第21話 “兄さん”
それは、日が暮れてから暫く経った頃のこと。
三人が立ち寄らなかった小さな集落。そこにある住居の中に機嫌良さげな青年が一人。
彼は黄金色の茶器を室内にある卓上へと置き、徐に窓を開け放った。冷たさをはらんだ夜風が高揚した身体には心地よい。
半分に欠けた月が明るく地上を照らし、まるで砂金のように砂粒を輝かせていた。偶然にも彼の瞳と似た色だ。
「良い月だ」
そう呟いて椅子に腰を掛けると、視線を卓上へと落とす。これから正にお茶を嗜もうと言う所だった。
彼は細長い急須から杯へ、飴色の液体を注いでいく。黄金色の杯は艶のある液体で満たされ、芳醇な香りが周囲に漂った。
彼はそれに口をつけ、立ち上る湯気と共に口の中へ含む。
「うん、美味しい」
彼が満足げに鼻で息をついたその時、夜の静寂を割って大きな羽音が近づいてきた。それは開け放たれた窓目掛けて飛来すると、窓枠に鉤爪を引っ掻け羽を畳む。
やってきたのは、一羽の鷹であった。その脚には少し錆びた鉄色の小さな筒がくくりつけられている。
彼は筒を鷹の脚から取り外し、中から丸められた紙を取り出す。躊躇いなくそれを広げ目を通した瞬間、彼の表情は朝日のように明るく輝いた。
「うわぁ、本当に? 大変だ」
杯に入れた茶を一気にあおり、立ち上がる。手に握り締めた紙を懐に入れると、反対側の椅子にかけたマントを素早く身につけた。
そして部屋の扉を開け放つ。
突然出てきた彼に、扉の両脇に控えていた二人の男がゆるりと視線を向ける。しかし、その表情に一切の感情はない。扉が開いたので、とりあえずそちらを見たというような。
男たちは腰元に一本の剣を下げて武装しており、その容貌も身体も岩を粗く削って造った彫刻のようにも見える。
彼はその砂金色の瞳を細めると、弾んだ声で言った。
「僕出かけてくるから! 後処理は適当によろしく」
「今からか?」
「数日後には、また別の場所で任務だが」
二人の男は淡々とした口調で返す。却って責めているようにも聞こえるが、彼は気にした様子は全くない。
手をパタパタと横に振ると、人好きのする笑みを浮かべた。
「ちょっと吉報があってね。次の仕事場の近くだし、寄り道がてら行ってくるよ」
ちゃんと期日までには戻るから。
彼は男たちの返事も待たず、二人の間をすり抜ける。決して長くはない廊下を突き進み、扉を開けて外へ出た。
彼の目前に現れた光景は、異質だった。月明かりに照らされたその地には、紅い大小無数の花が咲いている。風が彼の真横を吹き抜けていき、むせ返るような香りを散らした。
紅い花の下には、倒れてピクリとも動かない人、いや、人だったモノが折り重なって倒れている。
花ではなくそれは、人から溢れた液体が固まったもの。周囲の建物にも人体にも、切り裂かれ破壊され、無尽蔵に蹂躙された後がある。辛うじて無事なのは彼が出てきた住居だけだ。
明らかに、ここで殺戮が繰り広げられたことが分かる光景だった。
しかし、彼は眉一つ動かすことはなかった。磨き上げられた刃のような銀髪を揺らし、それが視界に入っていないかのように進んで行く。
むしろ足取り軽く、跳ねるような歩みだった。
「やっと見つけた」
彼がふふっと、笑い声を漏らす。楽しいことが待ちきれない幼い子どものように、彼は頭上の月を見上げた。
真っ白い歯を覗かせ、ため息と共に呟く。
「兄さん、元気かなぁ?」
楽しみだなぁ、と彼は幸せそうな笑みで足を急がせた。靴底が砂を踏む音すら軽快に弾ませて。
その足跡についた紅色は、砂に埋もれて消えていった。
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