第48話 大丈夫

「アルガンはこの子と同じ炎の魔術を使っている。何か、良い手はないか?」

 軽く首を傾げたムルが、変わらぬ澄んだ瞳を向けてくる。逃げるようにアルガンは視線を逸らした。


「無理言うなよ。同じって言ったって、そんな上手いこと――」

 彼は、ふと口を噤む。

 そうだ。同じなのだ。あのヘビが飲み込んだものと、自分の体に埋め込まれた擬似魔術器官は。

 だとしたら。


 アルガンは自分の左胸に手を当てる。

 普段よりも早い鼓動。そして、その奥でくすぶった熱。

 そもそも、あの腕輪についていた宝玉を、微塵も疑いもせずに擬似魔術器官だと判断したのは何故だろう。

 理屈は分からないけれど、自分の中に宿った力が無意識に同種のものを感じ取っていたのかもしれない。


 黙り込んだ彼を、チャッタとムルは不思議そうに眺めている。

 一つ頷いたアルガンは、二人に向かってこう告げた。


「宝玉の場所なら、分かるかもしれない」

「本当に⁉︎ 良かったぁ、これでムルが食べられに行かずに済むね」


 本当に安堵した様子で、チャッタは全身を弛緩させた。興奮で真っ赤に染まっていた頬も、いつもの薄紅色に戻っていく。

 しかし、安心されても困るのだ。アルガンは両手を激しく横に振る。


「いや、でも、場所が分かるかもってだけだぞ⁉︎ そこから宝玉をどうするかは別の問題じゃん。飲み込んだだけなら良いけど、最悪、体内組織と融合を始めている可能性だってあるし。そうなってたら、吐き出させるとかそんな問題じゃなくなるぞ」


「融合⁉︎ え、そんなことになってしまうのか」

 目を剥いたチャッタの頬が、今度は青白くなっていく。忙しいな、などと、アルガンはどうでも良いことを考えてしまう。


「あ。でも、そうだな。場所を特定した後で、アンタが魔術を使って宝玉を破壊してくれれば、ヘビは元に戻るかもしれない」

 アンタと言いながら、アルガンは横目でムルを見る。

 あの擬似魔術器官は危険なものだ。どの道、三人組から取り返した後は、破壊するつもりだったのだから、その方法が一番だろう。


 ムルは無言で何度か瞬きを繰り返して、不思議そうに眉を寄せて言った。


「壊していいのか? それならアルガンが、そのまま宝玉を破壊すれば良い」

「は?」

「そうだね。正確に位置を把握した上で、その宝玉を狙わないといけないんだし。そのまま壊してもらった方が良いよね」

 その言葉にチャッタも同意して頷く。確かに、彼の言う通りなのだろう。


 しかしアルガンの頭に浮かんだのは、と言う言葉だった。

 唇を震わせ、何度か口を開いては閉じる。アルガンは歯を食い縛って俯いた。


「俺には、できない。俺の魔術じゃきっと、このヘビのことも傷つける。アンタらコイツを助けたいんだろ? だったら止めておいた方が良い」

 自分で言った言葉なのに、心臓が抉られたような痛みを覚える。

 この魔術は、何もかも全部、手当たり次第に焼き尽くしてきたものだから、小さな宝玉一つだけを狙うなんてことできるはずがないのだ。


 ふと、アルガンは手にひんやりとした感触を覚える。

 顔を上げるとムルが思いの外近くにいて、右手が彼の両手によって包まれていた。


「大丈夫だ」

 ムルの表情は変わらない。それが却って、強い意志が感じられるようだった。

 こっちの事情など一切知らないくせに。

 そんな反抗的な想いが浮かんで、アルガンは吐き捨てるように問いかけた。


「何を根拠に、大丈夫なんて言うんだよ……?」

 しかし何故か、その手を振り解くことはできなかった。


「傷つけたくないと思ってくれているんだろう。だったら、大丈夫だ」

 渇いた大地を潤すように、ムルの言葉が心に染み込んでいく。

 アルガンは重ねられた手に視線を落とした。


 水を操る者だからだろうか、想像よりもその手はずっと冷たい。それが体の中で暴れる熱さえも沈めてくれそうな気がした。

 それに、とムルが付け加えるように言う。


「何かが起こった時は、俺がアルガンを刺してでも止めるから。針で」

「さっ」

 ネコのように、背中の毛が総毛だった。もちろん、アルガンに毛は生えていないけど。


「いやムル! もう少し穏便に止めてあげたら⁉︎」

 過激な発言。しかし、その衝撃の余韻がなくなった後も、アルガンの心臓はうるさいくらい鼓動を刻んでいた。


「はは……そっか」

 何があっても、ちゃんと止めてもらえるのだと。

 アルガンの口から漏れたのは、泣いているような笑い声だった。


「一応やってみるけど、何が起こっても文句言うなよな」

「ありがとう。アルガン」

 素直に礼を言われると、どうも背中の辺りが落ち着かず、アルガンはどこへともなく視線を彷徨わせた。






「まだ毒の効果で動けないから、触れても平気だ」

 ムルの言葉に頷き、アルガンは右手で大蛇の鼻先に触れる。不思議とあまり熱さは感じられなかった。


 両目を閉じて、深呼吸をする。自分の体の中にあるものと同じものを大蛇の体内から探すのだ。

 左手を自分の胸に当てて、それと同じ気配を探っていく。呼吸の音が聞こえるほど、遺跡の中には静寂が満ちていた。


 大蛇の頭部から徐々に尾の方へ、アルガンは意識を向けていく。

 しばらくして右の指先がぴくりと跳ね、目蓋の裏側に赤い光が見えた気がした。


「――分かった。コイツの全体の半分を少し過ぎたところ。でも、気配が混じりだしているから、融合しかけているかもしれない」

「そうか。危なかったってことだね」

「助かった。俺、魔術的な気配とか、そういうのに鈍いんだ」

「え、水の蜂なのに?」

 チャッタの言葉にムルが肯定の声を発していた。


 そんな話を聞き流しながら、アルガンは一度目を開く。場所が分かったとは言え、問題はこれからなのだから。


 両腕に力を込めると、その肌に沿うようにして炎が出現する。気の流れでゆらゆらと揺れるさまは穏やかだ。

 でもこれを、彼らはどう思うのだろうか。アルガンは思わず振り返った。


 視線が合うと、ムルは表情を全く変えずに頷く。特に何の感情も抱いていないようだ。彼に関しては予想通り。

 しかし、チャッタはどうなのだろう。アルガンは恐る恐る視線を移動させた。


「うわぁ、分かってはいたけど、本当に炎の魔術が使えるんだ。世の中には、こういう擬似魔術器官もあるんだねぇ」


 チャッタは好奇心に満ちた瞳で魔術の炎を見つめてる。水面の揺らめきのようにキラキラとしていて、幼い子どものようだ。

 拍子抜けして、アルガンは目を丸くする。


「そんな、反応か? アンタも炎の魔術が昔何をしたか、知らないわけじゃないんだろ?」

 吐き捨てるような問いに、チャッタは苦笑のようなものを浮かべて頬を掻く。


「いや、怖くないと言えば嘘になるんだけど、やっぱり好奇心が勝つと言うかなんというか……ただ、すごいなとしか」

 上手く説明できなかったのか、自分の気持ちが言いづらかったのか。チャッタはボソボソと呟き、最後に乾いた笑い声を上げる。


 彼はきっと戦争の当事者ではないから、暢気に炎の魔術を眺めていられるのだろう。

 けれど恐怖され、忌み嫌われるのが当たり前だったアルガンにとって、その反応は新鮮だ。

 もしかしたら自分は、何もないまっさらな状態でやり直せるのではないか。そんな許されるはずもないことが浮かんで、彼は首を横に振る。


 どちらにせよ、ここで上手く魔術の制御ができなければ、意味がないのだ。

 曖昧に口元を吊り上げると、再び大蛇へ向き直る。


 肩の高さに上げた両腕をピンと伸ばす。さらに指を広げて、先程感じ取ったヘビの中にある宝玉へと意識を集中させる。


「力を細く線にする感じ――いや、むしろぎゅっと圧縮して力を飛ばして、矢のように射抜く感じか……?」

 口に出し試行錯誤しながら魔術を練り上げていく。頭にあるのは、ムルの自由な戦い方だ。炎も水と同じで、一定の形など持たないのだから。


 アルガンは左腕の炎を右腕に移し、更に右掌、指、そしてその一本の指先まで収縮させていく。心は水面のように静かで、熱が暴れ出す様子もなかった。

 背中に注がれる静かな視線を感じているからかもしれない。


「――っ!」

 鋭く歯の隙間から息を吐くと、アルガンは指先に灯った熱を発した。

「あ」

 口から声が漏れる。ヘビの体内にあった熱が、弾けて散ったのを感じたのだ。


「せ、成功したのか?」

「多分、な」

 チャッタの呟きに曖昧な調子で応えると、アルガンは大蛇へと視線を向けた。


「アルガン」

 隣にムルが立っていて、視線を合わせてくる。その声は少しだけ、弾んでいるように聞こえた。


「ありがとう」

 その瞬間、大蛇の体に変化が起こる。

 黒ずんだ赤橙色の鱗が、その色を拭き取られていくかのように変化していく。白に近い砂色だ。

 建物のような体も徐々に萎んでいき、やがて元の大きさに戻ってしまった。


 何が起きたか分からないといった様子で、小さなヘビは首を高く上げて、周囲を見回している。

 ムルが駆け寄って、腕の半分ほどの体を掬い上げるようにして持ち上げた。


「この子が助かったのは、アルガンのおかげだ」

 ムルがヘビを抱き上げたまま近寄ってくる。あどけない表情で舌を出し入れし、ヘビは彼の手の上で大人しくしていた。


 胸に、炎の熱とは別の温かいものが込み上げてきて、アルガンは両目を強く閉じて視線を落とす。


「ムル。良かったね、その子が助かって」

「ああ。この鱗、意外とひんやりもちもちして、気持ちがいいんだ」

「――ん? やっぱり触感それなのか」

 どこか遠くにその会話を聞いていたアルガンは、ムルに名前を呼ばれて顔を上げる。

 目の前に差し出されたのは、あのヘビだ。


「触るか?」

 その問いに、反射的に手を出したのは、ほんの気まぐれだった。本当に小さくて細いヘビの体に、人差し指をそっと触れさせる。

 ひんやりとしていて弾力のある皮膚が、指を柔らかく受け止めた。


「うお、ほんとうだ……」

「だろう」

 自分の鱗でもないのに、ムルの偉そうな態度がおかしい。


「なんで、アンタが偉そうなんだよっ!」

 目尻の熱さを誤魔化そうとして叫んだ声は、不自然に裏返ってしまった。

 

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