第58話 脱出

「こっちよ。こそこそし過ぎていても目立つから、なるべく堂々とね」

 慌ただしく荷を整えたチャッタたちは、ネイラに連れられ住居区を走った。


 時刻はもうすぐ正午を迎える。日光も強くなってきているため、目深にフードを被っていてもあまり目立たない。住民のほとんどは別の区へ働きに出ているようで、人通りも疎らである。

 しかし時折、武装した兵士が歩いているのを目撃し、彼らは幾度も道を変えた。


 そんなことを繰り返しながら、三人は住居区の路地を駆け抜けていく。狭い道を通り抜けると肩が壁を擦ってしまう。マントが破れないだろうかと、チャッタは少し心配になった。


「着いたわ」

 先導してくれていたネイラが立ち止まる。

 たどり着いたのは、どう見ても袋小路だった。羊くらいの大きさの水瓶が三つと、大きな穴の空いた麻布が一枚、そこに放置されている。地面には薄い木の板が寝かされ、半分砂に埋まっていた。

 まるで、ごみ捨て場のような場所である。


 ネイラは地面に這いつくばり、木板の上の砂をいくらか払い除けた。そして板の端を両手で掴むと、それをよいしょと持ち上げる。

 すると下から、小さな扉のような物が現れた。正方形で金属製の取っ手が一つついている。

 何かを覆ってふさぐのようにも見える。


「これは……?」

「リペの地下に巡る水路への入り口よ。水が通るための場所だけど、中は意外に広くて、なんとか人が通れないこともないの」

 ネイラは取っ手を強く引く。金属が軋む音と共に扉が開くと、地下へと続く梯子が現れた。空いた穴は、ちょうど人一人が潜れるくらいの大きさである。


「それにこの辺り、寂れてるでしょう? 昨夜戦った広場と同じで、今は人があまり住んでいない所なの。だから随分前に水の流れも絶たれてて、道として使うには好都合と言うわけ」

「よく、こんな場所を知っていましたね」

「偶然よ。おばあちゃんが言ってたでしょ、私が妙な場所に迷い込んでなかったかって」


 ネイラに続き、チャッタは梯子へ足をかけた。通路の中は暗く冷たい空気で満たされている。慎重に足をかけ、地下へと下りていく。

 下には、水路と言うか隧道トンネルと言うべき横穴が通っていた。長身のチャッタは身を屈めなければならないが、女性ならギリギリ天井に頭をぶつけずに済む程度の高さだ。

 横幅は一人分。狭いため、真っ直ぐ一列になって進む必要があった。


「この場所は、オアシスから水を流すため、町の中心部から郊外にかけて緩やかな下り坂になっているの。暗いから転ばないように気をつけて」

 ランタンに火をつけた彼女に先導され、二人は水路を進む。少なくとも、移動すら困難なこの場所で、誰かが待ち伏せていることはなさそうだ。

 追っ手の目を掻い潜って移動できそうである。


 不安定な体制で進む必要があるため、チャッタは壁に手をついた。随分とよく磨かれた石で、ムルではないが触感が良い。

 よく目を凝らして見てみれば、水路を作るために積まれている石はどれも均等な大きさだ。ただ岩盤を切り出しただけではこうならない。

 その精巧で繊細な作りは、どこか既視感があった。


「ここ、なんだか、水の蜂の遺跡に似ているね」

 チャッタの呟きに、一番後ろを歩いていたムルがポツリと呟く。

「広さはだいぶ違うけど、同じような場所を見たことがある」

「え、どこで?」

「前に立ち寄った、ティナがいたあの町の遺跡で」


 チャッタの口から思わず、ため息のような相槌が漏れた。

 それほど月日は経っていないはずなのに、随分と懐かしい気持ちになってしまう。


「そう言えばリペの水路は、元々町の地下に通っていた地下通路を活用したという話よ。もしかしたら、水の蜂に何か由来のある場所だったのかしら?」

 あっけらかんと言ったネイラの言葉に、チャッタは絶句した。

 観光地化されていた遺跡のことと言い、どうもこの町の人々は水の蜂への関心が薄い。


「と言うことは、ここも遺跡の一部である可能性があるってことですよね? 彼女たちが町の地下に通路を? 一体なんの目的でこんなことを? 何かを運ぶため? それとも――って、ムル、なんだい?」


 背中に刺さる視線に振り返れば、ムルが何か言いたげな顔をしていた。

 チャッタが身を屈めているせいで、目線が同じ高さでかち合う。


「チャッタが調子を取り戻したみたいで、良かったなと思って」

 今朝、号泣していた自分を思い出し、チャッタは思わず赤面する。

 何度か瞬きをして、ムルは幾分か柔らかい口調で言った。


「別にアルガンの背負ったものを、チャッタが一緒に背負う必要はないと思う」

「え?」

 思わぬ言葉に、チャッタは眉を上げる。


「言ってただろう。『アルガンの背負うものは重すぎる』と。でも、あれはアルガンが元々持っていたものでチャッタのじゃない。無理矢理持つと言っても、アルガンも嫌がると思う」


 チャッタは記憶をたどる。

 ムルに自分の気持ちをぶつけた時、確かにそんなことを口走っていた。

 覚えられていたのか。

 気まずさよりも、チャッタは驚きで目を大きく見開く。


「そう、なのか?」

「ああ。きっと、気持ち悪がる」

 アルガンの歪んだ表情が、ありありと思い浮かぶ。

 確かにそうだ、とチャッタは呟いた。


 ムルの言葉が、胸の中にストンと収まる。腑に落ちたと言うか、求めていた答えをもらえたような感覚だ。

 チャッタは口元を緩ませ、長い息を吐く。

 そうか。必要以上に、気負う必要はなかったのかもしれない。


「見えたわ。あそこが出口よ」

 先行していたネイラが声を発する。彼女がランタンを掲げて示した場所は行き止まりで、上へと梯子がのびていた。


「あそこから上れば、農業区の端辺りに出られるわ。畑のど真ん中に出ちゃうんだけど、今は蜀黍ソルガムの栽培時期だから、きっと上手く紛れられるはずよ」

 まさか作物に紛れて行くことになろうとは。チャッタの口から苦笑が漏れた。




 蜀黍ソルガムは乾燥地帯でもよく育つ穀物だ。太く長い茎に青々とした葉が生え、先端には楕円の黄褐色の穂が揺れている。大人の身長を遥かに超える蜀黍に紛れ、三人は畑の中を駆け抜けた。

 地下水路が通っている農業区画では、水を多く必要とする野菜や果物も育てているらしい。チャッタは見てみたいと思う反面、益々オアシスの水の出所が気になってしまう。


 畑を抜けると、腰までの高さの柵が現れた。人対策と言うよりは動物避けだろう。

 三人はそれを素早く乗り越えた。


「良かった。上手く行ったわね」

 柵を乗り越え、ネイラが大きく息をつく。

 目の前には広大な赤褐色の大地。ついにリペの町を、脱出したのだ。

 チャッタも安堵しながら砂漠へ目を向けて、ふと異変を感じて声を上げる。


「――いや、待ってください! 何か来ます」

 砂塵を巻き上げ、何かがこちらに近づいてくる。

 あれは、二頭のラクダだ。まさか追っ手だろうか。


 身構える二人に、ネイラは目を細めて得意気に笑った。

「大丈夫。おばあちゃんからの餞別よ」

 チャッタは目を凝らした。近づいてくるラクダは、手綱をつけているものの誰も乗っていない。

 二頭は顔を大きく振り、三人の目の前で停止する。

 二つの瘤の間には、鞍も背負っていた。


「チャッタさんたちが連れていた子たちは、兵士様たちに押さえられてしまっていたから。おばあちゃんに代わりのラクダを用意してもらったの」

 彼女は優しげな手つきでラクダたちを撫でている。ラクダはどことなく嬉しそうだ。


「もし必要なくなった時には、遠慮なく放してもらって大丈夫よ。ここに戻ってくるよう躾けてあるらしいわ。貴方たちのラクダも、乱暴なことをされないようにちゃんと見張っておくわね」

 至れり尽くせりと言ったところだ。

 チャッタは感嘆を込めて息を吐くと、ネイラに深々と頭を下げる。


「何から何までありがとうございます。本当に、お世話になりました。このご恩は、いつか必ず」

「ありがとう」

 ムルの言葉に合わせて、ニョンも奇声を発する。礼を言っているつもりだろう。

 ネイラは徐に首を振った。


「私も、貴方達の力になることができて良かった。怖い目にも遭ったけど、ちょっとだけ、前より自分に自信が持てた気がするの。これからもおばあちゃんを目標に、一流の案内人ガイドを頑張って行くわ! 私の方こそ、本当にありがとう」


 そう言って彼女はカラリと笑った。なんというか、たくましい。やっぱりあの人の孫なのだなぁと、チャッタは微笑んだ。


 ムルが鞍に手をかけ、ラクダの上へと飛び乗る。

 名残惜しいが、一緒にいるところを見られでもすれば、全てが水の泡。

 チャッタも急いで、もう一頭のラクダへと跨がった。


「ゴワたちのことをよろしく頼む。また迎えに来るから」

「ゴワ?」

「そ、それは良いから! ラクダたちのこと、よろしくお願いします」

 ムルが名付けたラクダの名前など、ネイラは知る由もないのだ。


「えっと……ああ、おばあちゃんから伝言『手配書の件、こちらでも疑いを晴らせないか頑張ってみるよ』ですって。燃え尽きたって言う集落に向かうんでしょう? くれぐれも気をつけて」


 そうだ。元凶であるリムガイはカンデウにいる。

「はい。気をつけます。ネイラさんたちも、無理はしないで下さいね」

 チャッタは喉を鳴らし、手綱を強く握りしめた。


「絶対に、三人でまたこの町に戻って来て。そうしたら私が、ただでリペの町中を案内してあげるから! 紹介できてない美味しいもの可愛い看板ネコも、まだまだたくさんあるんだからね!」

「はい。楽しみにしてます! お婆様や宿のご主人にも、本当にお世話になりましたとお伝え下さい!」


 チャッタはムルと視線を合わせる。彼が頷いたのを見て、ラクダの手綱を引いた。踵を返し二頭のラクダが駆け出す。

 目指すはカンデウ。

 いや、仲間アルガンのいる場所だ。


 チャッタは砂と岩の転がる大地を見据える。唸る風は熱く渇いて、彼の頬を乱暴に撫でていく。

 どうかアルガンが無事でありますように。

 強く願いを込め、チャッタは奥歯を強く噛み締めた。

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