第19話 同志たち
チャッタの声でムルが素早く天幕の入り口を上げる。
そこには、身体を小刻みに震わせた少年、コドルが立ち尽くしていた。彼の父親を始め、集落の男達が驚きと動揺で目を見開く。
「コドル……どうして……?」
「目が覚めちゃって……そしたら、父さんとみんながお兄ちゃんたちの天幕に入っていくのが見えて……」
男達の顔から血の気が引いていく。コドルは震える声で尋ねた。
「みんな、さっきの話……、ほんとうなの? お父さんたち、お兄ちゃんたちから、水を……」
まるでコドルの視線から逃れるように、彼らは何も言わず俯いた。
それで察したのだろう。コドルは首を大きく横に振った。身体の震えが大きくなり、目には大粒の涙が溢れ出てくる。
「なんで、そんなこと……」
意を決したように、コドルの父親が顔を上げ息子に声をかけた。
「父さんたちが悪いんだ。集落のみんなが生き延びるには、これしかないと思い込んでしまったんだ」
「そうだ。本当に、馬鹿なことをした。幼いお前まで傷つけてすまなかったな」
長は他の男達とも顔を見合わせ、頷き合う。そして改めて、チャッタたちの方へ向き直った。
「こんなことをして、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる長達に、チャッタは前髪をかき上げながら大きくため息を吐いた。
「まぁ、『生き延びるためならなんでもやる』って気持ちも分かるよ、こんな時代だしね。僕だって必要に迫られたらどうなるか分からないし。――ただ、僕らにも目的がある。『それじゃあどうぞ』って訳にもいかないんだよね」
「それは、そうでしょう。お詫びに我々はどんなことでもします! その代わり、この集落の住人に成り代わっていた件は、他の住人たちのことは、どうか見逃していただけないでしょうか!?」
長達が勢いよく両手と両膝を床につけて蹲る。
本人の状況がどうあれ、他人の水を奪うことは重罪だ。罪を犯した者は一族全員、砂漠の真ん中で着の身着のまま放り出されるそうである。渇きと餓えで苦しみながら死んでいく。実質、極刑だ。
額を床に擦り付けるようにして懇願する長達へ、アルガンは鼻で嘲笑を浴びせた。
「見逃せ、だって? なんで俺たちがアンタらのお願いを聞いてやらないといけないわけ?」
すると、何かを思いついたように、アルガンの口元が歪な弧を描く。
「そうだ。なんでもするって言ってたし、水が足りないなら、そもそもの人数が減れば良いんじゃない?」
「な――」
長達が弾かれたように顔を上げる。
傍で見ていたチャッタが、それに気づいて目を剥いた。
アルガンの心臓部から両腕へ“熱”が伝わり、集まって行く。やがて指先が僅かな光を発して、
「アルガン」
ムルが声をかけた瞬間、その熱は夜の空気に霧散した。彼はアルガンに近づき、その腕にそっと触れる。
「無理するな」
夢から覚めたようにアルガンが息を呑む。顔を上げ、ムルの夜空のような瞳と視線を合わせる。
やがてアルガンは、弱々しく舌打ちをして俯いた。
「助かったよ、ムル。――アルガン、それはさすがに頭を冷やした方がいい」
チャッタは肩の力を抜くと、強い口調でアルガンへ言葉をかけた。彼はまるで拗ねるように、皆から背を向ける。
そこでようやく、長達も強張らせていた全身を弛緩させた。
ムルが真っ先に口を開く。
「要は、水があれば良いんだ」
そう呟くと寝台の上から何かを持ち上げ、泣きじゃくるコドルへ押しつけた。顔全体を柔らかな感触で包まれ、彼は反射的にそれを受け取る。
それは毛玉、ではなく、穏やかな寝息を立てて眠るニョンだった。
「お、おにいちゃん……?」
ムルは何も言わず、コドルの頭をポンポンと叩く。そして片膝をついて身を屈め、長達と視線を合わせた。
「盗みはいけない。だけど、事情は分かった。だからこれはお見舞いだ」
そう言って彼は腰の辺りを探ると、両手に収まるほどの球体を差し出す。
燭台の灯りを映して紅く光るそれは、透明な水の
「ムル!? 何を考えて――」
その大きさであれば、かなりの量の水が集約されているはず。チャッタは焦って詰め寄るが、続いたムルの言葉にすぐその足を止めた。
「ちょっと獣臭かったり、何かがジャリジャリしたりするかもしれないが、害はないハズだ。綺麗な方の水は病人と子ども達で分けてくれ」
「――獣臭い?」
水が獣臭いとはどう言うことだ。一瞬考えて、チャッタはある事を思い出した。
この集落へ立ち寄る前、町でムルとアルガンがやっていたと言う実験を。
「ムル、それってまさか……?」
ムルは首だけで振り返り、告げた。
「元、肉汁」
「やっぱり!?」
水っぽいもの、液体に近い食べ物であればムルの魔術で持ち運べるのでは。
そう考えたムルとアルガンはスープや、肉汁で実験をしたそうである。見事に“水分”だけが球体になってしまい、結果は惨敗だったようだが。
「あー、そう言えばアンタ、アレ捨てずに持ってきてたよなぁ」
アルガンも思い出したのか、呆れ顔で呟く。
「後、あの髪が硬いやつが、戦いで使っていた水も入っている」
「あの時の水もか!?」
ムルは大きく頷いた。
「もったいなかったし。それに魔術を使えば、余計な物は除かれると分かったから、つい」
イミオンが使っていたあの水はもったいなかったが、飲ませたりするのはちょっと、とそのままにしていたはず。まさか持ってきていたとは。
魔術で形状変化させていたとは言え、かなりの重さだったと思うのだが。
ムルは説明は済んだとばかり、再び視線を長達へ向ける。抑揚はないが、よく響く声で彼らにこう言った。
「皆が元気になったら、もう二度とこんな事をしなくても良いように、よく考えてくれ。俺も、狩りの仕方くらいなら教えられるから」
「あ……」
長達は水球とムルの顔を交互に見つめた。そして再び深々と首を垂れ、声を震わせる。
「ありがとう……ございます……!」
ムルは“水”を長に手渡して立ち上がると、チャッタとアルガンへ少し遠慮がちに声をかけた。
「で、良かったか?」
静観していた二人は、思わず顔を見合わせて苦笑する。
「そうだな。あの変な水を飲ませるのはある意味、良い嫌がらせになるかもな」
アルガンはニヤリと歯を見せて笑い、チャッタは仕方がないなと言うような顔をして、長達へ話しかけた。
「知らなかったんだろうけど……住民の人数が増えた時には、通常水の遣いに文を持たせて進言するんだ。一気に全員分の水を増やすのはさすがに怪しまれるけど、数人ずつならなんとかなると思うよ」
文字が書けないなら代筆するよ、彼がそう申し出る。
「い、良いのですか? その……集落の件も……」
ふうと息をつき、諦めたような、しかしスッキリとした表情でチャッタは微笑む。
「ここにはもう、水の蜂を愛する同志達がいるからね。彼らに免じて、だよ」
チャッタはそう言うと、コドルへ視線を向けた。
彼はムルと共にニョンを撫で回しているところだった。
その顔に楽しげな笑みを浮かべて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます