第49話 いっぱい食べる訳

 世の中には色々な人間がいるものだ。

 目の前の光景に対してチャッタが抱いた感想は、そんなところである。


「あなた、良い食べっぷりねー。まだまだあるわよ」

「――おかわり!」

 奇術か幻術かと思うほど、一瞬で消えていく卓上の料理。それを平らげているのは、炎のような髪をした少年アルガンだ。

 彼の無邪気な要求に、チャッタも食事をご馳走になったジテネのご婦人が朗らかに応える。


「はいはーい。ほらハリム! ぼさっとしてないで手伝いなさい!」

「痛っ! 叩くことないだろう、母さん! クッ、ここまで疲れ果ててなきゃ、この町に帰ってくるつもりはなかったのに……」

「何か言ったー⁉︎」

「なんでもない!」

 ちなみに、ハリムが母さんと呼んでいるのも彼女である。


 アルガンが宝玉を破壊した後、ヘビと別れたチャッタたちは無事に三人組と合流した。

 疲労も溜まっていたため一旦ジテネの町に戻ることにしたのだが、なんと彼らはこの町の出身だったらしい。


 町に着くなり顔を隠し始めた三人組を不審に思っていると、あのご婦人が風のようにやってきてハリムを引っ叩いたのである。


『バカ息子! 今までどこへ行ってたの!?』

 という、台詞と共に。

 この町の若者は出稼ぎに出ている、とは、言ったものである。


「本当に申し訳ないわ。いい歳したウチのバカ息子が迷惑をかけてしまったみたいで……。カイロくんもナージャちゃんも、ご両親に心配をかけて! 後で良いから家に顔を出して、ちゃんと謝るのよ」

「はい」

「分かりました」

 ナージャとカイロも床に敷かれた絨毯へ座り、背中を丸めている。この三人は幼馴染で、ご婦人とも顔見知りだそうだ。

 昔を知る者に対しては、頭が上がらないのだろう。


「あー! ようやく落ち着いたぁー。腹が減って死ぬかと思った」

 アルガンがしみじみとそう言って、満足気に息を吐く。出会った時のトゲトゲしい雰囲気はなく、こうしてみると年相応な無邪気さが見られる。

 平らげた料理は、大人の十数人前と言ったところだが。


「よく食べたねぇ、アルガン。君の体のどこにそれだけの食べ物が入るのか、不思議でならないよ」

 アルガンの向かいに腰かけたチャッタは、ご婦人が入れてくれたラクダの発酵乳ヨーグルトドリンクに口をつける。

 甘みを足して水で割っているらしく、甘さと冷たさが疲れた体に染み渡っていく。


「あのな、アンタ。魔術をなんだと思ってんの? あれだけの炎、何の原料もなしに出せるわけないだろ。それなりの火力を出すには、ってのが要るんだよ」

 アルガンは乾燥発酵乳かんそうヨーグルトソースがかかった羊肉を、指先でひょいと摘まむ。無造作に口へ放り込んだところをみると、まだ食べるつもりのようだ。


「でもムルは、その……魔術を使うけど食べる量は普通だよね」

 チャッタが隣に座るムルへ話をふった。彼はニョンの体毛を撫でていた手を止め、顔を上げる。

 ジテネに帰ってきて彼がとった食事は、パンとラクダの発酵乳と羊肉料理を一皿。

 彼の運動量からすると、少ないくらいである。


「俺は、元々ある水を変化させて使っていただけだから。何かを生み出したりするのとは、また違」

「兄貴の戦い、本当に感動しました!!」

 突如、ハリムが走り寄ってきてムルの傍らに跪く。両手を顔の前で組み、まるで神に祈るような仕草だ。


 チャッタは口元をひきつらせ、ムルは大きく瞬きをする。威嚇のように、ニョンも毛を逆立てた。


「その、遺跡から出た時から思ってたけど、『兄貴』って呼び方、一体どうしたの?」

 恐る恐るチャッタがハリムに問いかける。彼がムルに送る視線は、とても熱い。灼熱の砂漠の真ん中を歩いているくらい熱い。

 チャッタが遺跡を目にした時の瞳とそっくりだ。


「実はな、目が覚めた後、我々はあの戦いを見ていたんだ。どうにも気になってしまって、遺跡の影からこっそりとな。そうしたらムルの兄貴が化物相手に、この世のものとは思えないほど華麗に舞っているじゃないか!? ああ、あの時の兄貴と言ったら……。今思い出しても惚れ惚れする」

「とっても綺麗だったねぇ」

「それにヘビも俺たちも助けてくれたその心のデカさ! 俺は感動したんだぜ」


 頬を紅潮させて言う三人の言葉で、チャッタはその理由を察した。納得もした。しかし、手のひら返しが過ぎるのではないだろうか。

 チャッタは生温かい視線をハリムたちに向け、再びラクダの乳に口をつける。

 その冷たさも、この生暖かい気持ちを晴らしてはくれなかった。


「と、言うわけで。我々は今後、ムルの兄貴に一生ついていくことにした」

「そうか」

「そうかじゃないよ、ムル! 嫌なことは嫌って言っても良いんだからね⁉︎」

「そうよハリム! ムルちゃんにも都合があるんだし、こんなおじさん連れなんて願い下げよねぇ」


 炊事場から出てきたご婦人が、アルガンの前におかわりを置きながら告げる。

 穏やかだと思っていた彼女も、息子のことに対しては遠慮がないようだ。


 おじさん呼ばわりされたと文句を言うハリムを、ご婦人が軽くあしらって笑う。

 そんなやり取りも、気の置けない関係を感じさせて、やはり二人は親子なのだなと思う。


 残念ながらチャッタは、そんな思い出はないのだけれど。


「チャッタ」

「あ、ああ、ごめんね、ムル。ちょっと考え事をしていて」

 ムルに微笑みかけたその時、チャッタの頭にある仮説が浮かぶ。

 すぐ確かめてみたくなるのは、性だろうか。

 

「ムル、さっきの食事の話。アルガンと君の話から察すると、もしかして水を生み出す魔術を使うには、多くの力がいるのかな⁉︎ もしかして、水の蜂は……大食い……?」

「いや、その発想はないでしょ」

 アルガンが呆れた口調で呟くのが聞こえた。

 それを無視してチャッタが期待を込めた眼差しでムルを見つめる。彼はゆっくりと首を横に振った。


「俺は水を生み出す魔術は使えないから、分からない」

「……え」

 チャッタの口から疑問の声が上がる。

 ムルは珍しく何かを察したのか、自分から解説めいた言葉を発し始めた。


「俺は、言ったようにこの町に来る前の記憶を失くしている。正確には、数ヶ月前にあの遺跡で目覚めるまでの記憶をだな。はっきりと覚えていたのは、俺が水の蜂であると言うこと、それだけだ。だけど俺には水を生み出す魔術が使えない。人の傷を癒すこともできない。ただ、針を持っていて、水の形を変えられるだけだ」


 初めてこの町に来たとき、彼は声をかけてくれた人たちに自分が水の蜂であること、記憶喪失であることを正直に告げたそうだ。

 すると町の人たちは困ったような顔をして、どうして君が滅びてしまった水の蜂だと思い込んでいるのかは知らないが、あまり大きな声でそのことを言わない方が良い、と忠告されたそうである。


「俺は、自分がそうだと確信しているなら、頑なに隠す必要はないと思ってる」

「いや、それにしたって、もう少し隠した方が良いと思うけどね……」

 チャッタはあの衝撃的な告白を思い出し、苦笑を浮かべた。

 ムルは僅かに眉を下げ、話を続ける。


「さっきも言ったけど俺には記憶もないし、魔術も、伝え聞く水の蜂とは違うだろう? だから俺が『水の蜂である』という明確な証拠はないんだ。期待に応えられなくて、ごめん」

「あ、いや……」


 何か言わなければと思うのに、何も言葉が出てこない。正直言って、ガッカリしている自分がいる。

 気まずさと罪悪感で、チャッタは歯切れ悪く返事を返すとムルから視線を逸らした。


「そうそう。今日はもう遅いし、みんな家に泊まっていってね。昔はこんな風にこの子の友達を集めてお泊まり会なんてやったわね。懐かしいわー」

「はぁ⁉︎ 何恥ずかしいことを言って」

「わぁ、助かります! ありがとうございます」

 ハリムの文句を遮って、チャッタは愛想良く返事を返す。


 その日は最後まで、ムルの顔をまともに見ることができなかった。




 ささくれだった木製の窓をそっと開く。刺すような空気が肌に触れ、チャッタは身を震わせて寝台の上に畳んでいたマントを羽織った。

 ご婦人の家はチャッタやムル、アルガンにそれぞれ部屋を宛がえるほど広かったが、高さは周囲の建物と変わらない。窓を開けて目に飛び込んできたのは、隣家の砂色をした外壁であった。


 少し身を乗り出して空を見上げると、ムルの瞳のように澄んだ星空が浮かぶ。

 チャッタは白い息を吐いた。


 水の蜂の生き残りがいる。

 本当であれば、奇跡だ。感動で胸がいっぱいになって、涙を流して喜んだだろう。

 もしも水の蜂に出会えたら、彼女たちにアレが聞きたい、これを見せてほしい。

 幼い頃から、あれこれと妄想していたことが、現実になるのだから。


 しかし、本当にムルが水の蜂であるのかどうか、それを証明する手段はどこにもない。彼は記憶を失っているし、完璧な魔術が使えないのだ。

 町の人と同じように、ムルの思い込みだと一蹴することもできる。


「僕は……」

 彼を信じるのか、信じないのか。そして信じるとしても、それからするのか。


「どうにも、できない。か……」

 チャッタは再び息を吐く。

 いくらため息を吐いても、ぐるぐると渦を巻く感情を追い出すことはできなかった。

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