第30話 演舞
ちょっとした広場と言われていたが、住民の憩いの場と言うには歪な空間だった。
所々崩れた塀に囲まれ、周囲の建物にも人の気配は感じられない。そこにあったものを取り壊してできた空き地、と言ったところか。
しかしこの場所であれば、それなりの人数が暴れても問題なさそうである。
その広場の奥に、ムルが普段通りの涼しげな顔で立っていた。
チャッタは最後の力を振り絞って広場を駆け、彼とすれ違う。安堵からか全身は鉛のように重くなり、発した声は酷く掠れていた。
「ネイラ、さんたちは?」
「後ろに。ニョンたちも一緒だ」
上半分が崩れた塀の向こうから、ネイラがこちらを伺っている。目が合うと彼女は少し目元を緩めた。心配してくれていたのだろう。
チャッタは崩れた塀に駆け寄り、彼女と共にその影に隠れる。
自分の役目はここまでだ。後は彼らに任せよう。
チャッタはムルたちの戦いを見守るためにと、こっそり広場を覗く。
自分を追いかけていた兵士たちが、次々に広場へ飛び込んでくるのが見えた。ちょうど良い距離感で誘導できていたようである。
「やっと、追い詰めたぞ……」
「散々逃げ回りやがって!」
「いや待て。お前、さっきのヤツと雰囲気が……?」
彼らが、訝しげな表情を浮かべ始めた時だ。
「はいはーい。おにーさん達、ご苦労様」
呑気な声と共に、アルガンが軽い身のこなしで塀の上から飛び下りてくる。彼が背筋を伸ばして立つと、ちょうどチャッタたちが通ってきた道を塞ぐ形となった。
前方にはムル、背後にはアルガン。
交互に視線を送り、兵士たちは顔色を変えた。
怪しい人物を追っていたつもりが、この場に誘い込まれていたことに気がついたのである。
アルガンがおどけた様子で首を傾げた。
「はい。確かに全員、ご案内させていただきましたー」
その言葉を皮切りに、ムルは動いた。
駆け出すと同時にマントへ右手を突っ込むと、腰の辺りから拳大の小瓶を取り出す。透明な硝子の中で、中の液体が月光を受けて煌めいた。
彼は小瓶の栓を捻り、中身を宙へ。液体だったソレは命を持っているかのように集まり、彼の手の中で形を成していく。
兵士達はランタンから手を離し、一斉に腰元の剣を抜いた。片刃で細長く、切先にかけて三日月のように湾曲しているものである。
彼らはそれをムルに向かって構えた、つもりだった。
既に彼は大きく地を蹴り、一気に距離を詰めている。
逆手に握った針を、近場にいた兵士の胸に突き立てた。
二の腕ほどの長さの針がスルリと抜かれ、兵士は前のめりに倒れ臥す。
兵は皆、簡素な鎧で武装していたが、ムルにとっては文字通り隙をつくことなど容易いことだ。
兵士たちは何が起きたのか分からず、剣を構えたまま立ち尽くしている。
その間にムルは、振り返りながら次の相手に針を刺す。身体を痙攣させた男は、くぐもった声を発して膝を折った。
「……貴様……っ!」
瞬く間に二人の仲間が倒され、焦った様子で兵士たちは動き出す。
最も近くにいた兵士が、ムルに向かって剣を真っ直ぐ突き出した。しかし、胸元を狙って繰り出された突きは、彼が針をぶつけ切先をいなしたことで空を薙ぐ。
空いた脇腹にムルの回し蹴りが決まり、男は横に吹き飛んだ。
「くそ! 怯むな!」
これ以上攻撃の機会を与えまいと、兵士たちが一斉にムルへと襲いかかる。
振り下ろされた刃を、ムルは半歩下がって避けた。相手はその動きを見ると、瞬時に手首を返し攻撃を横薙ぎに切り替える。その刃もムルは屈んで回避した。
そして下から伸び上がるようにして懐へ潜り込み、針を振るう。
毒が入り苦悶の表情を浮かべる男を、ムルは少々乱暴に手のひらで押した。
「うぉ⁉︎」
のけ反った身体は、その背後にいた何人かを巻き添えに倒れていく。
「この……!」
その妨害を避けた兵士が、ムルへと駆け寄った。そして、両手で勢いよく剣を振り下ろす。
ムルは片足を後ろへ引くことで剣撃を避け、その足を振り上げ剣の
痛みで腕を押さえる相手に対し、容赦なく針を身体に突き立てた。
「さっきはよくも……!」
脇腹を押さえた男が、剣を構え直しムルへと向かう。痛みか怒りか歯を食い縛り、変則的な動きで彼に斬撃を繰り出していく。
右肩、左脇腹、足下。いずれもムルは踊ってでもいるかのような動きで軽く飛び跳ね、それを
しかし、反撃する隙はないようである。
背後から別の敵が迫っていた。
「あ。ムル、これ使えばー!」
その事態に気づいたアルガンが声を上げ、無造作に何かを放り投げる。
回転しながら落ちていくのは、三日月のように湾曲した剣。恐らく、先程ムルが蹴り飛ばしたものだ。
ムルは落ちてきたそれを危なげなく片手で掴み、正面と背後、襲ってきた斬撃を同時に受け止めた。
そんなものを放り投げる方もだが、平然と受け止める方もどうかしている。
見ていたチャッタは内心冷や汗をかいた。
まさか、受け止められるとは思わなかったのだろう。兵士たちが怯んだ隙に、ムルはわざと力を緩め、バランスを崩した男たちへ順に武器を振るった。
砂塵が舞う中、一人、また一人と、兵士が倒れていく。
細い針一本で淡々と戦う彼の姿は、その仮面のような表情もあって暗殺者のようだった。
自分は兵士たちが気絶しているだけだと解るのだが、彼女は大丈夫だろうか。
チャッタは恐る恐る、隣のネイラへ視線を向ける。
彼女は目も口も大きく見開いて、広場の様子に釘付けだ。恐がっていると言うよりは、呆気にとられているように見える。
恐がってはいないようだが、後できちんと説明しよう。
チャッタはそう心に誓い、再び広場へ視線を戻す。
その間にもムルは、順調に仕事をこなしていたようだ。立っている兵士の数は、既に片手で数えられる程になっている。
最初の威勢はどこへ行ったのか。後退りをした兵士が、ゆっくりと頭を振り震える声で呟く。
「これは……誰か応援を」
「残念。だから俺がいるんだよ」
鈍い音と共に兵士を沈めたのは、アルガンである。
魔術は使えないので体術のみであったが、恐怖で隙だらけの相手を倒すことなど容易いだろう。
彼はそうして、逃げようとする兵士を淡々と倒していく。
「ムルー、後でコイツらも刺しといて」
刺しておいてとは。
言いたいことは分かるが、また物騒な表現である。
アルガンが声をかけたとの同時に、ムルは最後の一人を地に伏せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます