第三章

第22話 砂漠のオアシス

 三頭のラクダは蹄を砂に埋め、背丈の何倍もある砂山を登っていく。その背に跨がった三人はじわじわと近づく山頂へ視線を注いでいた。


「ここを越えればリペはもう少し、頑張ろう!」

「頑張れ、『ゴワ』」

 聞こえてきた耳慣れぬ単語に、アルガンが即座に反応する。


「まさかそれ、ラクダの名前か!?」

「ゴワゴワだから」

「うん、いや、なんとなくそんな気がしてた」

 予想通りの答えにアルガンは額を押さえ、チャッタは乾いた笑い声を上げる。



 予定よりも遅れてしまったが、三人はリペの町まで後一歩という所まで来ていた。この砂山を越えれば文字通り砂漠のオアシスが見えてくるはず。

 それを解っているのか、ラクダ達は鼻を鳴らすと力強く脚を前へと動かしていく。


「師匠から聞いた話だけどね。砂山から見下ろすリペのオアシスは、宝玉のように蒼く美しく輝いているそうだよ!」


 澄んだ水面が蒼穹の空を写し出す様は、溜息が出るほどの絶景だそうだ。

 基本食欲優先のアルガンも、珍しく興味をそそられたように声を出す。


「へぇ、それはちょっと興味あるかもな」

 やがて視界が広く開けた。砂山を登り切ったのだ。

 チャッタ達は期待に胸を膨らませ、眼下に視線を巡らせる。

 反射的に上げた喜びの声は、すぐに力なくしぼんでいった。


「あった、ほら! あそこがリペ――」

「なんだ、アレ?」


 アルガンが思わず首を捻ったのも無理はない。

 町は確かにそこにある。

 しかし目を引いたのは、町の中心にそびえる円柱状の壁だ。ぐるりとを囲うように建てられている。

 赤褐色をした壁はそれなりの高さがあり、チャッタ達がいる位置からだと中の様子は分からない。


 そして壁の周りに無数の砂色の建物が広がって、リペと言う巨大な町を形成していた。


「オアシス、ちゃんとあるんだろうな?」

「それは間違いない。と思うんだけど」

 建物の間から植物らしい緑色を確認し、チャッタは呟く。位置関係からすると、あの壁はリペのオアシスを囲っている可能性が高い。

 この数十年の間に何かあったのだろうか。


「まぁ、ここまで来て行かないって選択肢はないよね。町へ降りてみよう」

 三人は騎乗しているラクダの手綱を強く握った。

 



 大きな町の割には、入り口は簡素なものだ。二本の金属製の柱が砂の中に埋められ、その間が“門”と言うことらしい。

 ラクダから降りて近寄っていくと、左右の入り口に槍を持った男が二人立っているのが見えてきた。

 チャッタは顔を僅かに強張らせ、横を歩くアルガンを一瞥する。


 三人が門を潜ろうとした時、

「あ、スミマセン、そこの方々」

 門番らしき男の一人から、声がかかった。


「はい、何でしょう?」

 内心心臓が飛び出るかと思ったが、チャッタはそんなことは尾首にも出さず笑みを浮かべる。

 すると、男はチャッタに柔らかく微笑みかけると、門の横を指差した。


「リペの町へようこそ。ラクダをお持ちなら、そこで預けられますよ。お金はかかりますがね」

「それと、この町では自由にしてもらって構いませんが、基本ナニがあっても自己責任でお願いします。有事の際には我々も全力で対処はしますがね。あなた方がどちら側であっても」


 もう一人の男が、少し意地の悪そうな笑みで言葉を続ける。

 成る程、そう言う町なのか。

 まず警戒していた検問等がなかったことに、チャッタは少しだけ肩の荷を下ろす。


 そして言われた通りにラクダを預け、三人は商業の中心だと言う大通りへと向かった。

 

 


「……すごいね」

「人間って、こんなに一ヶ所に集まれるもんなの?」

「にょー!」

 ムルの懐に潜り込んでいたニョンも、思わず飛び出てきて嬉しそうに跳ね回っている。

 奇妙な生物の奇妙な動きに、何人かの通行人が物珍しげな視線を送った。


 やってきた通りには数々の露店が軒を連ね、様々な人でごった返している。

 道幅は十分にあるのだが、左右に構えた店と、それ目当ての客や商人が密集し、人波に逆らうのも一苦労だ。


 客を呼び込む声、値引き交渉をする声、見知った顔が立ち話をする声。様々な音が入り乱れ、頭がくらくらしてくる。


 音だけでなく、目から飛び込んでくる情報も多い。建物は総じて砂色だが、人々の服装や店の日除けの布、陳列された商品は原色が多く色鮮やかだ。

 チャッタはその色彩の多さに、目を激しく瞬かせる。


「凄いね。穀物や香辛料だけじゃなくて、長期保存の効かない果物や野菜も売られてる。近くに豊かな土壌がある証拠だね」

「早速、なんか食いに行こう! 金さえ払えばどれでも食えるんだろ!?」

 硬直から抜け出したアルガンが、珍しく年相応の表情で瞳を輝かせている。普段よりも浅く被ったフードの脇から、インクのように真っ黒な髪が揺れた。


「ちょっと、アルガン。はしゃぐのは分かるけど、あまり目立つ行動は取らないように! ……その髪色も絶対じゃないんだからね。濡れるようなことはないにしても、強く擦ったりするとバレるよ」

「コソコソする方が逆に目立つだろ? 自然にしてた方が良いって!」

 それはそうかもしれないけど、チャッタは眉を顰めて軽く唸る。


 道中、どうするか議論されていた彼の髪だったが、結局染めることで落ち着いた。

 いっそ全部剃るということも考えたが、灼熱の太陽の下では髪も立派な日除け。正体がバレる以前に、暑さでやられると言うのも間抜けな話。

 そこで手持ちの木の実の皮などを利用し、急拵えだが彼の髪を黒く染めたのだ。


 ちなみに今回、チャッタは頭にターバンを巻き、髪の毛を中に入れ込んでいる。『アンタも十分目立つから』とアルガンに指摘された為だ。


「まぁ確かに。ここまで人が多いのは逆に有難いかな。紛れるには都合が――あれ?」

 いつの間にか隣に並んでいた二人の姿がない。

 焦って周囲を見回せば、右斜め向かいにあった露店の前で二人の後ろ姿を見つけた。

 恐らく買い物だろう。油断も隙もない。


「二人とも、急にいなくなるなよ」

「だって美味そうだったし」

 早速その店で購入したのか、アルガンは赤色をした丸い果物にかぶりついている。口の端に溢れた豊潤な果汁を、彼は慌てて服の袖で拭う。

 その隣では、珍しくムルもアルガンと同じものに歯を立てていた。


 横に並び果物を咀嚼する二人。今は髪色が同じである為、兄弟のようにも見えて何処か微笑ましい。

 チャッタは軽く吹き出した。


「食事も良いけど、早めに宿を決めなくちゃね。やりたいことは山程あるんだから! オアシスも見たいし、情報収集もしたいし、それに、水の蜂の遺跡も調査しなくちゃ」


「人には目立つなって言ってるけどさ、アンタこそ気をつけろよ。好奇心に突き動かされた時のアンタって見境なくなるし、元々目立つ容姿してんだから」

 心を弾ませて笑みを浮かべるチャッタに、アルガンが睨むような目つきを向けた。


 鋭い指摘である。チャッタは思わず胸を手で押さえ、グッと喉を詰まらせた。

「いや、だ、大丈夫だよ! ここまで人が多い町ならきっと目立たないし、今回は変装だって――」


「アレ? あなた、前にお会いしましたよね」

「はい?」

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