第64話 守りたいものができたから(※)

 体の熱が急激に上がって、動機が激しくなる。脳が痺れ、熱に浮かされたような苦しさがアルガンに襲いかかった。

 ここまで力を解放したのは、いつぶりだろうか。しかしまだ快楽に抗う理性は残っている、大丈夫だ。

 アルガンはゆっくりと両目を開く。

 

 日が昇り、淡い光に照らされ始めた大地が、熱で揺らいでいる。正面には、やけに瞳を輝かせたリムガイが立っていた。

「これが、あの頃の兄さんなんだね……!? すごいや、なんて強くて綺麗な炎なんだろう」

 綺麗という言葉で、アルガンは片眉を上げた。軋んだような音を立てて、強く歯を食いしばる。

 

「『綺麗』だと……? ふざけるな!」

 叫んだ彼の足下から、勢いを増した火柱が上がった。ぐるぐると螺旋階段のように、彼の周囲を取り巻いていく。

 綺麗という言葉は、こんな力に対して使って良いものじゃない。

 無性に苛立って周囲の熱量が更に増した。とにかく早く目の前の敵を倒して、元凶の下へ。

 だから、邪魔だ。ここにいる存在何もかもが。

 アルガンの様子を見たリムガイが、嬉しげに唇を歪めた。


「いや、綺麗だよ。僕にとってはね」

「はっ! それは目がおかしくなってんだろうな!」

 目を見開き嘲笑すると、アルガンは天に向かって片手を掲げた。

 周囲の炎が集まり、彼の身の丈ほどもある火球が生まれる。火の粉の向こうに、リムガイが炎をまとわせた剣を構え、防御体制をとっているのが見えた。

 しかし、これは彼に対する攻撃ではない。

 アルガンは指を鳴らす。火球は破裂し、周囲に無数の火の雨が降り注いだ。

 

「鬱陶しいんだよ、のんきに見物しやがって! これで少しは大人しくなるだろ!?」

 戦いを見学していたたちは、突如降り注いだ火の玉へ対応するため散り散りになっていく。

 防ぐ者、避けようと距離を取る者、流れ弾にあたり悲鳴を上げる者、反応は様々だ。兄弟と言っても、炎への耐性はリムガイほどではなさそうである。

 

「なるほどねぇ。うん。僕も派手なのは嫌いじゃないよ!」

 火の雨を掻い潜り、リムガイが駆け寄ってくる。ある程度距離を保った所で足を止め、剣を持った腕を後ろへ引く。

 彼は軽く息を吐き、素早く剣を突き出した。

 刃から放たれた火炎が、大地と平行に朱い軌跡を描いていく。

 

「はっ! 確かに派手さだけはあるな」

 アルガンは嘲るように呟いて、腰を低く落とす。リムガイの斬撃が間合いに入ってくる寸前、右腕を大きく回して、相手の炎を絡めとった。

 アルガンとリムガイ、二つの炎がぶつかり融け合う。間髪入れずアルガンは、膝を深く曲げて地面を蹴り、リムガイに駆け寄った。

 

 跳躍して左足を大きく回し、相手の頭部を狙う。視線を僅かに下へズラせば、リムガイが剣を構え、攻撃を防ごうとしているのが見えた。

 アルガンはほくそ笑む。

 蹴りは囮で、本命は右手に込めた魔術だ。


 先ほど奪ったリムガイの炎も合わさり、右拳は強い熱を放っている。予想通り左足を受け止められた瞬間、アルガンは死角から拳の魔術を解き放った。

 炎は真っ直ぐ相手の喉元に伸びていき、突如、何かに阻まれたように霧散する。

 

「なっ……」

 目を丸くし、アルガンは慌てて距離をとる。

 鼻先を、リムガイが横薙ぎに振るった刃が通りすぎていった。

「兄さん、そんな炎じゃ僕には届かないよ! ちょっとした火なら、勝手に防いでくれるようにしてあるからね。そうでないと、自分の炎で火傷しちゃうじゃない」

 

 アルガンは荒く息を吐き、渇いて貼り付いた喉を引き剥がす。

 リムガイは火に耐性があるというより、周囲に壁をまとわせてその身を守っているのだ。

 常に魔術を使い続けるのは、かなりの力を消耗するはずなのに、どんな体力だろうか。

 どうする。自分も何か別の武器を作るか。いや、慣れないことをしても勝てない。

 だったら。

 

「その壁、力押しでぶち壊してやる」

 全力をかけて壁を突き破るのみだ。火力を上げて、効果的に攻撃を叩き込む。

 邪魔をする者を、叩き潰して蹂躙していけ。今までだって、そうして来たのだから。

 アルガンは口の端を持ち上げて笑った。

 

「『ちょっとした火なら』防げるんだろ? だったら、ちょっとしてない火でもくれてやるよ!!」

 吼えて強い炎を生み出すと、命そのものを燃やしているような感覚に襲われた。


 ここまでの強行軍、そしてリムガイとの戦闘で、かなり身体に負荷がかかっている。

 体が上げる悲鳴は聞こえないふりをして、ただ目の前の敵を燃やし尽くすのだと強く願う。

 アルガンから生まれた豪火が、波のように地を走った。敵を飲み込もうと、音を立てて向かっていく。


「ふぅん、確かにあれは当たったら熱そうだ!」

 リムガイは両手で柄を握ると、地面に思い切り剣を突き立てた。

 炎の波が剣を境にして二つに割れ、リムガイの背後へと抜けていく。


 しかし、これで終わりと思ってもらっては困る。既にアルガンは、次の一手のため動いていた。

 僅かに見開かれたリムガイの瞳に、嗤う自分の顔が映っている。

 熱く全身を滾らせてその熱を、右手の拳へ。

 現時点で全ての火力を注ぎ込む。


「うおらぁっ‼︎」

 声を吐き出すと同時に拳を振り上げた。リムガイの鳩尾に向かって、鉄をも溶かす高温の拳を叩き込むのである。


 アルガンの視界の端に、下から向かってくる刃が見えた。リムガイが咄嗟に、剣を差し向けてきたのである。

 やはり対処してくるか。

 しかし、それはそれで想定内。

 アルガンは歯を見せて笑うと、自分の体に迫る刃を

 

「え……」

 初めて動揺の色を見せたリムガイの腹に、アルガンは渾身の一拳を叩き込む。

 濁った音と苦しげな呼吸が、リムガイの口から吐き出された。


「さすがに、これだけ全力でぶん殴れば、効くみたいだな……!」

 握った刃が熱を増し、アルガンの左手から抜け出そうと暴れ始める。

 逃がさない。

 刃を握る手の力を更に強めた。


 右拳に全火力を集中させていたため、左手はほぼ生身の状態。手の内側に激痛が走り、ぬるりとした液体が手首に伝う。

 それを構うことなく、彼は再び右拳を振りかぶった。

 

「すごいね、兄さん! 僕以上にぶっ飛んでるじゃない、か!?」

 アルガンの頭に鈍痛が響く。目の前でパッと火花が散る。リムガイが自らの額を、思い切りぶつけてきたのだ。

 思わず左手を緩めてしまった隙に、ぬるりと刃が抜け出て離れていく。

 

「痛っ! 兄さん、意外と石頭なんだねぇ……」

 リムガイの苦しげな声が、頭に反響して響く。ずっと痛みが続いているのは、リムガイの一撃のせいだけではないだろう。

 アルガンは怪我をしていない方の手で、額を抑えた。


 視界が回り、吐き気を覚える。しかし倒れるわけにはいかない。まだ敵は立っているのだから。

 アルガンが頭を振って顔を上げると、リムガイが呆れたような、咎めるような口調で言った。

 

「ちょっと、兄さん。あんまりボロボロになっちゃうと、仕事に差し支えるんだけど。兄さんの力は十分堪能できたし、そろそろ止めにしない? 仕事の決行はもう今夜なんだしさぁ」

「しつこいな、何度も、言ったはずだろ⁉︎ 俺は仲間にはならない。アンタを倒して、アイツの、アブルアズの所へ行って」

 喉が詰まって、アルガンは激しく咳き込んだ。胸を押さえ、息を長く吐き、煩い心臓を落ち着かせようとする。

 まだ自分は戦える。ちゃんと、自分のままで。

 

 ふと、ムルたちと出会った時のことを思い出す。

 あの時も全力を出したが、力を開放できた快感に振り回され、大切な物まで壊してしまいそうになっていた。今の自分は、ちゃんと力を制御できている、戦えている。


 少しは成長できたのだろうか。自分にも、守りたいものができたからなのかもしれない。

 そうなら、良いな。

 アルガンはこんな状況にも関わらず、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「もう炎の悪魔なんて存在は、全て終わらせるんだよ!」

 どれだけ傷ついても良いのだ。元凶と戦えるだけの余力があれば、


 ムルたちに何かあったら。既に捕らわれ、最悪の事態に陥っていたとしたら。

 そう思うと恐ろしくて堪らなかった。

 自分の身がどうなろうとも、彼らのことは絶対に守りたい。

 

「いい加減にしなよ。兄さんは僕と同じこっち側の人間だろ? ずっと楽しそうに戦って、笑ってるんだからさ」

 リムガイは理解できないというように、首を振る。

 例え、彼と同じだとしても。

 アルガンは喉が裂けるほど強く声を張り上げた。


「もう俺は! 昔みたいに、罪のない人を傷つけたりはしな」

「また、泣いてるのか」

 突然、背後から声が響いた。別れてからそれほど立っていないはずなのに、懐かしさすら覚える声。

 驚きと疑問と、喜びが、アルガンの目の縁をじんわりと熱くしていく。

 

「無理はするなと、言っただろう?」

 頭上に、冷たい手のひらが乗った。その優しげな感触に覚えがあり過ぎて、アルガンはゆっくりと背後を振り返る。


「は……」

「ごめん。遅くなった」

 目深に被ったフードの中から、星屑を集めたような瞳が覗く。

 ムルが、そこに立っていた。


 声色も立ち姿もしっかりとしていて、あんな重傷を負った後とはとても思えない。

 安堵感が、アルガンの胸にじわじわと広がっていく。

 

「は? なんで、なんでお前がここにいるんだ⁉︎ 父さんが、ちゃんと手練れを向かわせたって言ってたのに、ここまでたどり着いてしまっているじゃないか⁉︎」

 話が違うとばかり、リムガイは苛立ち親指の爪を噛んでいる。


 そうだ、アルガンはハッと息を呑む。

 よく見れば、ムルの頬にはいくつかの傷が走っている。別れた時にはなかった傷だ。ここに来るまでの間に、誰かと戦ってきたのだろう。

 一瞬喜んでしまった心を誤魔化すため、アルガンは左胸の辺りの服を皺ができるほどに握った。


「アンタ、チャッタから話を聞いたんだろう⁉︎ なんで俺を追ってきた? それに、あの時の怪我は、まだ治ってなんかないんだろ⁉︎」

「俺が追いかけてこないとでも思ったのか? 俺は直接アルガンと話をしたわけじゃない。チャッタから聞いた理由だけじゃ、納得できなかったから」


 不満気に告げる言葉は、どこまでもムルらしい。アルガンは思わず閉口してしまう。

 それでもやはり危険だ。彼を自分の事情に巻き込みたくない。

 

「無事だったことは良かった、けど、これは俺の問題だ! アンタは引っ込んで」

「怪我をしてるのか」

 またもや言葉が遮られる。

 ムルはアルガンの左手を見て、僅かに目を見開いた。そして、自分の両手で包み込むようにしてアルガンの手を取る。


「ここだけじゃないな。ボロボロだ」

 ムルはまるで、自分が怪我をしたような顔をしていた。居た堪れなくて、アルガンは乱暴に彼の手を振り払う。

 

「良いんだよ⁉︎ 無茶をしないとアイツの凶行は止められない! 止めないと、大勢の人が死ぬんだぞ⁉︎」

「それで、こんな戦い方をしたのか?」

 ムルの目を見つめて、アルガンは自嘲気味に薄ら笑いを浮かべる。

 そうだ、とにかくムルをここから遠ざけなければ。今度こそ、取り返しのつかないことになるかもしれない。

 

「ああ、そうだよ。でもな、俺、力に振り回されることはなくなったんだ。暴走することはないから、アンタに止めてもらう必要もない。だから安心して良い。俺に任せて、アンタは下がってろよ!」

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