第31話 久しぶり(※)

 兵士の体が倒れる音を最後に、周囲は再び静寂に包まれる。

 広場を見回して動くものがいないことを確認すると、チャッタは崩れた塀の影から顔を出した。

「お疲れ様。これで一安心、かな」

 声をかけながら二人の方へと近づく。


 ムルは小さく頷くと、細く長い息を吐いた。流石にこの人数を相手取るのは骨が折れたようである。

 しかし忘れずにと、とアルガンが倒した兵士にも針を突き立てに行く。

 それだけ見れば、なんだかこちらが悪人のようだ。


「うーん。ネイラさんの安全確保の為、とは言え、申し訳ないことをしたね」

「はぁ? 正当防衛ってやつだろ? 今さらじゃね」

 アルガンが鬱陶しそうに、倒れている兵士達を眺めつつ言う。


 彼の気持ちも分かるので、チャッタは曖昧な笑みを浮かべた。

 体質か、以前の敵よりも毒の回りが早そうだ。その分早く復活してくれることを祈ろう。


 チャッタの真横を、毛玉が軽やかに跳ねながら追い越していく。思わず目で追うと、ニョンがムルの元へと飛び跳ねていくところだった。


「終わった、の?」

 か細い声を上げたのはネイラだ。

 両手でしっかりとイベーラを抱き、不安げに視線を彷徨わせている。


「兵士様たちはどうなったの? まさか――」

「あ、いえいえ! 皆さん気を失っているだけなので大丈夫ですよ!」

 慌ててチャッタが駆け寄り、微笑んで見せる。


「遅くとも明日になれば、皆さん元気になりますし、ネイラさんのこともすっかり忘れてます。これでいつも通り過ごせますよ」


 命を奪った訳ではない、と言う事だけは信じてくれたのか、彼女は僅かに肩の力を抜く。

 しかし訝しげな表情はそのままだ。


 さて、どこまで説明するべきか。

 ムルが水の蜂だと言うことは伏せるべきか。本人にあまり隠す気はないようだが、今回は魔術を最低限しか使っていなかった。

 目立つことを避けた為か、単なる手加減か。



 チャッタが思案し始めたその時、アルガンが焦ったような声を発した。

「おい!? なんか、ヤバいぞ……」

 振り返ると彼が、広場の入り口を睨むようにして立っている。


 そこでチャッタもハッと息を呑んだ。

 怒号と足音が、次第にその大きさを増して近づいてくる。先程と同様、いや、それ以上の人数がこちらへ向かってきているようだ。


「新手ってことか? ウソだろう、そんな訳……」

 ここは住居からも離れているし、いざこざがすぐ誰かに伝わったとも思えない。

 出入り口はアルガンが塞いでおり、この場から逃げ出した兵士は一人もいない。それなのに何故。


「皆、とにかくこっちへ!」

 状況が分からない今は、逃げることが最善だ。チャッタが皆を塀の向こうへ誘導するため、声を出す。


 しかしその後、動こうとしたのはネイラだけで、アルガンもムルもその場から微動だにしなかった。

 彼らは道の先ではなく、少し上を見上げるようにして身構えている。


「誰かが、塀の上を走ってる」

 呟いたのはムルだ。彼は肩に乗る相棒へ視線を向ける。ニョンは何かを察したように、ネイラとイベーラを導きその場から離れていった。

 チャッタは二人に倣い、視線を上に遣る。


 暗がりから次第に、人の輪郭が浮かび上がってきた。足音一つ立てず、危なげなく塀の上を走っている。

 その何者かは、大きく放物線を描くように跳躍し、広場に向かって飛び下りた。


 体格からして恐らく男だろう。頭のフードから覗いた、白銀の髪が輝いている。身にまとった闇色のマントがひるがえると、腰元に挿した剣鞘が顕になった。

 彼はリペの兵士たちと、服装も装備も異なっているようだ。


 チャッタ達を飛び越え羽のように降り立つと、はこちらを振り返った。


「ああ、やっと会えた! こんなところにいたんだね!」

 敵意など微塵も感じられない。驚きと歓喜に満ちた声だった。


 三人が戸惑う中、彼が頭のフードを取り去る。

 その下には好青年のお手本のような笑みがあった。砂金色の瞳が煌々こうこうと、満月のように輝いている。


「すごい偶然、これも運命ってヤツかな? こうして会えるんだったら、理不尽に追いかけられたのも悪くなかったかもね」

 一人で納得したように頷き、盛り上がっている。


 敵意は全くなさそうが、チャッタの知り合いにこんな青年はいない。

 他の誰かの知り合いか。いや、自分が忘れているだけか。

 チャッタは恐る恐る口を開いた。


「――おい!?」

 切羽詰まったアルガンの叫び声が響く。慌ててチャッタが振り返ると、広場に続々と兵士達が現れた。


 そうだ。ぼんやりしている暇はなかったのだ。

 アルガンとムルはいつでも迎え撃てるよう、神経を張り詰めている。やはり先程よりも人数が多い。その上何だが酷く殺気立っていた。


「貴様! よくも!」

「仲間がいたのか!? これも貴様らの仕業か!?」

 倒れた同僚の姿を目にして、彼らは更に顔を歪めた。兵士たちの視線はどうやら、チャッタの背後にいる青年に向けられたもののようだ。

 身体は小刻みに震え、拳を握り、唇を血が滲むほどに噛んでいる。瞳も燃え盛る炎のように激情で揺れていた。


 仲間を傷つけられれば、当然怒りを覚えるだろう。しかし、生死の確認もせずに何故ここまで。

 一体この青年は何をしたのだろうか。


 チャッタは青年へと視線を向ける。

 その意図を汲み取ったのか、彼は両肩をすくめると、困ったように眉を顰めて言った。


「何を勘違いしたのか知らないけどさ、突然オアシスがどうとか言って襲ってきたんだよね」

 彼はのんびりとした口調で話しつつ、歩を進める。

 

「で、仕方なく返り討ちにしたら、どこまでも執拗に追いかけてくるしさ」

 チャッタの横を通り抜け、ムルとアルガンの近くへ。そして、彼は二人よりも一歩、前に出た。

 今にも襲いかかってきそうな兵士たちの目の前で、ため息混じりに呟く。


「だったらこっちも、遠慮することなんてないよね。だって――」

 彼が腰元に手を伸ばす。


 ゆっくり抜き放った細身の刃が、とぐろを巻く蛇のように、一瞬でその身に深紅の炎を纏った。


ってヤツだし」


 刃が前方を薙ぎ払うように赤い一筋の弧を描く。その軌跡が消え去る前に、青年は剣を鞘へと収めた。


 攻撃をされたはずの兵士たちも、一瞬何が起きたのか分からなかっただろう。


 は。



 悲鳴を上げることもできず、チャッタは呆然と立ち尽くした。

 踊りでも踊っているように、いくつのも黒い人影が悶え、うごめき、徐々にその形が崩れていく。現実味のない光景だった。


 肉の焼ける匂いと、天を裂く断末魔が遅れて彼の元に届く。チャッタはようやく、この光景を現実だと理解した。

 胸の奥底から何かが込み上げてくる。口元を抑えて、その場に膝から崩れ落ちた。


「チャッタ」

 凛と静かな声が響く。

 ムルだ。いつの間にかチャッタの傍に寄り添い、背中にそっと、手を当ててくれている。

 砂漠に一滴の水が落とされたようだ。その声と感触が、チャッタの心を僅かに潤した。


「アンタ……何者?」

 アルガンの絞り出すような声が響く。茶化すでもない冷静な口調が、却って彼の怒りや混乱を表しているようだ。


 空気が小刻みに震えている。青年がくすくすと笑っているのだ。

 楽しげに弧を描く唇が、その言葉を紡ぐ。


「久しぶりだね。会えて嬉しいよ、

「――は?」


 あまりにもその場にそぐわぬ言葉に、チャッタは思わず顔を上げた。


 炎を背負って佇む青年の瞳は、真っ直ぐアルガンへと向けられていた。

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