第35話 二つの玉座

 視界が開ける。

 目に入ったのは、重なりあった真っ黒な人、らしきもの。酷い異臭を放つそれの傍に、見覚えのある武具が歪んだ形で地に落ちているのが見えた。

 それで何が起きたのかを理解し、背後の部下が呻き声を洩らす。


 シルハは奥歯を噛み締め、顔を上げた。

 この状況下で生きている者がいる。

 黒髪の少年と奥にあと何人か。その少年の拳には、揺らめく炎が見えた。


「オイ! これは貴様らの仕業か!?」

 少年は息を呑むと、自分の右手の炎を瞬時に引っ込める。

 魔術か。

 水を操る魔術ならまだしも、炎の魔術など噂でしか聞いた事はないが。


「悪魔の力……!? このガキ、何をした!?」

 背後の部下が叫びながら駆け寄り、少年の目の前に剣を突きつける。

 少年は抜き身の刃に怯えた様子もなく、激しい怒りに満ちた瞳を向けた。


「どいつもコイツも、悪魔悪魔言いやがってぇ……」

 彼の腕が動き、一切の躊躇なく目の前の刃を鷲掴む。同時に発火したその手は、白い刀身を橙色に染めどろりと融かした。


「ひっ……!?」

 咄嗟に剣から手を離し、部下が少年から距離を取る。幸い負傷はしていないようだ。


 この少年が兵士たちを殺したと言う証拠はない。しかし、死体の状況と彼の力、なんらかの関連があると見て間違いはない。

 そもそもこの力、野放しにするのは危険すぎる。


「――捕らえるぞ」

 シルハももう一人の部下も剣を抜き去った。少年の生み出した炎は勢いを増し、彼自身の両腕まで広がっている。

 荒い息遣いがこちらにまで聞こえてくる。手負の獣のように、少年が今にも飛び掛からんと足を踏み出す。


「ア……駄目だ!」

 この場にそぐわぬ流麗な声が響く。その声に反応してか、少年の足の動きが止まった。


 シルハはその声に既視感を覚える。

 少年の奥へ目を凝らすと、膝を折っている男の傍に、やたら綺麗な容姿を持つ人物が見えた。その目立つ容貌は見間違えようもない。


「確か、昼間の……?」

 どう言うことだ。まさか巻き込まれたのか。

 しかし、先程の声はこの少年に呼びかけているようだった。仲間なのか。

 対峙した少年への警戒を解かず、シルハは思案する。


 別の声が聞こえた。膝を折り顔を伏せていた青年が、微かに言葉を発したのである。

「ごめん、全部、つかう」

 その謝罪の意味は何だ。

 シルハが考える間もなく、青年は顔を上げ片手をかざす。


 彼のマントの影から、が飛び出した。

 それは獲物を狙い飛来する鷹のように、シルハたちの目前に迫る。


「み、水!?」

 鷹のようだと思ったものは、神官などが操るのと同じ水球のようだ。人の頭部ほどの大きさの物が三つ。

 瞬く間にシルハたちの頭上へ到達すると、即座に音を立てて弾けた。


 暴力的な勢いの水が一斉に降り注ぎ、シルハたちは思わず腕で顔を覆う。目にも入ったのか、視界が滲んで激しい痛みを覚えた。

 不明瞭な視界で周囲を探ろうとするが、部下たちの輪郭がおぼろげに見えるだけだった。



「う、くそっ……!」

「逃げられた、のか?」

 ようやく収まってきた目の痛みに腕を避けると、そこには自分たち以外誰もいなかった。

 少年もあの美しい人物たちも消えている。


 迂闊だった。

 シルハは音が出るほどに奥歯を噛み、少年たちがいた場所を睨む。


 そこでふと、ある事に気づいて視線を落とす。

 先程の水は、焼かれた兵士たちの上にも降り注いでいた。立ち上っていた煙すら消えている。


 額に貼り付いた髪から水滴が頬に伝う。怒り滾っていた皮膚ですら、冷たく感じられる温度だった。

 しかし全身を焼かれた彼らにとっては、そのみこそが心地よく感じられるのだろうか。


 怒りに震える部下の声を遠くに聞きながら、シルハはしばらく立ち尽くしていた。






 王都。そこは国の中心でありながら、多くの民からは夢幻のごとき理想郷として語られている。

 岩石や砂礫、粘土などが露出した岩石砂漠を越えた先にあり、王都の周囲は高い白亜の壁に囲まれている。

 先の争い以降、そこは許可を得た者、選ばれし者以外は足を踏み入れることすらできない。


 岩山を越えようやく辿り着けたとしても、旅人はその壁に阻まれ膝をつくのである。


 その王都の中心部。西側にあるオアシスを市街地から隔てるように、煌びやかな宮殿や教会が建ち並んでいる。

 半円状の屋根が乗った建造物は、それぞれこの国の政治や信仰の要となっていた。

 その中でも一際目立つのが、日の光を受けて銀色に輝く青白磁せいはくじの御殿。ここが王の住まう王宮である。


 黄金色に輝く玉座には、二十いくかいかないかくらいの男が座っている。

 彼が震える声で問うた。


「水を生み出す魔術は、まだ完成しないのか?」

 彼の視線の先には、頭を垂れる初老の男がいた。王座から伸びた、金、銀、真紅、鮮やかな色で縫われた絨毯の上で、片膝をついている。

 顔を僅かに上げ、男は答えた。


「恐れながら申し上げます、ジャザーム陛下。我々も手を尽くしておりますが、件の種族が滅びてから数百年。何の文献もない状況ではなかなか」

 

 砂漠の国の王、ジャザーム・サイは視線を彷徨わせ、組んだ両指をモゾモゾと動かしている。

 一流の職人が手がけた荘厳な衣服も、その身を飾る宝玉の輝きも、何一つその身に見合っていない。

 王の衣装を着せられているだけの、ただの若者だ。無理に生やしたと思われる焦茶色の顎ひげも、却って滑稽だった。


「水が足りないのだ、アブルアズ。このままでは民に十分な水を与えることができなくなる。我はどうすれば良い? どうしたら……」

 アブルアズ大司祭は、幼い子どもを宥めるような笑みを作った。

 白を基調とした羽織ローブを着込み、左の胸元には聖職者を表す紋章が金糸で刻まれている。節くれだった中指に銀色の指輪をはめている以外は、実に慎ましい装いであった。


「ご安心下さい。我が私兵が動いております。その御心を悩ます水の件、少しは楽になりましょう」

 しかし、と彼は言葉を区切り、灰色の眼を沈痛そうに細めた。


「擬似魔術器官の研究。今後の為に……何か良い雛形サンプルでもあれば良いのですが」

 アブルアズがおもてを上げると、怯んだように王が肩を震わせる。何かを胸の奥へ落とし込むように、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「ああ、そうか。まぁ、其方そなたの私兵が動いてくれているのであれば、安心だろうな。それに時が経てば――いや、それは良い」

 我も手を考えておこう。

 そう言って遠い目をする王を、アブルアズはにこやかな笑みを持って見つめた。





 アブルアズの自室の扉が、控えめな音で叩かれる。彼が柔らかい声で返事をすると、壮年の神官と兵士が現れた。

 どちらもアブルアズの下で働く者たちだ。

 それを目視した途端、彼は聖人とした表情を消す。無言で神官が入室し、兵士は扉の外に残った。


「アブルアズ様、ご報告です」

 神官はアブルアズの前で一礼すると、淡々と話し始める。


「リペの例の神官ですが、条件を呑んだそうです。そこで早速術を施したと。適合するかどうか、近日中に結果が出ることでしょう」

 アブルアズは面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、椅子にゆるりと腰かけた。


「まぁ、賢明な判断だな。やった事は愚かだが使える奴だった。有効活用せねば勿体ない」

 しかし奴の愚行のおかげで、ずっと探していたアレが見つかったのも事実だ。その点では感謝しても良いかもしれない。

 アブルアズは自身の顎に触れつつ思う。


「それと、リムガイからの報告です」

「……また何か諍い事を起こしているのではないだろうな?」

 アブルアズは好青年然とした例の顔を思い浮かべ、内心ため息を吐く。奴はどうも快楽主義で私情を絡めすぎる。


「いえ。報告は二つ。まず、淵源えんげんの悪魔、アルガンとは無事に接触したそうです」

 接触したと言う事は、合流はまだか。また悪い癖が出たのだろう。リムガイは特に、アルガンに執着している。

 アブルアズが渋い顔をしていると、部下がこちらが本命だと言わんばかりに声を張った。


「それと、もう一点。彼が言うには……神官でもないのに水を操る魔術を使う相手がいたと。針も使っていたそうです」

「なに?」

 その言葉に片眉を跳ね上げ、アブルアズは息を呑む。ある種族の名が浮かび、睨むような眼差しを神官へ向ける。


「事実か?」

「そのようです。しかしそれだけで、何か特別な力を持っているようには見えなかったと。彼が負わせた傷もそのままだったようです」

「治癒能力も見られなかった、と言うことか」

 わざと隠しているのか、それとも。

 眉間の皺を深くしたアブルアズを見て、部下が遠慮がちに尋ねる。


「いかが致しましょう? 元々何らかの対処はする予定でしたが……志願している兵もおりますし、念のためその者は生かして捕らえますか?」

「いや、良い。体だけ回収するように言っておけ」

 承知致しました。

 アブルアズの言葉に、部下は淡々と答えて頭を下げる。そして報告は済んだとばかり、もう一度深々と一礼し退室した。



 部屋の中を再び静寂が満ちる。

 神官でもないのに、水の魔術を操り針を持つ。事実だとすれば、それはあの種族が生きていると言う事だろう。


 初めは確かに、彼女らの力を蘇らせることを目的としていた。

 しかし、今、アブルアズにとっては、その者が水の蜂かどうかなど、どうでも良いことである。


 仮にその者が水の蜂だったとしても、なのだから。


 アブルアズは立ち上がり、自室の窓から見えるオアシスを見下ろす。

 太陽の光を浴びて、王都のオアシスは深い蒼色に輝いている。何物にも代え難い宝玉のように。


 この国全ての民の命を支える水源。しかしその水の全てが、地下水脈とやらで賄われているはずがない。だとすれば、とっくにこの国は滅びていただろう。


 絶対に、存在する。

 アブルアズは眉間に深く皺を寄せ、苦々しく呟く。


「一体どこに隠している……!?」

 この王宮に、あるはずなのだ。


 女王蜂のいる玉座が、どこかに。

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