第28話 壁の内側

 昼間アルガンが自信を持って『誰でも迷う』と宣言していたが、オアシスまでの道は確かに複雑だった。


 左右を塀にはさまれた道は両腕が伸ばせないほど狭い上、迷宮のように無数の分かれ道が存在していた。

 左の道へ進み次の分かれ道で右へ入り、しばらく進んでまた右へ。左へ曲がり、次は右へ曲がる。

 頻繁な方向転換に、目が回りそうだ。ネイラに寄れば、選択を誤ると行き止まりになるそうである。


「すごいでしょ、この道。住民が後先考えずに家を建てたからこうなったとも、オアシスの防犯の為なのだとも言われているわ」

 初見じゃ絶対に辿り着けないわね。彼女は難しそうな顔をして言う。


 初見どころか、リペの住人でも難しいのでは。チャッタはそう思いつつ、視線を左右の塀に向ける。

 塀も彼の身長の倍ほどあり目立った凹凸もない。いっそ、よじ登って乗り越えると言う手段も難しそうだ。


「ここの道順は昔おばあちゃんから教えてもらったんだけど、覚えるのに相当苦労したわ。『なんでおばあちゃんは迷わないの』って聞いたら、『ただの慣れよ』って。悔しくて内緒で一人でここへ来て、結局迷っては、おばあちゃんに呆れられたっけ」

 懐かしいな、と彼女はおかしそうに声を出して笑う。


「ネイラさんはそうやって、案内人ガイドとしての知識や経験を積んでいったんですね」

「でもまだおばあちゃんの知識には敵わない。優秀な案内人ガイドになるために、もっとこの町のことを知らなくてはね」

 振り返り笑う彼女の横顔は、ランタンの炎に照らされ暖かな光を帯びている。

 チャッタは柔らかく目を細めた。


「ネイラさんは、十分優秀な案内人ガイドさんだと思いますよ」

 彼の言葉に、ネイラは驚いたように目を丸くし、歩みを止めた。暫しチャッタの顔を見つめ、はにかんだ笑みを浮かべる。


「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しい。――あ、もう少しよ。後、三回ほど右に曲がったら着くわ」

 彼女の言葉通り、現れた分かれ道を三回とも右へ曲がると、ついにあの“壁”が現れた。



 いざ目の前にして見上げると、首が痛くなるほどの高さである。赤褐色の煉瓦を幾重にも重ねて造られ、その堅牢さは監獄のようにも見える。

「思ったよりも厳重ですね。これだけの壁、造るのも相当な労力が要りそうですが……それほどまでにオアシスを守りたかった、と言うことでしょうか」


 視線を右上の方へ遣ると、僅かに煉瓦の崩れた箇所が見えた。ひょっとするとアレが、ネイラの祖母がこっそり覗いていたというだろうか。

 長身のチャッタですら、とても覗き見などできそうもなく、壁をよじ登らなければ届かない位置にある。

 まさかネイラの祖母は、とんでもない身体能力の持ち主なのでは。


「あ、イベーラ!」

 ネイラの声にチャッタは我に返る。そう、ここへはネコのイベーラを探すためにやってきたのだ。

 イベーラは昼間と同様太々しい態度で壁の前に座り、のんきな鳴き声を上げている。


「もう! やっぱりここに居たのね。気は済んだ? 帰ってご飯にしましょう」

 ネイラが声をかけ近づく。すると、イベーラは素早い動作で身を起こし、軽々と壁に向かって跳躍した。爪を引っ掛け器用によじのぼりながら向かうのは、あの隙間である。


「え、ウソ、まさか、イベーラ!?」

 彼女が慌てて声を上げたが間に合わず、イベーラはするりと隙間に身体を潜り込ませ、壁の中へと消えてしまった。

 チャッタもネイラも口を開けたまま、呆然と立ち尽す。


「嫌だ。カジおじいちゃんに言われたばかりなのに……!? もう、どうするのよ」

 額を押さえ、ネイラは困った様子で俯く。

 出てくるのを待つしかないが、一体いつになったら出てくるのか、そもそも自力で出てこられるのかも分からない。

 チャッタは数歩後ろに下がり、隙間のある場所の高さやその大きさを観察する。


「大きさからして、ネイラさんなら入れるかもしれません。僕が台になれば、なんとか手が届くくらいにはなるでしょう。向こう側へ下りる為に、まずロープを投げ込んで、それを伝いながら下りれば……できそうですか?」

 チャッタはそう声をかける。もちろん、彼女が無理だと判断すれば別の手を考える所だが。

 ネイラはさほど迷った様子もなく、あっさりと頷いた。


「じゃあ……お願いしようかしら。貴方を踏み台にしちゃうのは申し訳ないけど、誰かに見つかる前にイベーラを回収しちゃいましょう。もし周囲を巡回している兵士様が通りかかったら、上手く誤魔化しておいてね」

 

 彼女の言葉に頷きつつ、これでネイラはオアシスが見られるのかとも思う。

 隙間がもう少し広ければ、もしくは後少し低い場所にあれば自分が行きたかった。チャッタはその気持ちを胸の奥へと押し込んだ。


「そうと決まれば、早速」

 彼は腰元の鞄からロープを取り出し、その先端をネイラに手渡す。もう片方は自分の掌に何度か巻き付け、しっかりと握った。

 そして壁に両手をつけて腰を屈めると、ネイラはその背に乗ってバランスを取りながら肩の方まで移動してくる。

 チャッタは腰に力を入れ、背筋を伸ばすが、予想に反してまだ高さが足りないようだ。


「届きませんね。僕がもう少し……」

「いえ、いけるわ。一瞬だけ我慢してもらえれば」

 踏ん張っててね。ネイラはそう言うと、まず隙間にロープを投げ入れた。そしてチャッタの肩を片足で一瞬強く踏むと、壁目掛けて跳躍する。


 そして穴の縁へ手をかけ、あっという間に壁の中へ消えていった。随分と軽い身のこなしである。まるでイベーラのようだ。

「ペットと飼い主ってやっぱり似るのか、それとも単にお婆様の血筋なのか……」

 チャッタは感心して思わず呟いた。


 一匹と一人が消えていった隙間を暫し見つめる。ふとある事に気づいて、彼は間の抜けた声を発した。

「あ。イベーラだけなら、巡回している兵士に頼めば良かったのかも」


 住人は入れないのだと言ったところで、全く立ち入れぬ場所ではないだろう。当然壁を出入りしている人もいるはず。

 ネイラを中に入れてしまったことで、余計に事を荒立ててしまったのでは。


「まぁ、その時はその時か」

 それよりも壁の向こうのオアシスは、どんなに美しいことだろう。


 風で波打つこともなく、鏡のように夜空を映しているのだろうか。それとも夜風に水面を揺らされ、星々のように瞬いているのだろうか。

 後でネイラに話を聞こう。

 チャッタは壁の向こう側を思い、胸を高鳴らせ頬を緩ませる。



 すると手に持ったロープが、強く引かれたのが分かった。隙間から伸びたロープは、真っ直ぐ弛みなく張られている。

 思っていたよりも早いが、ネイラが向こう側の壁を登っているのだろう。チャッタは両手でロープを持ち直しながら、彼女が出てくるであろう壁を見上げた。


 始めに顔を見せたのは、イベーラである。一声鳴くと軽々彼の傍に下り立ち、後ろへ駆け出して行く。

 次いでネイラが隙間から顔を見せた。俯いていて表情は見えない。


「ネイラさん! イベーラは無事に見つかったんですね。ところで、オアシスは――」

 全て言い終わらぬ内に、彼女は隙間から飛び下りてきた。慌てて受け止めたチャッタだったが、ネイラは地に足をつけると彼の手を強く引いて走り出す。


「え、あの……!」

 あまりの勢いにチャッタはたたらを踏むが、彼女の足は止まらない。彼は反射的に足を動かす。

 ネイラは何かから逃げているようにも見えた。


「ちょ、ちょっとネイラさん! 一体どうしたんですか? 理由くらい聞かせて下さい!」

 予想以上に強い力で掴まれているため、手も痛い。

 そのことも遠回しに伝えると、彼女は初めて気がついたようにチャッタの手を離した。


「あ、ごめんなさい……わたし」

「壁の中で、何かあったんですね?」

 おおよその確信を持って尋ねると、彼女がゆっくりと振り返る。暗がりでも分かるほど、その顔は酷く動揺していた。

 ネイラは唇を戦慄かせ、やっとと言った様子で言葉を紡ぐ。


「オアシスが……」

「え?」

 彼女の声は今にも消え入りそうで、チャッタは聞き返す。大きく息を吸うと、喉の奥から絞り出すようにネイラはその言葉を吐き出した。


「オアシスの水が、なかったの……!」


「うそ、でしょう?」

 それを理解するまで数秒を要し、ようやく口に出せた言葉は、たったそれだけだった。

「壁の向こうは、大きく地面が抉れているだけ。底の方は見えなかったけれど、なんて……そんなものはなかった」

 ネイラは頭を片手で押さえ、大きく被りを振る。


「それで水のないオアシスを取り囲んで、神官様たちと兵士様たちが何かをしていて。そこで私が見ていることに気づかれたみたいで、私、慌てて外へ」


 神官と兵士が何かをしていた。まさか水を盗んでいたと言うのか。

 いや、壁を出入りできる者やそれを運べる魔術を使える者は限られている。すぐに疑われ、町主やリペの住民が黙ってはいないだろう。

 ならば、始めからオアシスの水はなかったのか。

 いや、だとしたら益々おかしい。


「どういうことなんだ? それじゃあ、この町の豊潤な水は一体どこから――」


「見つけたか!?」

「いや、おそらくこっちに!」

 焦ったような声と金属がぶつかる音が複数、こちらに向かって近づいてくる。

 ネイラを探しているのだろうか。

 彼女がオアシスの秘密を、もしくは神官や兵士たちがやっていたを目撃したからなのか。


 とにかく、考えるのは後だ。


「行きましょう……!」

 チャッタはネイラの手を取ると、素早く駆け出した。

 

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