第39話 炎の髪を持つ少年

 ただ、自分の力を解放できることが悦びだった。

 擬似魔術器官と言うモノを宿してから、心臓が常に燃えたぎるように熱い。

 その熱は彼の身体を駆け巡り、狭い狭いと嘆きながら、その殻を突き破って出て行きたがっていた。


 その衝動のまま力を使うと、とにかく気持ちが良かった。目の前で何が燃えようと誰かが何か叫んでいようと、衝動のままに力を使う。


 しかし、いくら力を使って全てを燃やしても、心臓の熱は消えない。何度解放しても生まれ続ける熱は、いつも彼の中でここから出せと暴れている。


 そうして一時の快楽の為に、燃やして燃やして燃やしている間に、ふと、彼の意識は途切れた。




「――もう、百年近くも眠ったままだそうだ」

「まさか、そんなことがあり得るのか?」

「現に見ろ。まだ息がある」

 ゆっくりと目を見開く。視界一杯に砂礫色が広がっている。ここが何処なのかも、自分が誰なのかも分からない。

 複数の人間が、自分の周りで何か話をしている。


「しかし、いつまでもこのままと言う訳にもいかない。そろそろ潮時だ」

「擬似魔術器官は回収しろ、と言うことだな」

 その声を確かに聞いてはいたが、意味を理解できるほど彼の思考は鮮明ではなかった。息苦しさを覚えて大きく息を吸い込み、砂埃が喉に絡みつきむせてしまう。


 その音に気づいたのか、彼の周囲にいた人間たちが引きつったような悲鳴を上げた。


「目覚めた、のか……?」

 震える声が恐怖の混じった驚愕の声を紡ぐ。伝播する様に、彼の周囲から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がった。

 彼が虚な視線をそちらに向けると、男たちが数歩後ろに後退る。


「まさか……この場面で、か?」

「いや、これはこれで、動いてもらえると言うことだろう? 炎の悪魔アルガンに」

 炎の悪魔アルガン。彼はその単語を呟こうとしたが、音とならずに空を震わせるだけだった。

 周囲にいた内の数人が恐る恐る近づいてきて、彼の顔を覗き込む。


「本当に目覚めたのだな、アルガン。炎の魔術はまだ使えるか?」

「何故今更動いたのかは分からんが、それならそれで良い。また仕事だ。お前にとっても良い話だろう? 思う存分その力を使い、全てを燃やし尽くせるのだからな」

 アルガンは自分の名だ。


 彼、アルガンは横たわったままの指先を、僅かに震わせる。名前を認識した途端、次第に記憶が甦ってきた。自分がどのような存在で、何をしたのかも。


 思う存分、力を使える。悦びを覚えたのは、一瞬だった。


『全部燃やして、奪って。本当にそれで良いのか?』

 その言葉が誰のものかは分からない。

 誰かに言われたものなのか、それとも自分の内側から生まれた言葉なのか。

 静かな言葉は、責めるでもなくただアルガンに真実だけを告げる。


『ずっと、泣いているのに?』


 そうだ、自分はもう。

 軋む体に力を入れて、必死で身を起こす。


 話によれば百年近くも眠っていたようだが、彼の身体は思っていたよりも自由に動いた。これも普通の人間ではない証拠だろうと、彼は内心自分を嗤う。


 アルガンは、寝台代わりの磨かれた岩石に足を投げ出して座る。

 視線だけを動かして周囲を見回すと、何に使うのか分からない道具や石板、僅かな光でも輝く宝玉のようなものが目に入った。


 アルガンにとって見覚えのある場所。そこは彼が、炎の悪魔として生み出された場所だ。

 ちょうど良い、と彼は俯き口角を上げる。


 感覚を呼び覚ますように、体の中心に意識を集中させる。熱が両手に込められていき、懐かしくも憎らしい灯りが宿った。

 周囲の男たちから歓声が上がる。


「問題なく使えるようだな。早速――」

 もうこれで最後にしよう。こんなもの存在してはいけない。本当は二度と使いたくない力だけど。


 アルガンは両腕を発火させて、顔を上げる。

 男たちは彼の目に宿る殺気に気づき、逃げようとするが、遅い。


「――――」

 声ならぬ獣のような声を発して、アルガンは力を解放した。



 長い長い時間をかけて彼の中に蓄積された熱は、暴力となり弾ける。悲鳴すら上げられぬまま、男たちも、彼らが貴重に思う道具も始まりの場所も、巨大な力で押し潰されて消し飛んだ。

 

 ほんの一瞬、あるいは数十分。

 彼は意識を飛ばしていた。気がついた頃には廃墟となった建物の中央に立ち尽くしていて、未だ燃え盛る炎を見つめていた。

 何が燃えているかなど、考えずとも分かる。


 どうやらこの場所は、地面の下に埋まっていたらしい。壁が剥がれた先には岩盤が抜き出しになっており、彼の力は主に上へと突き抜けたようである。

 天井には、ぽっかりと穴が空いていた。


 膨大な熱に全身を嬲られているはず。それでも彼の皮膚は火傷の一つも負っていない。

 自ら生み出した炎では、己の命を終わらせることはできない。

 運悪く瓦礫が落ちてくるということもなく、彼は目立った傷も負わずその場に佇んでいた。


「こんな時でも、どっかでスッキリしたって思ってんのか。本当に、どうしようもねぇな」

 やはりこんな悪魔なんて、存在してはいけないのだ。アルガンは自分の腕に強く爪を立てる。


「どっかで、終わらせなきゃな」

 きっと、このままこの砂漠を彷徨っているだけで、燭台の火のように消えてしまうだろうけど。


 そう思って、彼は少し疑問に思う。ここは砂漠の真ん中であるはず。だとしたら開いた天井から、太陽の強い光が差し込んでいるはずなのに。


 上を見上げて、彼は大きく目を見開く。

 開いた瓦礫の隙間から、今にもこちらに落ちてきそうなほど、強く輝く星々が見えたからだった。


 終わらせる。終わらせなければならない。

 けれど、もう少しだけ。


 惹き寄せられるように、アルガンは外の世界へ足を踏み出した。





 ここの砂漠は、よく人が行き倒れる場所なのだろうか。

 口を半開きにしたまま、チャッタは少年を介抱するムルを眺めていた。


 ムルは少年の手首を取り胸に耳を当て、全身に視線を巡らせている。恐らく、少年の脈拍や外傷の有無を確認しているのだろう。妙に手慣れている。

 自分もこんな風に助けられたのか。そう考えると、チャッタは少し羞恥心を覚えた。


 それにしても、と彼は改めて倒れている少年に視線を送る。

 歳は十五か十六か、もう少し上かもしれない。痩せていてむき出しの手足は薄汚れていたが、怪我はなさそうだ。

 しかし、着ている洋服は所々が破れ、この砂漠でろくにマントも羽織っていない。


 そして何よりも目を惹かれたのは、少年の髪。その髪は、燃え盛る炎のような、見事な緋色をしていた。

 こんな色、今まで見たことがない。

 彼の容姿も状態も、不審な点が多すぎる。


「怪我はない。チャッタの時ほど体も熱くない。少し休ませれば大丈夫だ」

「えっと、ムル。その子のことだけど」

 ムルは振り返り、僅かに首を傾げる。

 彼は、この少年を見て何の疑問も湧かないのだろうか。


「ちょっと変だと思わないかい? 旅の商人とかならまだしも、こんな所でこんな少年が行き倒れなんて。何か特殊な事情があるんじゃ」

 事情、とムルはその言葉を繰り返す。


「チャッタも、あっただろう?」

「え、いや、それは、そうだけど。そうじゃなくて、何かワケ有りって言うか」

 チャッタが言い淀んでいると、ムルは少年を抱き上げ立ち上がる。


「それは、助けない理由にならない」


 彼の目が、真っ直ぐチャッタの瞳を見つめていた。大きく心臓が跳ね、チャッタは目を見開く。


 こんな人がいるのか。一切の迷いも躊躇もなく、人を助けることのできる人間が。


 ムルは再び視線を移動させ、目的地のある方向を見つめた。


「ここで休ませるより、遺跡に行ってしまった方が早いな」

 背を向けて数歩歩いて、彼は首だけで振り返る。立ち尽くすチャッタを、少し不思議そうに眺めた。


「行かないのか?」

「あ、ああ……」

 慌てて頷き、チャッタはムルの後に着いて歩き出す。全力で走った後のように、心臓が飛び出してきそうなほど高鳴っている。


 抱いたのは、畏怖の念にも似た感情。


 チャッタは前を行く背を見つめながら、無意識にムルとの距離を開けた。

 

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