第45話 これ以上

 ムルに連れられて行くと、彼の言った通りナージャだけが目を覚ましていた。壁に寄りかかった男たちの横で、所在なさげに立ち尽くしている。

 ムルは男二人をそれぞれ肩に乗せて担ぐと、チャッタに目で合図を送った。


「一度離れよう」

「あ、ああ」

 ムルとニョン、ナージャは階段を駆け下りていく。

 チャッタは一度立ち止まり、振り返った。


 橙色の炎と黄昏色の炎が、激しくぶつかり混ざり合う。その中で、あまりにも小さな身体が、踊るように戦っていた。

「チャッタ」

 ムルに呼ばれて、彼はその光景を振り切るようにして駆け出す。


 数十段ある階段を、ムルは駆け足で、しかし先程よりも慎重な足取りで下りていく。やはり大の男二人を担いでいる状態では、思うように動けないのだろう。

 階段を下り切ると、ムルは不自然に速度を上げた。


 地下への入り口めがけて一気に駆け抜けると、そこにハリムたちを下ろす。

 いや、落とすと言った方が言いかもしれない。二人の体が、少々不自然な形で着地する。

 ムルは深く長い息を吐いた。


「ごめん。ここまでで、良いか?」

「ムルは頑張ったよ! ちゃんと安全な場所まで運んであげたんだから、大丈夫だよ、ね⁉︎」

 言い聞かせるように語尾を強め、チャッタがナージャの方にぐるりと視線を向ける。彼女は圧倒されつつ、何度も頷いた。

 ちなみに少々乱暴に扱われた男二人は、未だに気絶したままである。


「それにしてもだらしないねぇ……!」

 ナージャは苛立ちを隠さず、仲間に冷ややかな眼差しを送っている。

 チャッタも彼女と同じ温度で二人を眺めていると、ムルが軽く息をついて言った。


「二人が目を覚ましたら、皆は逃げてくれ」

「え……?」

 思わずチャッタは疑問の声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってよ! まさか、ムルはここに残るのか⁉︎ 危険だよ⁉︎」

「危険な目に遭ってるのは、アルガンも一緒だ」

「いや、でも彼は」

 アルガンが戦っているのは、自分のせいだ。

 そのことに気づいたチャッタは、言葉を飲み込んだ。


 自分が遺跡をどうしても守りたいと言ったから、彼は戦っている。

 状況からしてアルガンは、炎の魔術の使い手のようだ。

 それでも、危険を冒していることに変わりはない。


 罪悪感に襲われ、グッと息を詰まらせる。

 急に黙り込んだチャッタの様子に、ムルは少しだけ首を傾げた。


「俺も一応戦える。アルガンはとても強そうだけど、なんだか、無理をしているように見えた。それに」

 言葉を切って、ムルは遺跡全体に視線を巡らせた。


「俺にとっても無関係な場所じゃないんだ。ここは」

「『俺の家』、だから?」

「ああ。それに、もう一つ目的もある。だからチャッタが責任を感じる必要はない」

 心の中を言い当てられ、チャッタの心臓は大きく跳ねる。


 気に病むなとは言われたが、ムルに見つめられている内に、じわじわと込み上げてくる想いがあった。

 恐らく、自分にできることは何もない。

 手も唇も小刻みに震えてしまっているけれど。

 チャッタは小さく喉を鳴らした。

 

「ムル」

 決意が揺らがないように、拳を強く握る。


「やっぱり、僕一人だけ逃げるなんてできない。足手まといにはならないように頑張るから。もし、邪魔になるようなら、すぐに逃げるから。僕もついて行って良いかな?」

 あまりにも情けないちっぽけな勇気に、ムルは何も言わず頷いてくれた。






 遺跡で目覚めた時、誰かが自分の顔を覗き込んでいたことに、アルガンは酷く驚いた。

 あの研究所を破壊した後、頭上に見えた星たちがあまりにも綺麗で。

 思わず地上へ出てしまい、しばらく砂漠を彷徨っていた。

 そこで、記憶は途切れている。

 二度と目覚めることはないと思っていたのに、まさか助けられてしまったのか。


 混乱する頭で周囲を見回せば、自分を取り囲んでいたのは毛玉と性別不明の綺麗な人物と、やたらと澄んだ瞳を持つ男。

 みんな、明るい表情をしていて、目は希望に満ちている。

 きっと、自分とは住む世界が違う者たちだ。


 そう思ってすぐに別れようとしたのに、その後現れた三人組がトンデモない物を持っていて。

 それを追っている内に、とうとうこんな所まで来てしまった。


 炎の大蛇を前にして、アルガンは深く細い息を吐く。


 あのチャッタと言う人は、この遺跡が大好きなのだと、大切なのだと言っていた。

 正直、その気持ちは分からない。

 自分に大切なものなんてないから。


 しかし大蛇の吐き出す炎が、その誰かの大切な物を壊していく光景を見て気づいてしまった。


 過去の自分も、こんな風に誰かの大切なものを奪ってきたのだと。


 だからこそ、

「これ以上、この力で何も奪わせないからな……!」

 絶対に自分が止めなければいけない。

 同じ力を持つ自分が。


 アルガンは腰を落として、両手にあの忌まわしき炎を宿す。力を解放した快楽で脳が溶けそうになったのを、首を激しく振って打ち払う。

 絶対、この感情に支配されてはいけない。


 奥歯を噛み締めて、アルガンは大蛇に向かい跳躍した。大蛇が喉の奥を見せつけるように大口を開け、迫ってくる。小柄なアルガン一人、容易に一飲みできるだろう。

 彼は大蛇の喉奥に向け、両手から炎を放出した。どんな生き物でも、内側はきっと脆いはず。


 しかし、大蛇が瞬時に口を閉じたことで、固い鱗に阻まれた炎が宙に散っていく。

 アルガンは舌打ちをしつつも、大蛇に向かっていくように跳躍した。その鼻先に着地すると、再び両膝を曲げて上へ跳び上がる。


 宙で片足を振り上げ、体の上下を入れ替えると、大蛇の脳天に向け手のひらをかざした。

 現れたのは炎が渦巻く火球である。巨大な流星のように、大蛇の頭部へ落下していく。


 炎がぶつかって、弾ける。ヒリヒリとした痛みが頬に走り、その熱量の高さを感じさせる。

 大蛇は苦しげに身を捩り、アルガンを叩き落とそうと尾をしならせた。


「オラァ‼︎」

 雄叫びを上げると、アルガンは右手の拳に炎を纏わせ、大蛇の尾を力任せに殴りつけた。

 固い鱗が拳を痺れさせるが、その反動で上手く回避することはできたようである。

 一回転し着地した彼は、自分が殴りつけた大蛇の尾を観察した。


 煉瓦か何かを炙ったように、表面には黒炭ができている。金属を引っ掻いたような声を発して、大蛇は痛みに悶えていた。

 炎の魔術同士どうなるかと思ったが、他人の生み出した炎は僅かなりとも効くようである。

 それは、こちらも同じで、大蛇の炎はきっと自分にも有効だ。


 彼は一度脱力するように、息を吐く。体が鉛のように重かった。

 やはり今の自分は、上手く力を引き出せていないように思える。

 ずっと眠っていたのが原因なのか、それとも。


 大蛇の穴のような目がアルガンを捉える。首を後ろに反らして、その口から熱い吐息ほのおを吐き出した。

 広がった赤橙色で、彼の視界が真っ赤に染まる。

 しかし腕に感じる熱は心地よくすら感じて。アルガンは、妖しく口元を歪めた。

 ああ、なんて、


「——俺に火力で勝てるわけがねぇだろ、ヘビ野郎‼︎」

 途端、彼の体を中心に火柱が上がった。

 全ての炎を巻き込み放射線状に広がって、熱風を伴って周囲を吹き飛ばす。大蛇は大きく仰け反り、その頭を床に横たえた。

 大きな振動が地面を震わせて、一瞬、全ての音が止む。

 そこに嘲笑が響き渡った。


「はっ! デカい癖に、大したことないじゃん?」

 身にまとう炎が、その熱を質量を膨らませていく。アルガンは恍惚としたため息を吐いた。

「やっぱり、こうでなくちゃな。チョロチョロ攻撃するなんて面倒だ」

 心臓が痛いくらいに脈を打って、彼の全身を熱で満たしていく。

 懐かしい、熱さ。


「このまま、全部、全部、全部! 燃やし尽くして――」

 その時、熱で揺らいだ視界の端に、何かが映った。

 あらゆる宝石で飾られた美しい玉座。

 誰かが大切だと守りたいのだと言っていた物の象徴だった。


 熱に浮かされていた全身が、一気に冷えていく。

 目を大きく見開き両手を戦慄かせ、アルガンは両手で頭を抱え込んだ。

 今、自分は、何を考えていた。


 横腹に大きな衝撃が襲い、意識が飛ぶ。

 骨が軋んだような音が聞こえ、全身を激しい痛みが襲う。

 息ができない。

 必死で喘ぐと、口から呼吸と共に赤い液体が飛び出て床に散る。

 痛みと喉の不快感でアルガンは激しく咳き込んだ。


 どうやら大蛇の尾に吹き飛ばされ、柱に全身を強く打ちつけたらしい。

 必死で力を入れて顔を上げると、大蛇は再び無茶苦茶に暴れている。


 その炎が玉座に向かって吐き出されたのを見て、アルガンは床を蹴り跳ぶように駆け寄った。

 手のひらをかざして、自らの炎で盾を作る。

 間一髪で、炎は盾に阻まれ玉座に届く前に霧散した。


 ゆっくりと顔を上げ、アルガンは大蛇と対峙する。

 視界が霞んで、頭がぐらりと斜めに傾いた。


 駄目だ。

 手加減して勝てる相手ではないのに、全力で戦おうとすると、どうしても、自分は力を使う快楽に負けてしまう。

 このままでは、また誰かの大切なものを壊してしまう。


「無理か……」

 悪魔と言われた力だ。壊す以外のマネができるはずもない。

 視界が靄がかかったように滲んでいく。汗によるものか、それとも。

 まぁ、もう、どちらでも良いことだ。


 自嘲と共に全身の力を抜くと、アルガンは仰向けに倒れ込んだ。

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