第34話 明るすぎる空

 階段を上り、地上へと出る。

 は顔を上げて、赤褐色の円に切り取られた夜空を眺めた。空全体が薄ぼんやりと白んで見えるせいで、星々の数は少なく見える。


 王都やこの町の空を、彼はいつも怪訝な顔で見上げてしまう。故郷の村で見上げた空はもっと暗く静かで、無数の星たちの独壇場だった。自分も星空の一部になったかのような、安堵にも似た感覚を覚えたものである。

 王都もこの町の空も、彼には騒がしく明るすぎるのだ。


「そうそう。あの新人の槍捌き、なかなか良かったんじゃないか?」

 彼の耳が聞きなれた声を拾う。

 視線を前方へと移すと、壁に背を預けて談笑する部下たちの姿が見えた。


「いや、俺の一押しは三番目に手合わせしたアイツだな。古参なだけあって、実戦を想定した動きができている」

 話題はどうやら、日中に行った後続育成という名の合同訓練のことようだ。彼らは王都から派遣され、リペの兵士たちの指導に当たっていたのである。

 部下たちは彼に気づくことなく、楽しげに会話を続けている。


「何月かに一回とかじゃなく、もっと頻繁に行き来があっても良いのになぁ」

「ああ、王宮勤めとは言え、国が平和だとあまりやることもないしな!」

「おい」

 そこでいよいよ堪らず、彼は声を上げる。今だって任務の最中なのだ。気を抜きすぎではないだろうか。


「し、シルハ様……」

「到着されたのですね。今までどちらへ」

 彼らはシルハの姿を見て、慌てふためき背筋を伸ばした。

 国が平和なのは良いことだろうに。

 せっかく磨いた腕を振るう場所が少ない、と思う気持ちは分からなくもないが。

 シルハは鼻で軽く息を吐き、部下たちの問いに答える。


「リペの町主様にご挨拶を一応な。それより、状況はどうなっている」

「はい! 準備が整い次第、声がかかるそうですが、まだ」

 シルハが視線を中央へ遣ると、暗く巨大な穴が目に入る。小さな集落ならば入ってしまいそうなほど大きい穴は、今は見る影もないこの町のオアシスだ。


 底の方には辛うじて水があると言うが、この角度からは見えない。巨大な闇が満ちているようで、不気味さすら感じる。

 その周囲で、リペの神官や兵士たちが忙しなく動いていた。

 やがて、一人の兵士がこちらへ駆け寄ってくる。


「ああ、ちょうど良かった。シルハ様も到着されていたようで」

 彼はシルハの姿を見とめると、居住まいを正して頭を下げた。


「大変お待たせ致しました。準備が整いましたので、始めさせていただきます。いつも通り立ち会いと、最終確認をお願い致します」

「ああ、分かった」

 シルハたちが、改めて中央へ視線を向ける。

 リペの神官が等間隔に並んでオアシスを取り囲み、背後にはそれぞれ兵士がついていた。傍らには腰くらいの高さの水瓶が置かれている。


 神官が手をオアシスにかざすと、水球が水瓶の中から浮き上がった。生まれたての赤ん坊と同じくらいの大きさだ。一斉に宙を浮遊する水球は、オアシスの底へ。

 ここからは見えないが、底に到達した時点で弾け、元の量の水へと戻るそうである。

 地道にこの作業を繰り返すことで、オアシスに再び水が満たされていくのだ。


 後続育成と言う名の合同訓練は建前だ。

 シルハたちの任務は、王都からこの町へオアシスを満たす水を運搬することである。


 膨大な量になるため、数名の神官だけでは運ぶことができない。かと言って、頻繁に王都からリペに移動をしている集団がいると目立ってしまう。

 そのことから、シルハたちの訓練が隠れ蓑として選ばれたのだった。


 オアシスが枯れたのは、町主の過失だと聞くが、真偽は不明である。はっきりしているのは、リペの人々を悪戯に混乱させないため、王都から秘密裏に水を供給している。それだけだ。


「しかし、すごいよな」

 背後に立っていた部下が、どこか他人事のように呟く。

「何月かごとに、ここのオアシスを満たす水に、他の民に配給する水だろ? 王都のオアシスってすごいんだな」

 もう一人の部下が、その話に乗って答える。


「そりゃ、地下水脈ってやつが通ってるんだろ? 遠くの地から水が運ばれてきているんだ。その地にはきっと雨も降るし、豊かな大地が広がっているんだろうよ」

「へぇ、そんなもんか」

 コイツらは、口を開かなければ気が済まないのか。

 シルハは何人かいた部下の中から、この二人を立会人として選んだことを後悔した。


「黙っていろ。今、我々の仕事はこの作業を見守り、最後まで見届けることだ。お喋りはそれが終わってからにしろ」

「も、申し訳ありません」

 そう言えば、昼間もやたらとお喋りな奴らに出くわした。何故自分の周囲はこのような奴らばかりなのか。

 シルハは眉間の皺を濃くして、深く息を吐く。



 悲鳴にも似た声が上がったのは、その時だった。出所はどうやら、オアシスを挟んだ向こう側のようである。

 暗さと距離で何が起きているかは分からない。シルハの近くにいる兵士や神官も、状況が分からず戸惑っているようだ。

 やがて兵士が一人、転びそうな勢いで足をもつれさせ駆け寄ってくる。


「し、侵入者です! どうやらオアシスの様子を見られた可能性があるようで……」

「何だって……!?」

 途端に周囲の兵士や神官たちに動揺が走る。

 今のオアシスの様子を、決して住民には知られてはいけないと命が下っていた。オアシスが枯れてしまったと知れれば、混乱が起きるからだと。


「ど、どうするんだ?」

「そう言われても……どうにかしないと」

「どうにかって、どうするんだ?」

「いや、私に言われても」

 兵士たちの視線は彷徨い、定まらない。まるでお互いに責任を押し付けあっているようだ。


 自分はこの町の人間ではないが、口を出すべきか。シルハが思案し始めた時、ようやく責任者らしき兵士が駆け寄ってきた。

「お前たち、落ち着け! 情けない、シルハ様たちもいらっしゃるのだぞ」


 頼りない部下たちを一喝すると、彼はまずシルハたちに向かって頭を下げる。

 すぐに部下たちに向き直り、報告に来た兵士を見つけて声をかけた。


「お前はその侵入者を見たのか?」

「い、いいえ! 自分は壁の影でよく見えず……」

「そうか。で、誰か追ったのか?」

「は、はい! 侵入者を目撃した兵と、他何名かで手分けをし、既に追跡をしているようです」

 それを聞いた責任者は、額を押さえてため息を吐く。


「だったら、それを待つしかないだろう? 何を狼狽える必要がある。侵入者を捕らえて、後の指示は町主様に仰ぐ。前例のないことだからと言って、冷静さを失ってどうする」

 兵士や神官ももっともだと思ったのだろう。ばつが悪そうな表情で頭を下げた。


「申し訳ありません。見苦しいところをお見せしてしまって。普段の任務では全く問題ないのですが、不測の事態にここまで弱いとは……鍛え直します」

 どこの兵士も頼りないのは一緒だな。

 シルハは背後の部下たちに意識を向けつつ、黙って首を横に振る。


「さあ、お前たちは作業に戻れ! ぐずぐずしていると、日が昇ってしまうぞ」

「も、申し上げます!」

 仕切り直しと言う所で、再び別の兵士が飛び込んでくる。

 責任者も露骨に苛立ちを滲ませ、にらむような視線を向けた。


「なんだ、まだ何かあるのか?」

「壁の周囲を、警備していた者からの報告です」

 息を弾ませ、飛び込んできた兵士は叫ぶように告げる。


「壁の周辺に怪しい人物がいた為、一部の者が声をかけた所、その者にき、斬られて、全員、絶命したそうです‼︎」

 その場にいた全員、シルハですらも思わず絶句した。


 思わぬ侵入者に謎の敵。冷たい手で背筋を撫でられたようで、シルハは僅かに肩を震わせた。




 明らかに異常だ。

 迷宮のような道を駆け抜けながら、シルハは鷲色の瞳を空へ向ける。

 夜空の一部が赤く発光しているのだ。まるでその下で、何かが燃えてでもいるかのように。


「シルハ様……! これは……」

「気を引き締めろ! 何が現れても動揺せずに対処できるようにな」

 あの後、動揺する責任者たちを見兼ね、自分たちが代わりに追跡を買って出た。


 それなりに腕の立つ兵士をあっという間に倒す腕。目撃者が言うには、フードの下の口元は弧を描いていたとも言う。得体の知れない不気味さすらある敵だ。

 無駄に命散らすよりは、と思っての行動だったが、既に手遅れかもしれない。


 シルハたちは何度目かの行き止まりに苛立ちながらも、次第に異変を察知した場所へと近づいていく。


 遠くで何者かの声がして、塀の上から火柱が上がった。


「な、なんだ!?」

「行くぞ!」

 ついに目的地へと通じる道を見つけ、シルハたちは一気に駆け抜けた。

 腰元の鞘へ手を添え、いつでも抜けるようにして。

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