第63話 炎と炎
空気を裂く鋭い音が響き、松明の炎が揺らめく。一瞬、全ての音が止んだ後、アルガンたちのいる天幕が音を立てて崩壊した。
分厚い布地や支柱は全て裁断され、地に折重なって炎に包まれていく。豪華な刺繍に黒いシミが広がり、瞬く間に灰となる。
火の粉が舞う中、赤橙の灯りに照らされたリムガイが楽しげな声を発した。
「あははっ! 流石だね、兄さん! 仕留めるつもりでやったんだけどな」
アルガンは前に突き出した右手を握り、炎の壁を消す。リムガイの斬撃が放たれた瞬間、アルガンも咄嗟に炎を出し、攻撃を相殺したのである。
周囲を埋め尽くす熱風が、彼の頬を撫でていく。相変わらずそれを、心地良いと感じる自分がいた。
轟々と燃え盛る炎が爆ぜる。その音に混じって、慌ただしい足音が聞こえてきた。
突然崩壊し炎上を始めた天幕を見て、リムガイの仲間たちが駆けつけてきたのである。
「リムガイ。何があった?」
燃える瓦礫の向こうから、一人の男が声をかける。アルガンをここまで案内した男だ。
驚いていると言うよりは、咎めている、もしくは呆れているような声だった。
「あー、何も問題ないよ。ただの兄弟ゲンカだからさ。それより、絶対に邪魔しないでよね!」
後のことはよろしく。
そう告げたリムガイに、声をかけた男は軽くため息をついた。ため息の音すらはっきりと判別できるほど、周囲に余計な雑音は聞こえない。
炎が燃える音以外、誰も動揺したり騒いだりする様子がないのだ。
アルガンは周りの視線が、自分に集中するのを感じていた。
恐らく自分を観察、いや、品定めをしている。彼らは炎の擬似魔術器官を宿した、
最高傑作であると言う『アルガン』がどれほどのものか、興味があるのだ。
嫌悪感で吐きそうだ。舌打ちしたアルガンは、唾液を飲み込む。
「そんな余裕で良いのかよ? 言っとくけど、俺は本気でアンタを燃やす気でいくからな」
「望むところだよ、アルガン兄さん。せっかくだし、全力でね」
リムガイが抜き身の剣を携え、にっこりと微笑む。とてもこれから、命のやり取りをするとは思えない表情だ。
彼の剣は、細身の両刃で先が鋭く尖っている。一般的な兵士が持つ湾曲した剣とは、大分形状が異なるようだ。
炎の魔術と合わせて使用している所から見ても、彼のために作られた特別製なのだろう。
ただの武器以上に、注意しなければならない。
「じゃあ、行くよ」
言葉とは正反対の素早さで、リムガイが地を蹴った。剣を握る指の間から、赤い光がこぼれ出る。
豪炎が刀身に巻きついていき、彼の剣が炎そのもののように変わっていく。
彼はそれを、間合いの外から勢いよく振り下ろした。
とぐろを巻いた炎が、まるで生きた大蛇のように迫る。牙をむき、アルガンを飲み込もうと一直線に向かってきた。
来る。
アルガンは両腕に炎を纏う。端から見れば、まるで彼の腕が燃えているように見えただろう。
何かを放り投げるような動作で、アルガンは腕を交互に前方へ振るった。
生まれ出た火球が、次々と大蛇に飛来する。炎同士がぶつかり、うねり、周囲に朱い火花が咲く。
大蛇の動きは、止まらない。
「はっ! 大蛇なら一度戦ってんだよ」
軽口を叩きつつ、アルガンは腰を落として片足を後ろに引く。右手の指先を揃えて素早く、空間を横に裂くよう動かした。
三日月形の炎が放たれ、大蛇と接触。首もとを上下に断たれ、炎の大蛇は宙へ霧散した。
それを確認するやいなや、アルガンは右手を正面に突き出し身構えた。
炎の残滓を目眩しに、刃を振りかぶったリムガイが目の前に迫っていたのだ。
この間合いなら回避できる。そう判断したアルガンは、後ろに飛び下がりつつ炎を放つ。
弓矢のように宙を貫いた炎は、吸い寄せられるようにリムガイの額へと向かう。
しかし、剣であっさりそれを打ち落とすと、リムガイはアルガンへ肉薄する。
鈍い音が響き、腕に衝撃が走った。
「へぇ、本当にそんなに大きなヘビさんがいるなら、僕もお相手してもらいたかったな! 倒し甲斐がありそうだ」
「あれもアンタの大好きな兄弟だったぞ⁉︎ 倒すのかよ」
額の前で両腕を交差させ、アルガンはリムガイの刃を受け止めていた。腕には自ら生み出した炎を纏わせている。
炎で造った即席の籠手と言ったところだ。
「え⁉︎ 父さん、いつの間にそんな面白そうなことしてたんだろ。炎の大蛇とか、正に化け物じゃない!?」
「アンタが……言うなよ……!」
アルガンは腕を上へと押し出し、同時に纏わせた炎をはじけさせる。
破裂音と共に爆風が舞い、リムガイの体が後ろへ吹き飛んだ。
しかし、あれぐらいでは大した怪我は追わせられない。追撃しなければ。
アルガンは右斜め前へ跳躍し、爆風を隠れ蓑にリムガイの死角へ回り込む。空中で体勢を整えて、炎を纏わせた拳を力一杯振り下ろした。
感じたのは、腕を痺れさせる固い手応え。
「甘いね、兄さん」
耳元まで高く掲げた刀身で、アルガンの拳は受け止められていた。
通常の鉄であれば熱で変形してもおかしくないが、やはり熱には格別強くできている。
アルガンは防がれた拳を引き、次いで反対側の拳を放つ。そちらにも魔術の炎を込めて放つが、その拳は手応えを感じることなく空を切る。
リムガイが軽く後ろへ跳躍し、アルガンの間合いから抜け出していた。
ならば。
前のめりになった勢いのまま、アルガンは両手を地につける。そのまま、指先に意識を集中させ、地に炎を這わせた。
大地に走った熱線は、リムガイの元にたどり着いた途端に爆発、天を貫くような火柱を上げた。
円柱状に燃える炎の向こう側に、黒い影が蠢く。驚愕と恐怖がアルガンを襲った。
「まだまだ。ぜんぜん温いよ、兄さん」
平常時と変わらぬ声が響き、火柱に無数の切り口が刻まれる。
火柱が弾けて消えたそこには、少しだけ衣服の端が焦げたリムガイが微笑んでいた。
「手加減しなくて良いんだよ? 最高傑作の力、ちゃんと僕に見せてよ」
炎の魔術の使い手だ。火に耐性はあると思っていたが、まさかここまで無傷とは。
アルガンは奥歯を強く噛んだ。
「あ。でも本当に死んじゃったら困るな。お互いに仕事ができなくなっちゃうし。兄さんと喧嘩するのはとても楽しいけど、僕やっぱり一緒に仕事がしたいんだよね。……ねぇ、僕の勝ちってことにして、負けた悔しさはどっかの誰かにぶつけるって言うのはどう?」
リムガイは名案だとばかり明るく笑い、アルガンに片手を差し伸べる。
仲間にはならない。そう言ったはずなのに、この男は何だ。どうしてこんなにも。
「なんでアンタは、俺に執着する!? 俺と、会ったこともなかったんだろうが!?」
見た目よりも幼い言動と行動。その無邪気な狂気は底が知れず、アルガンは彼を純粋に恐ろしいと思った。
リムガイは意外そうに瞬きをすると、三日月のように瞳を細める。
「父さんがね、兄さんのことを教えてくれたんだよ。僕と疑似魔術器官の融合はかなり上手くいったけど、それ以上に最強の炎の悪魔を、過去に生み出したことがあるんだ、ってね」
最強の、炎の悪魔。本当なのだろうか。
目の前にいる男よりも、過去の自分は恐ろしかったのだろうか。
全身が拘束されたように強張り、肩が大きく跳ねた。
「ああ、嫉妬とかじゃないんだ。むしろ父さんにそこまで言われる兄さんに、会ってみたいって気持ちが強くなっちゃってね。原因不明で眠り続けてるって聞いてたから、早く起きて一緒に遊べないかなーって思ってたんだ。でも研究所が爆発して、行方不明になったって言うからさぁ。それからずっと兄さんを探してたんだよ!」
だから、出会えた時は、本当に嬉しかったんだ。
そう言って、リムガイはパッと明かりが灯ったような笑みを浮かべる。
お伽噺の
そして彼にお伽噺を語ったのは、
「アンタ、それで良いのかよ? 父さん父さんって慕ってるけど、アイツは俺たちを利用してるだけだぞ!?」
「利用? 別に、どうでも良いよ」
リムガイはあっさりと告げると、どこか遠い目をして空を見上げる。
「僕はねぇ、昔は身体が弱かったんだよ。本当にいつ死んでもおかしくなかったんだ」
いつの間にか紺碧の空は滲み、星は輝きを潜めていた。夜明けが近いのだ。
「一応司祭様の家の子ってことで、大事に大事に、最低限の水と食料で死なない程度に飼い殺される日々。生きているだけで寝台からは出られないし、話し相手もいない。楽しいことなんて何にもなかったよ。こっちはそんなこと、望んだわけじゃないのにさぁ‼︎」
リムガイの体から黒々とした殺気が湧き上がり、すぐに成りを潜めた。
彼は視線をアルガンに戻す。どこか熱に浮かされたような表情をしていた。
「でもね、そんな僕を父さんが救い出してくれたんだ」
今ならきっと彼を攻撃できる。
そう思うのに、アルガンの足は縫いつけられてしまったように動かない。
「炎の魔術のおかげで、僕は信じられないくらい元気になった。たくさん動いても疲れなくなったし、病気にもならない。楽しいこともいっぱいできるようになった! これも父さんのおかげだよ」
アルガンは炎の悪魔になるより以前のことを、全く覚えていない。物心ついた時にはそうだったし、百年以上も前のことだ。記憶も薄れてしまっている。それでもアルガンにとってアブルアズという男は、自分を悪魔に堕とした憎むべき存在でしかない。
しかしリムガイは違う。
心の底から、彼は父親を慕っているのだ。
「僕を飼い殺しにしてた連中が、みんなみーんな灰になった時は、最高に楽しかったよ!」
くすくすと笑うリムガイを見つめ、アルガンは手の内側に爪を立てる。
「アンタに、何があったかなんて知るかよ⁉︎ 他人から奪うことを楽しむなんて、認められるわけがない! 俺は、絶対に許さない!」
「兄さんもずっと、同じことをしてきたのに?」
一瞬、押し黙った後、アルガンは震えながら声を張り上げた。
「ああ、そうだよ! 俺も許されないことをした。本当はアイツらの傍にいていい存在じゃないんだよ!!」
本来幸せなんて感じちゃいけない。ずっとあのままでいたいなんて、願ってはいけなかったのだ。
結局、自分のせいで彼らを危険に晒してしまっているのだから。
「――なぁ、仮に俺がアンタらの仲間になるって言ったら、手配書を取り消してくれるのか?」
「え!? それは願ったりかなったりだけど……んー、手配書に関しては父さんに聞いてみてもらわないと。僕の一存ではなんとも」
つまり、早くこの場を突破し、アブルアズの下へ行かなければならないのか。
最初から、そのつもりだ。
アルガンは徐に立ち上がり、息を長く吐いた。内側で暴れ続けていた熱を一気に解放する。
彼の周囲に炎が渦巻き、周囲でくすぶる炎を巻き込んで、次第に大きくなっていく。
「うわぁ!? すごいね、兄さん! すごい火力だよ! そうか、やっと本気になってくれたんだね⁉︎」
構うことはない。ここには、敵しかいないのだから。
地平から太陽が、徐々に顔を覗かせる。乾いた大地が白光に照らされていく中、俯いたアルガンの顔には暗い影が落ちていた。
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