第32話 炎の悪魔
「それにしても、一瞬分からなかったよ。その髪染めたの? 気分転換? へぇ、そっちも良いね。普通の人みたいだ」
青年は好青年の雰囲気を崩さなかった。とても残虐行為を働いた後とは思えない。
しばらく間があって、アルガンが短く息を吐いた。嘲笑のようである。
「何言ってんの、アンタ。俺、こんなデカい弟がいる歳に見える? 年下つかまえて『兄さん』だって? ふざけるのも大概にし」
「兄さんこそ」
アルガンの言葉に被せるように、青年は微笑み言った。
「面白い冗談だね」
気圧されたように、アルガンはそれっきり黙り込んでしまう。
チャッタは強ばるアルガンの横顔と、涼しげな顔で佇む青年を交互に見やる。頭が上手く回らない。
「ああ、そうか」
青年の視線が不意にこちらへ向く。チャッタの肩が大きく跳ねるが、青年は気にした様子もなく独り言のように呟いた。
「兄さん、自分のこと話してないのか。確かに信じられない話かも知れないけど、話してあげれば良かったのにー。ばっちり後世に語り継がれててカッコいいじゃない」
彼は心底残念そうにため息を吐くと、改めてチャッタに向き直った。世間話でもするような気安さで口を開く。
「キミ、アルガン兄さんのこと何処まで知ってる? 一緒に旅してたんだし、炎の魔術を使えることはさすがに知ってるよね。だったら、何故兄さんがその力を持ってるのか、その理由は知ってる、かな?」
「おい、止めろ……!」
アルガンが静止の声を上げる。しかしそれは弱々しくて、今にも消え入りそうな声だった。
言葉とは裏腹にその場から動こうともせず、アルガンの全身は酷く震えている。
「炎の魔術を使える、理由……」
チャッタは呆然と首を降る。
そんなことは、知らない。
彼、アルガンは一緒に旅をしている仲間で、ちょっと生意気で大食いで、何故か炎の魔術が使える。
そう。チャッタはアルガンのことを、その実ほとんど知らないのだ。
その生い立ちも素性も、悪魔と呼ばれる力を持つ
「ああ、やっぱり知らないんだ。ねぇ、兄さん良いんじゃない? この際、聞いて貰えば」
アルガンは、何か特殊な生い立ちがあるのだろうとは思っていた。
今までチャッタは、彼からそれを聞いてみようと思わなかった訳ではない。
素性の知れない相手と旅をすることが危険だと知りながら、ずっと先延ばしにして避けてきたのだ。
だって、それを聞いてしまったら何故か、
「えっと、百年前、だっけ。それくらいに終わった大きな争い。炎の魔術を使った炎の悪魔は、その戦場で都市も人命も水も、全てを燃やし消し去った。でね、正にそれをやってのけたのが」
この楽しい日々を、失ってしまうような気がしたから。
「ここにいる、アルガン兄さんだよ」
チャッタの周囲を取り巻く世界がその瞬間、全ての色と音を失った。
頭が真っ白になる、とはこの事だろうか。この青年は何を、言ったのだろうか。
「アル、ガン……」
辿々しく、チャッタは彼の名を呼んだ。
さっきのように、鼻で笑って否定して欲しかった。そんな彼の希望とは裏腹に、アルガンは押し黙っているだけだった。
肯定も否定もしていない。それが却って、青年の言葉が真実であると証明しているかのようだった。
「元々は蜂さんの魔術を甦らせる研究だったんだけどね。その過程で、炎の性質を持つ疑似魔術器官が産み出されてね。それを身体に埋め込むことで僕ら、炎の悪魔は産まれたんだ。その中でも最強にして最高傑作! それがアルガン兄さんだよ。ここまで完璧に近い形で擬似魔術器官に適合し、かつ、ここまでそれを使いこなしている人はいないんだよ。スゴいよね!」
「『僕ら』、だって?」
押し黙っていたアルガンが、初めて青年の言葉に反応した。血の気が引いたその顔で、真紅の瞳が限界まで見開かれる。
「まさか、アンタ……」
青年は彼の反応に首を傾げていたが、やがて合点が入ったように両手を打つ。
「ああ、そうかぁ。兄さんあの後長い間、眠っちゃってたから、直接顔を合わせたことはなかったんだっけ? 僕が一方的に知ってただけか。ごめんね! それは『アンタ誰』ってなるよねぇ!」
青年は一人で可笑しそうに笑い、膝を打っている。
炎が爆ぜる音と共に、彼の楽しげな笑い声が広場に響く。
一頻り笑った後、彼はアルガンに向かい優雅とも言える動作で頭を下げた。
「改めて自己紹介するね。僕はリムガイ。兄さんと同じ、炎の擬似魔術器官を埋め込まれて誕生した、炎の悪魔だよ。一応兄さんの次に傑作とも言われているね」
アルガンが息を呑む音が、やけに大きく聞こえてきた。
彼の狼狽えた様子など気にした素振りもなく、リムガイと名乗った青年はにこやかに微笑む。
「今夜はね、兄さんを誘いに来たんだ」
歌うように、滑らかにその言葉が紡がれていく。
「この国全体で水が足りなくなってるらしいんだよね。今までと同じように水を使っていると、近い内に足りなくなっちゃうんだってさ。上からも何とかしろって言われてて」
だから、僕はこう思ったわけ。
「水を必要とする、そもそもの人数が減れば良いんじゃないかなって」
リムガイはどこか既視感を覚える表情で言った。
「あ……」
アルガンが小さく声を漏らす。以前、それと似た言葉を発したのは彼なのだ。
「だから僕らは今、適当な集落とかの人を減らして回ってるんだ。この国の為にね。その手伝いを兄さんにしてもらいたくって」
「ふざけんな! そんなこと、そんな、誘いに乗るわけ――」
「えぇ、そう? これ、兄さんにとっても悪い話じゃないと思うけど」
心底不思議そうな表情で言うと、リムガイは一歩ずつアルガンに近づいていく。
「兄さんの存在が明るみに出たってことは、使ったんでしょ? 炎の魔術。ね、やっぱり思い切り力を使うのは気持ちが良かったでしょう? 僕らはそういう風にできてるんだからさ」
足を後ろに引いたアルガンだったが、それきり動きを止めてしまう。何か見えない力で、その場に縛り付けられているようだった。
「ねぇ、行こうよ。僕っていわば末っ子でさ。他にも兄さんはいるんだけど、僕たちみたいに魔術器官が上手く適合しなかったみたいでね。ろくに雑談もできなくてツマラナイんだよね」
その点でも、兄さんが来てくれると嬉しいんだけど。
そう言ってリムガイは、アルガンの目前まで歩を進める。
そしてゆっくりと彼の耳元に顔を近づけ、何かを囁いた。
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