第29話 決死の案内(ガイド)
追っ手から逃れるため、再び“迷い道”の中へ入り込む。先程の記憶を頼りに何度か道を曲がり、チャッタは一先ず宿の方向を目指した。
背後が微かに騒がしい。怒号にも似た叫び声も聞こえてくる。追ってくるのは一人や二人ではなさそうだ。
「話し合いで解決――て雰囲気ではなさそうだな」
この秘密を知ったことが、どのような意味を持つのかも分からないのだ。下手に交渉などと言って彼女を危険に晒すわけにはいかない。問答無用で口止めをされる可能性だってあるのだ。
チャッタは背後のネイラに視線を向ける。彼女は呆然としていて、手を引かれるがまま足を動かしていると言った様子だ。
「ネイラさん、大丈夫ですか?」
声をかけると、少し遅れて彼女は視線を合わせてきた。
「どうしよう。わたし、なんてこと……、おばあちゃんは知ってたの? ごめんなさい。チャッタさんまで巻き込んでしまって」
「僕のことは気にしないで下さい。こう見えて、トラブルには慣れてますから。そんなことより、この場を切り抜ける方法を考えましょう。顔は、見られてますか?」
チャッタは立ち止まり、彼女の肩にそっと手を置き微笑む。
ネイラはその静かな口調に、いくらか冷静さを取り戻したらしい。考えるような素振りを見せた後、ゆっくりと首を横に振った。
「分からない。でも月明かりで周りは明るかったから、もしかしたら」
夜で頭を覆っていなかったのも良くない。今更だがチャッタは、彼女の頭にフードを被せた。
少なくとも背格好はバレているだろうし、本当に顔を見られていたら。
彼は奥歯を噛み、思わず呟く。
「ここにムルがいれば――」
「呼んだか」
心臓が止まるかと思った。
悲鳴を必死で飲み込んで声の出所を探せば、上から何かが降ってきて軽やかに着地した。
「あー、やっと見つけた。で、なんか妙に騒がしいんだけど、何?」
アルガンが軽く乱れた髪を撫で付け、ため息を吐く。その横では同じく上から降ってきたムルが、平然と立っていた。
「二人ともどうしてここに……いや、それよりもどうして上から……」
「あ、イベーラ……?」
にゃあと言う声がして、ムルのマントの影からイベーラが顔を出す。
慎重な足取りでネイラの傍に近づくと、その肢体を足下に擦り寄せた。謝っているような仕草に見えるのは、気のせいではないのだろう。
「そうね。あなたがここへ来たのはきっと、私が『羨ましい』って言ったからなのよね。大丈夫よ、あなたのせいじゃないから」
ネイラは母親のような眼差しを向け、その身体をそっと抱き上げた。
「アルガンがオアシスへ行くと言ったんだ。俺とニョンは付き添いだ。イベーラとは、途中で合流した」
「アルガンが?」
「にょ」
ムルのマントの影からニョンがひょっこりと姿を見せる。いつも通り、彼の背に張り付いていたようだ。
それにしても、アルガンがなぜオアシスへ。
意外に思いチャッタが視線を遣ると、アルガンは難しい顔をして何となくそう思ったのだと告げた。
彼の勘は蔑ろにできないところがある。
「それと、上から降ってきたのは何?」
「複雑な道だったからな」
ムルは隣のアルガンを横目で見やる。
「迷いながら進むの面倒臭くなってきたから、いっそ誰も見てないし、塀の上を行けば良いんじゃね? と思って」
「――ああ」
確かに、この二人の身体能力であれば造作もないのだろう。チャッタは苦笑して塀の上を見上げる。
そこで彼の耳が再び、ガチャガチャと金属がぶつかり合う音を拾った。まだ遠いようだがこのままだと追い付かれる。
「のんびり話している場合じゃないんだ! 二人とも、聞いてくれ」
チャッタはなるべく手短に、先程の出来事を二人に話す。
ムルは静かに聞き、アルガンは怒っているような呆れたような表情で深く息を吐いた。
「おい、アンタ。顔を見られた可能性があるのは、何人だ?」
アルガンはネイラへ視線を向ける。
「えっと、正確には分からないけど……片手で数えられるくらいだと思うわ。あの時近くにいたのは兵士様が数名で、後の神官様はかなり遠くにいらっしゃったし」
答えを聞いて、彼は納得するように頷く。
「そう言うことなら、ムル!」
そして、ムルに向かって人差し指を突きつけた。
「とりあえず追ってくるやつら全員、片っ端から針でぶっ刺せ」
「分かった」
「言い方が物騒!? まぁ、現状を打破するにはそれしかないんだけど」
正直チャッタもムルの能力をアテにしていたのだ。声を次第に小さくし、頭をかく。
「でも迅速に動かないと。時間が経ちすぎると効力時間外になってしまうだろう?」
ムルは頷くと身体の調子を確かめるように、手のひらを握ったり開いたりして言う。
「なるべく一ヶ所に集めて、一気にいきたい」
「分かってると思うけど、俺の力はアテにすんなよ」
「逆に使おうとしたら僕は全力で止めるよ、アルガン」
当然、ムルやアルガンの能力を知らないネイラは、不思議そうに三人の間で視線をさまよわせている。
「ネイラさん」
チャッタが声をかけると、彼女は緊張した面持ちで彼と目を合わせた。
「詳しくは言えませんが、良い方法があるんです。兵士様には少し申し訳ないですが、ネイラさんがこれからも安心してこの町で暮らせる方法が。でもそれには他ならぬ、貴女の力が必要なんです」
「私の?」
チャッタは自信を持って頷いて、その後悪戯っぽく片目を瞑って見せた。
「そう。腕の良い案内人さんの案内がいるんです」
彼女は息を呑み、ややあって深く頷いた。
その瞳には、出会ったばかりの頃のような、自信に満ちた輝きが宿っていた。
「よっと!」
一旦チャッタ達と別れたアルガンは、袋小路となっている道へとやってきた。そこで塀に向かって軽い足取りで跳躍すると、左右の壁を交互に蹴って上へとよじ登る。
夜風が耳の後ろを撫でるように吹き抜け、その冷たさに身を震わせた。
視線を眼下に遣れば、煌々と燃えるランタンの灯りが複数、迷い道の中を走り回っている。
「追ってくるヤツら、意外に多いな」
十数名と言った所か。重要な秘密を知ってしまったと言えばそうなのだろう。
また面倒なことになったものだ。
宿にいる時から感じていた胸騒ぎは、これのことなのだろうか。
ずっと、左胸の奥を誰かに握られているような、例えようもない不安と不快感を覚えていた。
何故か今日に限って、あの毛玉がやけに自分の視界にチラつくのも気に障る。顔を覗き込まれたり、ムルから離れてまでわざわざ近くにいたり。
心配でもされているように思えて落ち着かない。
苛立つ気持ちを散らすように、アルガンは髪の毛を混ぜ返す。
すると、兵士たちの灯りが次第に、一箇所を目指して集まって行くのが見えた。
どうやら作戦開始のようだ。
「どうでもいいか、今は」
ムルが全員の記憶を消せば、それで終わり。この気持ち悪さも消えるだろう。
彼はそう信じて立ち上がり、塀の上を駆け出した。
声と足音が近づいてくる。チャッタはその音が聞こえる方を見据えて、深くマントのフードを被った。
近づけば身長でバレてしまうだろうが、やらないよりはマシだ。
先程ネイラが言っていた言葉が蘇る。
『あそこは、この辺りの道の中で一番直線距離が長いの。ここなら、兵士様との距離をはかるのにちょうど良いはずよ』
チャッタはいつでも動き出せるように軽く腰を落とし、身構えた。
剣鞘を腰に下げた男が一人、角から顔を出す。向こうもこちらに気がついたようだ。
「おい、お前っ!」
その瞬間、チャッタは踵を返して駆け出した。兵士たちも反射的に後を追ってくる。
彼は小さく長く息を吐いて、先程教わった道順を反芻する。見失わせても、もちろん捕まってもいけない。
ここからは彼がネイラの代理として、兵士たちを案内するのだ。
まず次の道で右、次に左。しばらく走って、僅かに歩みを緩める。
「いたぞ! 待て貴様!」
別の道から追ってきていた兵士と目が合う。そこで、右の狭い道へ逃げるように駆け込む。
『これで同時に、二組の兵士様たちを引き付けられるはず』
次は左、また左。しばらく行って右。本当に複雑だ。息は上がり足の速度は落ちてくるが、頭の回転だけは緩めるわけにはいかない。
「こっちへ逃げたぞ!」
兵士たちは上手く追ってきている。声をかけあって集まり、次第に追っ手の数は増えているようだ。
これで良い。別の場所にいる兵たちも、アルガンが上から誘導してくれているはず。
目的地までは、後少し。
『住居区の西側。農業区に近い辺りに、ちょっとした広場があるの。子どもたちが秘密の遊び場として使っていて、言ってしまえば“行き止まり”なんだけど』
やがて彼は最後の角を曲がると、一直線に走り抜ける。塀が無くなり、一気に視界がひらけた。
『暴れるにはちょうど良いかもしれないわ』
広場に佇む見慣れた青年を見つけ、チャッタは口角を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます