第18話 寝静まった後で

 なんだか僕も眠くなってきた。今日は早めに寝て、明日には皆さんにお礼を言ってここを発とう。

 そうだなー。

 おやすみ。

 そんな会話が夜の闇に溶けていき、しばらくして辺りは静寂に包まれる。




 集落の灯りが全て消え、全てが眠りについた頃。

 三人と一匹が眠る天幕では、穏やかで規則正しい寝息が空気を震わせていた。時たま外の砂が夜風に巻き上げられ、天幕に当たりパチパチと音がしている。


 その音に混じって、身体を天幕の中へ滑り込ませた者たちがいた。その数、四人。

 体格からして恐らく男であろう。マントを着込みフードを被っているだけでなく、顔も目元だけを残して闇色の布で覆い隠している。慎重に足音を殺して、男者たちは寝台へと近づいていく。


 寝台の上には、柔らかな絹の髪を束ねた青年、寝ている時でもフードを被ったままの少年、そして不思議な生物と身を寄せ合って眠る黒髪の青年がいる。

 耳をそばだて三人がしっかり寝入っていることを確認すると、四人は目線で合図を送り頷き合う。


 そして寝台の傍にある三人の荷物へと手を伸ばし、

「下手くそ」

 突如、突き刺さった鋭い言葉に、男達はバタバタと足音を立てて距離を取った。


「――こんな夜更けにご苦労様だね。何かあるとは思ってたけど」


 流麗な楽器のような声が闇を震わせ、寝台脇の燭台へ火が灯る。仄かな光で照らされた室内を見て、男達は息を呑んだ。

 確かに眠っていたはずの三人が、その身を起こしてこちらを睨みつけていたのだから。



 男達は慌てて踵を返す。しかし、間髪入れずにムルが出入り口の前へ回り込み、退路を断った。

 男達は視線を巡らせるが、逃亡の隙など何処にもない。その口元から動揺し切った声が漏れた。


「そんな……確かに……」

「食事に入れた薬で、眠らせたはずだって?」

 狼狽える男達の元へ、チャッタが平然と近づいていく。そして一人の男を捕まえ、そのマントと口元の布を勢いよく取り去った。


の入った料理を、どうもありがとうございました」


 布の下には、顎髭を蓄えたの顔があった。残りの男達もアルガンによって素顔を晒される。

 全員がこの集落の住人。中には、コドルの父親の姿もあった。

「何故、気づいた……?」


「割と最初から何かあるとは思ってたよ。僕たち余所者を、とても親切に迎えてくれた時点でね。しかも明らかに怪しい料理まで出されちゃね。それで警戒してたんだ」

 チャッタは笑みを浮かべていたが、瞳には明らかな軽蔑の色が滲んでいる。


「ちなみに、僕以外はそう言うの効きにくい質なんだ。僕は……。お喋りに夢中で、僕が一口もあの料理に口をつけてなかったのはバレてなかったみたいだね」

 男達は歯を食い縛り眉を吊り上げ、顔を歪ませていく。追い詰められた獣のようにも見えた。

 チャッタとアルガンは思わず身構える。


 そこでふと、二人はある事に気がついた。

 一人、入り口の前に立ったムルだ。彼の纏う空気が何かおかしいのである。

 なんだかとても戸惑っているような。


 訝しげな視線を送っていたチャッタが、ハッと息を呑んだ。

「まさかムル……集落の人たちに何かあるって、勘づいてなかったのか?」


「全く」

 ムルは前髪を大きく揺らせて頷いた。


「嘘だろ!? チャッタが意味深な言い方した時、アンタも納得したみたいに頷いてたじゃん!?」

 アルガンが指を突きつけると、ムルは視線を僅かに下げてあどけない表情で言った。

「二人が何か分かってるなら、それで良いかと思って」


「そうだね、ムルはそういう子だもんね……」

 チャッタがため息混じりに前髪をかき上げた。集落の男達も睨み合っていたことなど忘れ、呆気に取られたように立ち尽くしている。

 アルガンも深くため息をついた。


「で、どうすんの? 言い訳くらい聞いてやるの?」

「そうだねぇ。薬はともかく、動きはどこからどう見ても素人だもんね」


 チャッタが冷ややかな眼差しを送ると、男達はまるで押し付け合うよう互いに視線を送り合う。

 やがて長が、重たげな口を開いた。


「水が、足りないのだ」


「何故? この集落にはちゃんと水の遣いも来ていたし、足りないなんてことは……」

 言葉を途中で切り、チャッタは少し考え込むような素振りを見せた。

「やっぱり、この集落はここの人達のものではないんだね」


「は? どう言うことだよ?」

 アルガンが片眉を上げて疑問の声を発する。

 長達は大きく肩を震わせ、やがて観念したように長く息を吐き語り始めた。


「我々は元々、長く続いた争いで住処を失った者だった。同じ境遇の者が集まり、やがて家畜と共に旅をする民となった。水や食料のある場所を見つけてはそこへしばらく定住し、また別の所へ。私の父が若い頃まではそうやって生きてきた」


 争いが終わった当時、村や町を失った者は多かったと聞く。チャッタは自らの知識と照らし合わせ、軽く頷いた。


「しかし知っての通り、水や食料のある土地は年々少なくなってきている。僅かに見つけた水や植物、偶然狩れた生き物たちで凌いでも、すぐにまた飢えや乾きが襲ってくる。そしてまた移動する。それの繰り返しだった」

 淡々と語る長だったが、悔しそうに拳は強く握り締めていた。

 まるで、当時の事を思い出しているかのように。


「何処かの町や集落へ移住させてもらうことも考えたが、彼らは彼らで手一杯。先立つ物もない我々が受け入れてもらえる訳もなく……。家畜や仲間を減らしながらも旅を続け、数年前にたどり着いたのがこの集落だった」

 数年前。やはり子ども達の話の方が真実だったのだ。


「集落には誰も住んでいなかった。住民は別の場所に移動したのか、それともなんらかの原因で息絶えたのかは分からない。しかしその誰もいないはずの集落に、一羽の“水の遣い”が舞い降りたのだ」


 情報伝達の遅れだろう。伝達手段が書簡のみのこの国では、よくある話だ。


「満身創痍だった我々は、水の遣いが持ってきた水を当然のように受け取ってしまった。元々の人数の違いかその量は少なかったが、それと遊牧や採集、狩りを合わせればなんとか暮らしていけるだけにはなった。それ以降我々は、この集落の住人に成り代わって生きてきたのだ」


「それで、この集落は昔から地図に載っていたにも関わらず、住人は数年前まで旅をしていた、と言う状況が生まれた訳か」

 チャッタは合点がったように呟いた。


「我々は安住の地を見つけたのだと思った。これで誰も欠けることなく、苦しい旅をすることもないのだと。ところが、年々広がる砂漠の影響で、以前にも増して食料が手に入らなくなってきた。少ない水や食料を分け合うも、最近では体調を崩すものも出てきた。……このままでは、また誰かが犠牲になってしまう。そんな時に」


「僕たちがやって来た、と」

 長は勢いよく顔を上げた。前に大きく踏み出し、かぶりを振ってチャッタたちへ詰め寄る。


「全てを奪おうと言う訳ではなかったのだ! せめて倒れた仲間たちの分だけでもと……!」

「それにしたってかなりの量だろ? アンタらは、俺たちが道中行き倒れても構わないって?」


 アルガンの指摘を受けると、途端に長たちは歯を食い縛り、ぐっと押し黙ってしまう。

 沈黙が却って自分達を擁護するようで、アルガンは舌打ちをして嫌悪感を顕にした。そしてを抑えるように、右手首を左手で握り締める。



「――っ、誰かいるのか?」

 誰もが口を閉ざしたその時、天幕の外から砂を踏み締めるような音が聞こえてきた。

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