第23話 王宮勤めの武人

 チャッタが反射的に振り返ると、そこには見覚えのある男達が四人程立っていた。全員が燻んだ白色のターバンを頭に巻き、背中に槍を背負っている。


 胸のブローチに刻まれた紋様を見て、チャッタはようやく思い出す。彼らは例の神官イミオンを引き渡した、治安維持を担当する役人たちだった。

 その中の一人、一番若い役人が無邪気な笑みで駆け寄ってくる。


「そうか、旅人だっておっしゃってましたっけ。リペの町まで来られてたんですね」

「あはは、そう、ですね」

「言った側からこれじゃん」


 愛想笑いを浮かべたチャッタの背後で、アルガンが小さな声で呟くのが聞こえた。

 違う、これは不運にも知り合いに会ってしまっただけだ、とチャッタは心の中で言い訳をする。

 そして素早く役人たちの様子を観察した。


 誰もが和やかな雰囲気を醸し出している。肩の力も抜け切り、悪い言い方をすれば完全に腑抜けた状態だ。

 この様子なら問題ないだろうが、念のため。


 チャッタは右手をこっそり背後に回し、指で二人に合図を送る。追い払うような仕草は即ち、『この場から離れろ』と言うことだ。


「――あ、あれも美味そうだな! 行こうぜ」

 少々ワザとらしい大声が聞こえ、二人分の足音が遠ざかって行く。


 幸い役人と直接顔を合わせているのはチャッタだけだ。立ち去ったアルガンたちを気に留めた様子もなく、若い役人は嬉しげに話を続ける。


「あ、そうそう、安心して下さい。あの神官に有るまじき行為をした不届者は、きちんと数日前にリペの司教様直属の兵へ引き渡しましたから! 一応司教様の次に偉かったみたいで、身柄や処遇は教会預かりになるそうですよ」


 確かこの国の聖職者の地位は、最上位に大司教、次いで各地に司教がおりその下に司祭、そしてその他、という構造だったはず。

 チャッタはそう思い出しながら頷く。


 しかし、この役人たち。数日前に仕事を終えているなら、何故今もこんなところにいるのだろうか。

 そんな考えが頭を過るが、貴重な情報をもらったことも確かだ。


「ああ、ご報告ありがとうございます」

 チャッタが深々と頭を下げたその時、あからさまに不信感を滲ませた低い声が響く。


「おい。この者は一体、何者だ?」


 驚いて顔を上げると、役人たちの背後に立つ、大柄な男と目が合った。チャッタも長身の部類だが、その男には完全に見下ろされてしまう。


 鳶色の鋭い眼光。身につけたマントの素材や装飾は、治安維持の役人たちと大差はない。

 しかし、合わせ目から覗く鈍色の衣服には金の刺繍が施され、腰元には長剣を帯びていた。その長剣の鞘にも荘厳な意匠が施されている。

 恐らく、それに見合った地位の人間だ。


 男は未だに睨むような視線をチャッタに固定したまま、口を開く。

「一般人、のように見えるが」

 その意図を理解したのか、若い役人とは別の役人が声をかけた。


「ああ。あの事件のことは貴方もご存知でしょう? この方はただの一般人、でもないんですよ。例の神官の企みを阻止して下さった張本人なんです。――だとしても、お前は喋り過ぎだな。もうその辺にしておけ」

 仲間に首根っこを掴まれた若い役人は、気まずそうに頬をかく。

 一応は納得したのか、男はチャッタに対する態度を僅かに軟化させた。


「そうか、すまない。その節は、ご協力感謝する」

「いえ……」

 チャッタは微笑みながらも、警戒心を強めて目の前の男を見つめる。


 歳は三十を少し過ぎたと言った所だろう。瞳と同じ色の髪を短く切り揃え、眉が太く精悍な顔つきをしている。隙のない立ち姿は、わしにも似ていた。

 後ろめたい事がなくとも、思わずその気迫に気後れしてしまいそうだ。


「あ、そうそう。この方はシルハさんです」

 何を思ったのか、若い役人が暢気に紹介を始める。どこか自慢気な口調で、シルハと呼んだ男の事を話し始めた。


「普段はなんと! 王都で王宮勤めをされている方なんですよ。元々僕らと同じ町……ああ、ここから更に西の小さな町の出身なんですが、そこから剣術の腕だけでこの地位まで上り詰めた凄い方なんです!」


 シルハは硬い表情のまま、僅かに片眉を動かす。恐らくまた喋り過ぎだとでも思っているのだろう。

 しかし押し黙ったまま、チャッタに向かって一礼した。


「そうなんですか。その、王宮でお仕事をされている方が、どうしてリペに?」

 チャッタは相槌を打ちつつ、少し探りを入れる。一部から“中央”と呼ばれているとは言え、普段王宮にいる人間がこんな場所でうろうろしているだろうか。


「何、後続育成と言うやつだ。国が平和だと、たまにここの兵士達の指導を頼まれる。あわよくば、将来有望な人材の勧誘と言った所か。……まさか一段落ついた所で、同郷なのだと言うこの男たちに絡まれるとは思っていなかったがな」


「えー、酷いですよ! 同じ町出身なんですから、もっとお話しましょうよー!」

 シルハは眉一つ動かすことなく答えた。なんとなくはぐらかされてしまった感もある。


 しかしこの様子だと、アルガンの件に関連がある訳ではないだろう。情報伝達の速度を考えても、それは考えづらい。

 チャッタは一先ずそう結論づけた。


「お前たちも仕事は終わったのだろう? 観光はこのくらいにして、そろそろ自分達の配属地へ帰るんだな」

「いや、つい。この町色々あって楽しいんですもん」

 へらりと笑う若い役人に無感情な視線を送り、シルハはチャッタに再度頭を下げた。

 マントを翻し背を向けると、大した労力もかけずに人の間を縫って去っていく。


 目立つはずのその姿は、瞬きをしている間に消えてしまった。





 役人たちと別れ、チャッタはムルたちと合流しようと歩き出す。

 咄嗟の事で仕方がないとは言え、待ち合わせの場所を指示できなかった事が悔やまれる。


 通りは相変わらず人で埋め尽くされ、油断していると進行方向とは逆側へと流されてしまいそうだ。

 見れば、建ち並ぶ露店の間にある建物も、飲食店や日用品などを売る店である。

 道理で人が集中する訳だ。


 人混みを避けて脇道に逸れてみるが、そこは打って変わって狭く複雑に入り組んでいる。

 そこから回り込んで進もうと目論んだが、失敗だ。

 チャッタは何度目かの行き止まりに辟易し、諦めて大通りへと戻った。


「参ったな。元の場所に戻ってみるか……」

 それか、とりあえず露店の人に二人の特徴を尋ねてみよう。

 そう考え視線を巡らせた所で、通りの端に見覚えのある毛玉ニョンを発見した。


 しかし、ニョンが抱かれているのはムルではない。少し青みがかった黒髪を高い位置で結えた女性だ。


「あ、チャッタいた!」

「アルガン」

 女性の向かいにアルガンが立っている。普段と印象が違うので、目につかなかったようだ。ムルの姿はまだ見えないが、きっと傍に居るのだろう。


 チャッタは安堵の息を吐き、彼らの方へ近づいて行く。

 アルガンたちは建物の壁に張り付くように立っており、ちょうど露店の影で見えにくい場所にいた。


「合流できて良かったよ! ところでムルとそちらの方は――」

 彼は視線を下に遣り、口を噤む。


 姿が見えないと思ったら、ムルは片膝をついてしゃがんでいただけだった。チャッタは彼と女性の手元を交互に眺め、なんとなく何があったかを察する。


 女性の腕の中にはニョン、そしてムルの腕の中には薄茶色の毛並みのネコがいた。

 ネコは何処かふてぶてしい態度で、ムルにお腹を撫でられている。


「なんて言うか、同志発見、みたいな?」

 アルガンが欠伸を噛み殺しながら言った。

「やっぱりね」


「何、この子の手触り!? ふわっふわ! 極上!」

「この手入れされたしっとり感、やるな」

 いつの間にか、触感至上主義者たちの会合が始まっていたのだった。

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