第25話 壁画が語るもの
チャッタの突然の奇行に、ネイラは彼の背中をさすり慌てた様子で声をかける。
「え、一体どうしたの? あ、興味あったの? 見学してくる? 残念ながら、私はあまり水の蜂について詳しくはないけど……」
「いや、一応コイツ専門家なんで」
何となく申し訳ない気持ちになったらしいアルガンは、ネイラに声をかけた。彼女は専門家、と独り言のように繰り返し、首を傾げる。
「コイツ、水の蜂の学者だから、まぁ、それなりに思い入れもあったってことで」
「それじゃあ、やっぱり興味あったんじゃない!? 言ってくれれば良いのに。寄り道する時間くらいあるわよ」
「いや、そう言うことじゃなくて……」
どことなくズレたやり取りに、アルガンは面倒くさくなったようである。それきり口を噤み、通りの方へ視線を向けた。
そこでチャッタがようやく顔を上げる。
「ごめん、ちょっと、衝撃が大きくて……。確かにどんな形でも、それが水の蜂が遺したものなら興味はあるよ! ムル、行くよ!」
「分かった」
チャッタは当然のようにムルへ声をかける。元々水の蜂である彼を連れて行けば、何か別の手がかりが掴めるかもとの考えだったのだ。
「あらそう? じゃあ寄り道して行きましょうか」
「あっそ。俺はいかないから好きにして」
アルガンは何かを追い払うような動作で、手をヒラヒラと振った。彼の付き合いが悪いのはいつもの事である。
しかしその時、ニョンがムルの腕の中から飛び降り、何度か地面を跳ねてアルガンの近くへ行った。
「ニョン? 珍しいね」
「にょー」
チャッタが目を丸くすると、ニョンは身体を左右に揺すった。まるで、自分も行かないとでも言うように。
「あら、あなたも行かないの? じゃあ、二人でここで待っててもらって――」
「いえ、ネイラさんも一緒に待っていて下さい。ここは迷うような場所ではないですし、それに……」
チャッタは一度言葉を切って、ため息混じりに言う。彼の目はどこか据わっていた。
「この一人と一匹、かなり相性が悪いんです」
正に今、アルガンとニョンは睨み合いを始めた所だった。いつものことながら、争いの理由は全く分からない。
ネイラは驚いたような呆れたような表情を浮かべていたが、チャッタに向かって手を振った。
「分かった。じゃあ、二人だけで行ってきて。規模はそれほど大きくないけど、熱中しすぎて日が暮れないようにね!」
「よく分かってんじゃん」
にらみ合いをしていたアルガンもつい感心したように呟き、チャッタは言葉を詰まらせたのだった。
教会は実に一般的な造りをしていた。滑らかな白い石を積んで造られており、四つ角にある太い円柱が半球上の天井を支えている。
信者が祈りを捧げる場所だろう。中央の床には蒼い生地に白銀の模様を施した絨毯が敷かれていた。
そしてその先には、水の神を表す石像が粛然と立っている。
この国で水の神と言えば、女性の姿で表現されることが多い。波打つ髪を持つ石の女神は、柔らかな微笑を浮かべチャッタたちを見守っていた。
「あ、あそこが入り口かな?」
女神像の少し手前、左側の奥に神官と思われる男性が立っているのが見えた。
チャッタたちが近づいていくと、彼はにこやかに微笑み一礼する。
「遺跡見学希望の方ですね? どうぞこちらへ。足下には十分お気をつけ下さいね」
神官が指し示したのは足下にぽっかりと空いた空洞、いやそこから伸びた地下へ続く階段だった。遺跡が教会の地下にあるのは、以前立ち寄った町と同じのようである。
その気安さに目眩を覚えて、チャッタは目を閉じて額を押さえた。
「すみません。この遺跡は、どういった経緯でこのような形に?」
「ああ。あの長い争いが終わってすぐの頃、壊れた教会を修復する際にたまたま職人が発見したんです。専門家の方に調査していただくと、なんとあの伝説の種族、水の蜂のモノだと分かりましてね。せっかくなので皆様にも見ていただこうと!」
なるほど。師匠がリペに立ち寄った頃には、既にこの状態だったと言うことか。
特に収穫がなかったと言った理由も頷けるものだ。
チャッタは神官に一礼して階段に足をかける。
階段の素材は建物の材質とは異なるようで、少し周囲から浮いて見えた。
「この階段も後付け、だよなぁ」
完全に観光施設である。これは期待できないかもと思いつつ、水の蜂であるムルに僅かな期待を寄せる。
振り返って一瞥すると、彼は相変わらず淡々と後ろを着いてきていた。
数十段程の段を下りると、上の教会と同じ広さの空間に辿り着く。箱のような雰囲気は、前に立ち寄った遺跡と似ている。
しかし以前と違い二人の目を引いたのは、正面の壁に刻まれた巨大な壁画だった。
「うわぁ! これは」
瞳を嬉々として輝かせ、チャッタは素早く壁に駆け寄った。
必要上の接近を防ぐ為に張られたロープがあり、彼はその手前で慌てて立ち止まる。
そして食い入るように壁画を眺めた。
大人二人が両手を広げたくらいの大きさはあるだろう。壁一面に広がっているのは、まるで神話の一場面のようだった。
中央に光を背負って立つ髪の長い“人”、その頭上には羽根の生えた何かが描かれており、そこから斜線がいくつも引かれていた。光の表現だろうか。
そして、その周囲には複数の“人”が立っていて、それぞれ手に何か丸いものを抱えていた。中央にいる人物にその丸いものを差し出しているようにも見える。
不思議なのは、地に横たわっている人も複数描かれている点だ。立っている人は右側に、横たわる人は左側に位置している。
チャッタは荷物から羊皮紙とペン、インクを取り出して気づいた事を書き記していく。
「凄いね、なんて壮観な壁画だ! これはきっと水の蜂の記録だね!? この中央に描かれているのは恐らく女王、いわば女王蜂様かな!? 周囲の人々は女王様に水を差し出しているようにも見えるけど……横たわっている人の意図が解らないな」
腕を忙しなく動かしながら、彼は興奮した様子で呟く。
散々期待できないなどと言っておいて、実際目にすると盛り上がってしまうのは学者の
暫くの間、ブツブツと考えをまとめていたチャッタだったが、この場でこれ以上の考察は難しいだろうと悟る。
そして隣へ視線を向けた。ムルもチャッタと同様に、壁画をじっと見上げている。彼の雰囲気に何ら変化は見られない。
「ムル、何か……思い出すようなことはない?」
試しに声をかけて見るが、ムルは首を横に振っただけだ。
「可能なら、他に隠し部屋がないかも探したいけど……流石に、ね」
壁画を記録している間に、結構な時間が経ってしまった。あまりネイラたちを待たせる訳にもいかないし、いつ他の見学者が来てもおかしくない状況である。ムルにあちこち触らせる訳にもいかない。
「仕方がないね。皆の所へ戻ろうか」
チャッタはムルに声をかけ、返事も待たずに歩きだす。数歩歩いて、彼が動き出す気配がないことに気づいて振り返る。
ムルは未だに壁画を見上げていた。正確にはその中の一点だけを見据えている。
彼の隣に並び、視線の先を辿った。
どうやら彼が凝視していたのは、壁画の中央に描かれた女王蜂のようである。
簡易な線で描かれたものではあるが、彼女の持つ神聖で気高い雰囲気が伝わってくるようだ。
記憶を失っているムルも、やはり女王の姿には何か感じるところがあったのだろうか。
「君の仲間。どこかで生きてて、会えると良いね。特に――」
女王様とか。
思わずそう告げたチャッタの言葉に、ムルは少しだけ肩を震わせて口を開いた。
「もしも、何処かで生きているなら」
一度瞼を閉じてゆっくりと開く。
ムルはその、夜空のように澄んだ眼差しを
「俺は絶対、彼女に会わないといけない」
チャッタには何故か、ムルが泣いているように見えた。眉一つ動かず、涙など一滴も溢れていないのに。
薄く口を開けたまま、チャッタは呆然と彼の顔を見つめた。
少し長めに息を吐いたムルは、いつも通りの表情でこちらに向かって首を傾げる。
まるで自分が、何を言ったかも分かっていないような。
階段を下りる足音が空間に響き、話し声が近づいてくる。二人組のようで、楽しみだなんだと暢気に話をしている。恐らく遺跡の見学者だ。
そこでチャッタは息を呑み、我に返る。
「……戻ろうか」
ムルが頷いたのを見て、チャッタは壁画に背を向けて歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます