第24話 案内人(ガイド)
「露店を冷やかしながら歩いてたら、ムルがそのネコに目を付けていつものヤツが始まってさ。飼い主が来たと思ったら、ソイツも交えていつの間にかこんなことに」
容易に目に浮かぶ光景だ。アルガンの言葉に苦笑したチャッタは、ニョンを撫でている女性に視線を向ける。
年齢はチャッタの方が近いだろうか。それこそネコに似た空色の瞳は、今やニョンの手触りのおかげか嬉々として輝いている。
彼女がふと顔を上げ目が合った。
「ご、ごめんなさい。気がつかなかった! えっと、この方たちのお連れ様、よね?」
彼女の頬が見る見るうちに赤くなった。ついじろじろと眺めてしまっていたチャッタは、申し訳ない気持ちになる。
「こちらこそ、突然申し訳ありません。何だか僕のツレが楽しませてもらっていたようで、ありがとうございます。あ、僕はチャッタと申します」
そう名乗ると、彼女は慌てた様子でニョンをムルへと返却し、咳払いを一つ。
仕切り直しとばかりに、すました笑みを浮かべた。
「ネイラです。この子はイベーラよ。結構なおばあちゃんネコなんだけど、良い毛並みしてるでしょ?」
「うるツヤだな」
ムルは大きく頷くと、空いている手でネコのイベーラをもう一度撫でた。
「貴方達、この町は初めてでしょう? 本当はお客様になってもらおうと思ってたのに、極上触感に気を取られて、つい」
お客様、その単語にチャッタが首を傾げると、同じくアルガンも隣で不思議そうな顔をしている。その辺りのことはまだ話していないようだ。
ネイラはお手本のように微笑むと、右手を胸の上に置いて流れるような動作で一礼した。
「改めて、リペにようこそ! 私はこの町で
「ああ、それで『お客様』か」
なるほど、リペではそんな職業も成り立つのか。人の出入りが盛んな町ならではだ。
チャッタは感心したように頷く。
「そうよ。先代――私のおばあちゃんから引き継いだ仕事でね、こう見えてかなり優秀なのよ。お値段も良心的だし」
「あー、金とるんだ?」
「当たり前でしょう。あくまでこれは、お仕事なんだから!」
ネイラは口を尖らせた後で、少々真面目な顔をして言った。
「それに、この町に入る時に言われたでしょう? 『自己責任』だって。この町は規制が甘い分、中には
「えー。でもアンタ自身が、大金巻き上げないとも限らなくない?」
「いや、この人に頼もう」
不信感を滲ませるアルガンを遮ったのは、珍しくムルだった。
「ニョンの良さが解る人に、悪い人はいない」
「言うと思った……」
アルガンは脱力して頭を抱えた。
触感至上主義かどうかは別として、ネイラのハキハキとした態度はどこか微笑ましい。チャッタは素直に好感を持った。
「確かに。僕たち何もかも初めてで、今夜泊まるところも決まってなかったんです。早速宿を紹介して頂けると助かります」
途端、ネイラは指を鳴らすと、待ってましたとばかりに瞳を輝かせた。
「そうこなくちゃね! どんな場所がお好み? お値段が安い場所? ゆっくり寛げて美味しい食事付き? それとも――看板ネコが魅力的な宿なんていうのも」
「食事付き」
「看板ネコ」
「言うと思ったけどダメ! 僕たち、金銭的に余裕がある訳じゃないんだからね。一番安い所でお願いします」
己の欲望に忠実な二人を嗜め、チャッタはネイラに一番安い宿を所望した。
彼女はおかしそうに吹き出し、カラカラと笑う。
「畏まりました、お客様! おばあちゃんの知り合いが営んでいる宿があるの。町の中心から外れた場所ではあるんだけど、安いし最低限の快適さは保証するわ」
なんなら客引きのお礼にオマケしてもらいましょ。彼女はそう言って、悪戯っぽく片目を瞑ったのだった。
ネイラの先導で、チャッタたちは町の西側へ向かっていた。大通りから遠ざかるにつれ、色彩豊かだった景色が日干しレンガの砂色だけになっていく。現在通っている道も横二列になれない程の狭さで、左右を高い塀に圧迫されている。
ネイラは素人目には同じような景色にも、迷いなく進んでいく。
「リペはオアシスを中心に丸く広がっていて、主に四つの区画に分けられるの。一つがさっきまで私たちがいた商業区。交易の中心で外から来た人が大体立ち寄るのがここね。町の東側にあるわ」
彼女は道中も無駄にすることなく、リペの町を解説し始めた。
「南東に位置するのが町主様や教会関係者、兵士様たちが駐屯している中央区。位置的な中央というより、行政や司法、警備の中心ね。そして南西に私たち一般の住民が暮らす住居区と、後は町の北側に広がる農業区ね」
オアシスの水を使って果物や野菜を育てているから、興味があれば行ってみると良いわ。彼女はそう言って微笑んだ。
「とても良い町よ。人が集まるからこそ、町は栄えて活気付く。治安は悪くなることもあるけど……暴力沙汰なんかはさすがに、この町の兵士様が止めてくれるしね。大事になる前に上手く対処してくれるわ」
一般的な町や村では治安維持の役人が常駐しているのが基本だが、リペでは兵を募っているようだ。
興味深く聞いていたチャッタだったが、ふと会話の合間を縫って気になっていたことを尋ねた。
「そう言えばネイラさん。この町の中央にある壁は何故造られたのですか? 数十年前まではなかったようですが」
彼女はそれを聞くと後ろを軽く振り返り、意外そうに目を丸くする。
「ああ、アレ。数十年前はなかったって、よく知ってたわね。あの壁はオアシスを守るために造られたそうよ。昔からこの町の水はオアシスの物を利用していたんだけど、残念ながら盗まれたり、私欲の為に使い込む人がいたりと度々揉め事が起こるようになってしまって……」
それで仕方なく壁を造ったのだと言う。その警備はなかなか厳重で、オアシス警備専任の兵士までいるそうである。
「当時は反対意見も出てたみたい。美しいオアシスの景色が見られなくなるってね。でもそのオアシス自体を守るためと言われれば、頷くよりなかったんでしょうね」
「それは無念だったでしょうね。僕も是非オアシスを見てみたかったのですが……」
眉を顰めて言ったチャッタに、レイラは少し寂しげに微笑む。
「ふふ、ありがとう。――あ、そろそろ広い道に出るわ。中央区と住居区の境目辺りね。さっきの大通りほど混雑はしてないから安心して」
左右の塀が途切れると、また違った景色が広がった。
通りを楽しげに駆け回る子どもに、のんびり散歩をする老人。空にはロープにかけられた衣服が揺れ、何処からか時折料理の香りが漂ってくる。
ここに暮らす人々の生活が感じられる場所だった。
喧騒もなく穏やかな空気が漂い、チャッタたちは深く息をつく。
「あ、水じゃん」
アルガンが思わず指し示した一画、道の一部を四角にくり抜いた窪みに、水が満たされていた。水面が風で揺れるたびに、星のように
「あれはここの住民の家庭用水よ。地下水路でオアシスと通じていて、オアシスの水があそこに溜まるの。そこから決められた量を各家庭で」
「地下水路でオアシスと通じている!? リペはそんな設備まで整っているんですか!?」
言葉を遮り、凄まじい勢いで振り返ったチャッタに驚いたのか、ネイラは半歩下がって顔を引き攣らせた。
「え、ええ。随分昔からあるみたい。この町の様々な場所で見られるわよ」
長い感嘆の溜息を吐き、チャッタは首を振る。流石、オアシスと言う豊富な水源のある町は違うものだ。
そんなことを思いつつ視線を右の奥の方へ向けると、白い石で造られた教会が見えた。中央区に教会関係者がいると言っていたが、教会はここにあったのか。
町の規模にしては、少々小さめの教会である。
「ああ、リペはオアシスそのものが信仰対象だし、水の配給と言った役割もオアシスが肩代わりしてるから、教会としての規模は小さめかもね。司祭様方のお住まいはまた別だし」
レイラがチャッタの視線に気づき、そう解説してくれた。
「なるほど。ところでネイラさん。小さな教会にしては出入りする人が多いんですが、何かあるんですか?」
この僅かな間だけでも、二組ほど教会からの出入りがあった。服装からして旅の商人たちのようで、そこが益々気にかかる。
ネイラはそれを見て、なんてことない様子で言った。
「ああ、教会地下にある、水の蜂の遺跡の見学者じゃないかしら? 結構人気なのよね」
「――は?」
何かあり得ない言葉を聞いた気がする。
「どうしたの? ほら、あそこに書いてあるでしょ?」
ネイラが指先で指し示した先、教会の前には看板が立っている。
チャッタが目を凝らし、そこに書かれた文字をゆっくり目で追うと、
『水の蜂 遺跡見学希望の方はこちら』
確かにそう書かれていた。
「希少性も神秘性も、あったもんじゃない!!」
チャッタは悲鳴のような声を上げ、その場に蹲ったのだった。
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