第62話 対極

 煌々とした光を湛え、月が紺碧の空に浮かんでいた。それはどこか『弟』の瞳を思い起こさせて、アルガンは思わず歯を食い縛る。


 リペを経ったアルガンは、休む間も惜しんで砂漠を駆けた。自分の中にあるのと同じ疑似魔術器官モノ、その気配を糸のように手繰り寄せていく。必ずこの先に、リムガイがいる。

 リペに着いた時に感じていたあの胸騒ぎは、きっと彼の存在を感じていたからだ。


 約束の日までは後一日。特殊な身とは言え所詮は人の足、何より高低差のある道程で思ったよりも時間がかかってしまった。


 真横で戦慄く夜風は冷えていて、アルガンの体温を奪っていく。しかし失う側から、更に熱く、身体の中で炎が燃えて体を滾らせている。まるで昔に戻ったようだった。

 不意に心臓が大きく脈を打つ。

 反射的に思った。近い。


 大地に突出した岩盤を上り、アルガンは前方へ目を凝らす。深い藍色の地平を背後に、行く先がぼんやりと赤く光っていた。

 視界を開けるため、フードを後ろに流す。すると夜風に紛れて、炭と鉄の香りが鼻をついた。

 一気に身体が冷えていく。

 アルガンは目立たぬよう身を屈めながら、慎重に明かりの元を目指して駆け出した。




 

 人がいる。それも一人や二人ではない。

 アルガンは近くにあった岩石の後ろに身を隠した。

 慎重に周囲を探り、顔色を変える。


 何かを囲うように立てられた柵、その内側で松明の明かりが照らすのは、真っ黒な灰と煤の山だ。

 僅かに燃え残った木片や、熱で溶けて不自然にくっついた金属片が、歪な芸術品のように置かれている。

 まるでその場所を守るかのように、武装した男女が柵の中を巡回していた。いずれも目元以外を布で覆い隠している為、表情は見えない。

 その立ち姿に、一切の隙はなかった。


 まさか。思わずアルガンは夜空を見上げる。

 ごく僅かな違いだが、確かに満月ではなかった。

 ならば、どうして。


「アルガンだな」

 淡々とした低い声に、アルガンは振り向きざま腕を振り上げる。反射に思考が追いついたのは、拳に確かな手応えを感じた後だった。


「な、なんで……?」

 相手はアルガンの攻撃を避けなかったのである。彼の拳はまともに男の左頬を捉えていた。

 拳を下ろすと、自分の拳と相手の頬の色が変わっている。しかし男は、何事もなかったかのように淡々と口を動かした。


「リムガイが待っている」

 アルガンを見下ろす瞳には、正気がない。まるでよくできた人形を相手にしているようだった。

 いくらか遅れて、アルガンは訝しげに眉を潜める。


「『待っている』……?」

「着いてこい」

 そう告げた男は、踵を返して柵の方へ歩いていく。

 あっさり向けられた背には、殺気も敵意も感じられない。着いてこいとでも言うようだった。

 アルガンは自分の右手に視線を落とす。

 熱を持って痺れたその手を握り、彼は男の後に続いて足を踏み出した。

 


 男はアルガンを柵の中へと導いていく。その間、武装した男女とすれ違ったが、彼らはアルガンを気にした様子はない。改めて気配を探ると、彼らの体にも擬似魔術器官の反応があった。

 込み上げてくる嫌悪感を、アルガンは舌打ちをすることで誤魔化す。


 ここはやはり焼け落ちた集落のようだった。元から約束など守るつもりはなかったのだろうか。

 自らの右手首を強く握り、怒りを抑えていると、やがて大きな天幕の前へ辿り着いた。


 松明の炎に照らされ、分厚い布に施された豪華な紋様が浮かび上がる。周りを囲んだ悲惨な光景には、あまりにも不釣り合いだった。


「ここだ」

 男は天幕の前で立ち止まると、一瞬アルガンを振り返った。早く入れとばかり、入り口を指している。偉そうな態度に、再び腑が煮えくりかえりそうになるが、抑えて大きく息を吸う。

 緊張の糸を張ったまま、アルガンは天幕の布をゆっくり持ち上げた。


 中から溢れ出た熱気が顔にまとわりつく。円状の天幕にそって備えられた松明が、中を明るく照らしていた。何もない天幕の中心に青年が一人、どこか手持ち無沙汰な様子で突っ立っている。

 はアルガンの姿を見とめると、両腕を前に出して弾んだ声を上げた。


「来たんだね、兄さん! また会えて嬉しいよ!」

「リムガイ……」

 アルガンは憎々しげに、彼の名を呟く。リムガイの瞳は強く輝き、頬は紅潮している。松明の灯りに照らされているから、ではないだろう。

 アルガンの頭に目を留め、リムガイは唇に笑みを浮かべた。


「髪、元に戻したんだね。やっぱり兄さんは赤の方が似合うよ。だって炎の色だもの」

「うるせぇ、こんな時に何を」

 反発しようと発した声が、不自然に上擦る。体の横で握った両拳は小刻みに震えていた。


「ああ、そうそう。約束の時間にはちゃんと間に合ってるから、安心して。これから兄さんと仕事ができるなんて嬉しいなぁ! 疲れてない? 何か食べたいものはある? 魔術使うと何故かすぐにお腹が減っちゃうよねぇ。決行は明日の夜だし、一休みしてから打ち合わせを」

「リムガイ‼︎」


 叫ぶようにその名を呼んで、アルガンはようやく彼のお喋りを止めた。

 今にも爆発しそうな感情を抑えながら、アルガンは言葉を紡ぐ。必死で抑えていないと、今にも目の前にいる男を燃やし尽くしてしまいそうだ。


「勝手なことばっか言いやがって。そもそも仲間になるつもりなんかない! 俺はアンタを止めに来たんだ」

「止める? どうして?」

 リムガイの瞳が不思議そうに細められる。首を傾げた拍子に彼の白銀の髪が揺れ、肩にかかった。


「全部燃やすなんて、馬鹿な真似は止めろ! アンタも俺と同じなんだろ? 全部燃やせって頭に響く声に、身体の中で暴れる熱に従って、つい力を使いたくなってしまうんだろ⁉︎ だったらそんな風に、無理することなんてない」


 リムガイが自分と同じなら、なんとしても止めなければならない。

 犯した罪が消えるわけではないけど、これ以上炎の魔術のを増やすわけにはいかないのだ。


「そりゃ、力を制御するのは簡単じゃない。本当に苦しくて辛いけど、でも、不可能じゃねぇよ! だから、今すぐ」

「何言ってんの? 兄さん。僕はね、ここからくる衝動を迷惑だなんて思ったことないよ」


 アルガンは息を呑んだ。リムガイが指し示しているのは、彼自身の心臓。

 彼はそこを指しながら、恍惚とした表情で微笑んでいた。


「楽しいじゃない? 全てを思い切り焼き尽くすのって。要らないゴミを処分するのと同じだよ。僕にとって邪魔なもの、どうでも良いものが綺麗に消えて、好きなものだけ残るんだ。だからこの仕事はね、最高に楽しいよ」


 唇を戦慄かせ、アルガンは言葉にならない声を発する。

 リムガイはとても嬉しそうに見えた。心から他者を踏みにじることを、殺戮を楽しんでいる。

 そんな表情だ。

 同じ疑似魔術器官を宿した者、そうだと思っていたのに。


「ああ、そうだ。まだ今回の仕事の内容について話してなかったよね。満月の夜、カンデウを拠点に兄弟たちが集まるんだ。そしてここ一帯の集落を、皆でぜーんぶ燃やしちゃうんだよ。とってもワクワクするでしょう?」


 両手を高く上げて無邪気に微笑むリムガイ。アルガンの全身が凍りつく。

 夜の砂漠を駆けてきた時とは、比べ物にならないほどに。


「なにを、言って……」

「言ったでしょう? 水が足りないこの国の為に、人を減らして回ってるんだって」

 確かに、彼はそう言っていた。アルガンも以前、怒りと破壊衝動に任せて、同様の考えが頭を過ったこともある。

 しかし、許されて良いはずがない。


「元々やり方は任せるって言われてたんだから、何か問題ある? それにちゃんと、父さんに駄目だって言われてる場所や人は襲わないようにしてるし」

 父さん。耳鳴りがしてアルガンの気が遠くなった。


 リムガイの言う『父さん』とは、何も彼の父親ではない。アルガンに、擬似魔術器官を植え付けた張本人。彼にとって思い出したくもない、憎しみと恐怖の存在だった。


「アイツは、どこにいる!? アンタに馬鹿げたことを命令したってことは……王宮にいるのか!?」


『父さん――アブルアズ様も、兄さんのこと待ってるよ』

 あの夜、リムガイに囁かれた言葉がよみがえる。

 自分が生きているのだ。それを生み出した父だって、生きている可能性はあったはずなのに。何故その可能性にたどり着かなかったのだろうか。

 考えたくなかったのかもしれない。


「あー、うん。詳しくはまだ秘密だけど、疑似魔術器官の研究者ってことで、結構便利な地位にいるみたい。今の神官たちが使ってる水の魔術も、元々父さんの研究成果だしね」

 いつの間に、そんな地位を。

 アルガンが呆然としていると、リムガイが再び楽しげに告げる。


「父さんはね、いずれ僕たち炎の悪魔を、国の正規の兵士にしたいんだよ。この国の水が少なくても、力があれば、砂漠の向こうにある別の国を支配することだってできる。国は豊かになって、僕らは存分に力をふるえる。こんなに楽しいことはないよ。……ああ、もちろんその時は悪魔なんて物騒な名前じゃなくなってるだろうけどね」


「俺らみたいに危険な存在を、みんなが認めるわけがないだろ!?」

 リムガイは唇に手を添えて、可笑しそうに笑った。

「強い力は確かに恐いだろうね。でも、それが味方になったとしたら、どうだろう? きっと心強いと思うよ」


 それに。

 彼の目と唇が、歪な弧を描く。

「炎の悪魔の『魔』の部分は全て、

 リムガイが一枚の羊皮紙を床にほうった。


 ひらりと舞って地に落ちたそれを目で追って、アルガンは目を見開く。

 手配書だ。咄嗟に拾って、食い入るように見つめる。書かれた罪人の特徴、罪状、そして生死を問わないという文言。

 心臓の音が耳元で響いて、体がガクガクと奮える。

 手配されているのは、どう見ても。


 父さんが僕たちの尻拭いをしてくれるんだって。リムガイは瞳を細め、うっすらと笑む。


「炎の魔術を使って罪を犯した者たちは、捕まって無事に処刑。後に残ったのは、その力を国のため人のために『正しく』使ってくれる存在だけ、っていう筋書きかな。これできっと、みんな安心して僕たちを愛してくれるよ。兄さんも心置きなく、僕たちの元に戻って来られるね」


 息ができなくなって、アルガンは苦しげに喘ぐ。

 何の為に自分は、彼らと別れてきたと思っている。彼らを危険に晒さないため、守るためだ。

 それなのに、無駄だったと言うのか。もう、自分に関わってしまった時点で、巻き込んでしまっていたのか。


 目の前が真っ赤に染まった、かと思えば、手配書がアルガンの手の中で炎に包まれていた。あっという間に灰となり消えていく。

「許さねぇ、絶対に……!!」

 身体が酷く熱い。


「あれ? どうしちゃったの兄さん、魔術なんか発動させて――ああ、そうか」

 パチンと渇いた音が響き、リムガイは両手を合わせた。そして、いそいそと天幕の奥に立てかけた長剣を手にする。


「そうだね。喧嘩して分かりあうっていうのも、良いのかもしれないねぇ」

 僕、一度兄さんと戦ってみたかったんだよね。


 あくまでも楽しげに、リムガイは剣の柄に指先を伸ばした。

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