撃を受け止めている間に、ムルが炎に囲まれ、飲み込まれていく。


「ムル⁉」

「大丈夫だ」

 炎の壁の向こう側で、ムルの淡々とした声が響いた。くぐもった悲鳴と、何か重たい物が倒れたような音も聞こえてくる。

 リムガイの剣を押し返し、アルガンが目の前で燃え盛る炎を払うと、無傷で敵相手に針を振るうムルの姿があった。


「一体、どういう」

「よそ見して勝てる相手だと思われてる? 心外だねぇ!」

 リムガイが吼えて連続で剣を突き出してくる。防ぎ損ねた刃が、左の肩に浅く傷をつけた。

 リムガイの言う通り、集中しなければやられる。


「そっちは任せたからな! 言っとくけどソイツら、まだまだ増える可能性がある! 油断すんなよ⁉」

「ああ」

 アルガンが一瞬だけムルへ視線を向けると、彼の腕に迫った炎が、その皮膚を焼く前に自然とかき消えていくのが見えた。

 その隙にムルは相手の懐に飛び込むと、針を相手に突き立てる。


 何をしているかは分からないが、これなら勝てる。

 アルガンが安堵のため息を漏らしたその時、澄んだ音と共にムルの針が宙を舞った。


「ムル⁉」

 リムガイの攻撃を受け止め、アルガンは悲鳴のような声を上げる。

 彼の前に立ちふさがっている男は、どこか見覚えのある容姿をしていた。


「うそ、だろ? アイツ、まさか……⁉︎」

「ん? ああ、もしかして知り合いだった? 元々、擬似魔術器官を複数宿せる素質の持ち主だったみたいだからね。今度は炎だからどうかと思ったけど、結構上手く混じり合ったみたいだよ。もちろん、僕らほどではないけどね」


「イミオン……」

 ある少女のペンダントを巡って戦った、神官イミオン。裁かれているはずの彼が、身の丈ほどの大剣を両手に、ムルを見下ろしていた。

 

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