第40話 遺跡の秘密
ムルに連れられてやってきた遺跡は、岩山に横穴を掘って作られたもののようだ。外観だけ見ると、白い石が門のように積まれ、岩肌にぽっかりと穴を開けているように見える。
ムルは倒れた少年を抱いたまま、迷わずその中へ入った。チャッタは緊張で喉を鳴らし、後に続く。
師匠から伝え聞いていたように、その遺跡はかなり小規模だった。天井だけは二階建ての住居よりも遥かに高いが、床の面積はかなり狭い。それこそ、一人分の生活区画と言った所だ。
しかし翡翠色が混じった白磁の石は美しく、神殿のように厳かな雰囲気を醸し出している。その石が入り口からの光を受けて輝き、遺跡の中を不思議と明るく見せていた。
無意識にチャッタは前に歩み出て、ぐるりと周囲を見回した。
恍惚と頬を紅く染め、ため息混じりに言葉を吐く。
「素晴らしい空間だ……」
「そうか」
「規模が何だって言うんだ⁉︎ この空間全てが彼女らの高潔さ、神秘性を後世まで語り継いでいるんだよ! ああ、僕の中にある言葉の全てを尽くしても、この遺跡の美しさを語り尽くすことはできない……!」
ひとしきり賛美の言葉を告げた彼は、自分の荷を下ろしていそいそと羊皮紙とペンとインクを取り出す。
そして溢れ出る感情そのままに、紙を文字で埋めていく。時折顔を上げ、遺跡の壁や天井を見つめるその瞳は、宝玉にも負けない輝きだ。
「気に入ったのなら、良かった」
その声で、チャッタは我に返って後ろを振り替える。夢中になって調査する彼を横目に、ムルは黙々と少年を看病していたようだ。脱いだ自分のマントを折り重ね、その上に少年を寝かせている。
遺跡に夢中だったとは言え、なんと身勝手なのだろうか。チャッタは今更ながら羞恥で顔色を変えた。
「あ、ムル、その……」
彼は少年から視線を上げると、少しだけ首を傾げた。その無垢な表情が、余計にチャッタの罪悪感を募らせる。
彼が次の言葉を発する前に、呻き声のような声が空気を震わせた。
ムルは横たえた少年に視線を落とす。
「目が覚めたみたいだ」
チャッタも慌てて筆記具をしまい、彼らの下へ駆け寄った。
少年が苦しげに眉を寄せ、むずかるように首を左右に振る。やがて、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
現れた彼の瞳を見て、チャッタは息を呑む。
少年の瞳は、髪色と同じ炎のような緋色をしていた。虚に瞳を動かす少年は、怯えているようにも見える。
ムルはそんな少年に、静かに声をかけた。
「どこか痛いところはあるか?」
「え……」
初めて気がついたような顔をして、少年がムルとチャッタに視線を向けた。
次の瞬間、少年は即座に身を起こし、大きく後ろへ跳び下がる。さながら小動物が天敵から逃げるような仕草だった。
現に彼の瞳の炎は、チラチラとその熱量を増している。
「あ、アンタら、ど、なんで」
「お、落ち着いて! 砂漠の真ん中で倒れていた君を、こっちにいる彼が助けたんだよ」
今にも噛みついてきそうな少年に、チャッタは左の手のひらを向けながら声をかけた。空いた片手で、隣のムルを指す。
炎の瞳がゆっくりとムルへ向いた。しばらく目を合わせて、少年は僅かに目を見開く。
「砂漠で、倒れてた?」
「そうだよ」
さて、これからどうすればいいのか。
チャッタは助けを乞うように、隣のムルに視線を向けた。
「元気そうだな」
ムルがどこか満足気に頷きつつ声をかけると、少年はどこか肩の力を抜いたようだった。
周囲を見回し、遺跡の入り口の方へゆっくりと足を向ける。
「問題ないなら、俺は行く」
「ちょ、ちょっと君⁉︎」
用事は済んだとばかりに出て行こうとする少年を、チャッタは呼び止めた。
そして、まるで叱るような口調で声をかける。
「助けてもらったんだから、お礼くらい言ったらどうなんだ? あのまま誰も通りかからなかったら、君死んでたんだよ」
僅かに少年の肩が跳ねる。彼は少し俯いて、苦々しく吐き捨てるように呟く。
「別に。それなら、それでも良か――んぐっ⁉︎」
「にょーにょにょぉっ‼︎」
「ちょ、ちょっとニョン⁉︎」
まるで「それ以上は言わせない」とでも言うように、毛玉が少年の顔面に貼りついた。
勢いで仰け反った少年は、大きく後ろに倒れ込んで尻餅をつく。ちょうど鼻と口も覆われているので、早く助けないと危険な状態である。
ムルが立ち上がって彼らに近づくと、少年の顔からニョンを強引に引き剥がす。
謎の生物は短い両手と耳を忙しなく動かして、何やら怒っているようにも見えた。
「な、な、なん……、何だよこの毛玉⁉︎」
「ごめん。ニョンが迷惑をかけた」
未だ暴れるニョンを力強く抱きしめながら、ムルは身を屈めて少年と視線を合わせる。
「お礼はいらない。ただ見過ごせなかったから、ここに連れてきただけだ。元気になって、ちゃんと行くところがあるなら、もうそれで良い」
ムルはそう言うだろうと思っていた。チャッタは諦めたように息を吐く。
「そうだね。事情は人それぞれだろうし、無理に聞かないよ。行きたいところがあるなら、引き止めたりもしない。それよりも僕は、この遺跡の調査で忙しいからね!」
遺跡、不思議そうに呟いて、少年はぐるりと周囲を見回す。しかし、特に何の感慨もなさそうに息をつくと、徐に立ち上がる。
彼はどこか不貞腐れたようにも見える表情で、目を伏せた。
「その毛玉が、礼の言葉がないって怒ってんなら……一応礼は言っとく」
ムルは大きく一つ瞬きをすると、少年の頭上に視線を上げて言う。
「お礼なら、そのとぅるとぅるっぽい髪の毛を触らせてもらえれば」
「はぁ⁉︎ 何言ってんのアンタ⁉︎」
「それは僕も同意するよ」
堪らず声を張り上げた少年に、チャッタは迷わず同意した。
まさかそんな事を要求されるとは、誰も思わないだろうから。
少年はその真紅の髪を両手でかき回し、舌打ちを一つ。怒りを通り越して、もう何か言うのを諦めたようだった。
「とにかく、俺はもう行く。手間かけて、悪かった」
少年は、遺跡の壁に背を預けて言った。
「そこは」
ムルが何やら声を出した、と思った瞬間、少年が寄りかかっていた壁の一部が奥に引っ込んだ。
続けて轟音を立て、遺跡全体が大きく揺れ始める。
少年は壁から距離をとり、チャッタはたたらを踏んで周囲を見回す。
すると遺跡の奥の壁が、ゆっくりと扉のように開いていくのが見えた。
「まさか、隠し部屋……⁉︎ え、そんな素敵な物がこの遺跡に⁉︎」
師匠は単にこの場所を、規模の小さい遺跡とだけ言っていた。隠し部屋があるという話は聞いたことがない。今まで誰にも発見されていなかったのだろうか。
「ムルは知ってたのか⁉︎」
チャッタが轟音に負けじと声を張って問いかけると、ムルは無言で頷く。
「何で教えてくれなかったの⁉︎」
思わず問い詰めるように叫ぶと、ムルは忘れていたのだと淡々と告げた。
「知っていたけど、入ったことはないんだ。生活するならここだけで十分だから」
「そんな事情でこんな重大なことを忘れてたの⁉︎」
価値観の違いに、チャッタは愕然として顔を引き攣らせる。
その間にも、扉は徐々に開いていった。
一つの扉が開き、その奥にはまた扉。それも振動と共に開いていく。
扉は何枚かあるらしく、それが順に開く度、遺跡の深部へと誘う通路が現れていった。
チャッタは両指を組んで瞳を輝かせ、期待の眼差しを向ける。
一体この先には、どんな神秘が待ち受けているのか。ここは師匠も知らなかった未知の領域なのだ。
高鳴る胸、緊張で沸き立つ肌。
チャッタは鼻で大きく息を吸って、現れる神秘の光景を待ち受ける。
しかし、見えてきたのは、思いもしない意外なものだった。
長いまつ毛を瞬かせて、チャッタは首を傾げてムルに問う。
「ムル。君…………同居人がいたのかい?」
「いない」
開いた扉の先には、三人ほどの見知らぬ人が、口を大きく開けて立ち尽くしていたのだった。
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