第17話 夜の三人
三人が準備を整え長の家まで行くと、既に食卓の上には食事が並べられていた。
ヒツジの肉と香草を鍋で蒸し焼きにした料理、薄く平たいパン、そしてラクダの乳などだ。
「お口に合うと良いのですが……」
「とんでもない! 宿をお借りできただけでも十分なのに、食事まで」
食卓に料理を並べているのは、長の奥方だと言う。少し顔色が悪いことが気になったが、目尻の笑い皺も柔らかい品のあるご婦人だ。
「何、こんなことしかできませんからな。どうぞ遠慮なさらず。しかし、これからの道中、水や食料は問題ないのでしょうか?」
「ええ、そこはお気になさらず。水はそれなりの量を確保できておりますし、食料は……まぁ、どこかで狩りでもしますよ」
「それは、安心致しました」
長が口髭を撫でながら、にこやかに笑う。
「昼間もお伝えしましたが、貴殿方はこの集落にとって久しぶりのお客様ですからな。旅のお話でも聞かせて下さい。――おお、そうだ。子どもたちもお世話になった、と伺っております。どうもありがとうございました」
僅かに、その言葉の中に引っかかりを覚え、チャッタは眉を顰めた。
「その、子どもたちから聞いたのですが、この集落の方々は旅をされていたのですか?」
「――おや、そんな事を言っておりましたか」
「はい。しかし子どもたちは、『お父さんたちは僕が生まれる前まで旅をしていた』と教えてくれたんです。それにしては、僕が師から譲り受けた古い地図にもこの集落は載っていましたし、僕たちはこの集落の何十年ぶりかの客のようですし」
ちょっと混乱してしまって。そう言ってチャッタは、少し戯けたように首を傾げる。
「ははぁ。旅をしていたのは事実ですが、もう随分昔のことです。子どもたちの勘違いでしょうな」
子どもの言うことですから、あまり気になさらず。長はそう言って腹を揺らすように笑った。
「ささ、料理が冷めてしまいます。どうぞ、遠慮なく召し上がって下さい」
「んじゃぁ、遠慮なく」
アルガンは席に着くなり卓上の料理をぐるりと見回し、ヒツジの肉へ手を伸ばした。かぶりと豪快に齧り付く。フワリと香草の香りが周囲にまで広がり、皆の鼻腔をくすぐった。
「うん、美味い」
「ちょっとアルガン。せめて皆座ってからにしてくれるかい? ……申し訳ありません、不作法で」
チャッタが苦言を呈しながら、長たちに謝罪する。アルガンは平然と口元の肉汁を指で拭っていた。
「いえいえ、お口に合ったなら何よりです」
まるで幼い子どもを見守るような眼差しで、長は温かく微笑む。
「ゆっくり寛いで下さい。ああ、そちらのマントもお預かりしますよ」
アルガンは相変わらず顔を、正確には髪の毛を隠したままである。
気をつかってくれているのだろうが。
「お心遣い感謝致します。しかし、彼には深く苦しい事情があるのです。申し訳ございませんが、どうかご理解下さい」
こう言って綺麗な微笑みを向けておけば、相手は適当に都合の良い想像をしてくれるものだ。
好奇心を刺激する言い方でもあるが、恐らくここの住人はそこまで詮索はしないだろう。
「ああ、こちらこそ申し訳ありません」
「いえいえ」
チャッタはどこか貼り付けたような笑みを絶やさず、首をゆるりと振った。
「もう良い? 続き、食べていいの?」
自分の問題であるはずなのに、アルガンは口を尖らせて食卓に頬杖をついている。
チャッタは肩の力を抜いて、長と顔を見合わせて苦笑した。
「そうですね。改めて、食事にしましょう!」
長が最後まで言い終わらない内に、アルガンは再びヒツジ肉を口に押し込んでいた。
「あー、食べたら眠くなってきたー」
「おやすみ」
「こらこらこら! 少しは動いてから寝なよ。あんなに食べた後なんだから」
天幕に戻るなり、アルガンは寝台へと勢いよく飛び乗った。空気が弾けて塵が舞い、ニョンが小さくくしゃみをする。
「えー、俺にしては量が少なかっただろ? ちゃんと遠慮してたんだってば」
疑いの眼差しをアルガンへ向けるも、チャッタは自分の荷物の中を探り始める。取り出したのは丸められた何枚かの羊皮紙だ。
ムルとニョンが手元を覗き込んできたのを見て、彼は微笑む。
「気になるかい? これはこの前見つけた『オアシス』の記録だよ。もう少し整理しておきたくて」
ムルはチャッタと目を合わせ、軽く頷く。
「水の蜂消失の手がかりはなかったけど、本当に貴重な発見だったよ。あれほどの規模の遺跡は――それこそ、二人と出会った頃に入ったあの場所くらいだね」
その光景を思い浮かべるかのように、少し視線を上げて目を細めた。
思えばムルとアルガン、ニョンと出会って、まだ半年も経っていない。それなのに、まあよくここまで馴染んでいるものだ。
どこかくすぐったいような、温かい気持ちで満たされる。
「次はとうとうリペの町かぁ……」
リペとは第二の王都と称されるほど大きな町だ。地下水が溢れる豊潤なオアシスに恵まれ、昔から交易や文化の中心となっている。
「リペは王都が遠い地方の民から、中央と呼ばれるくらいだからね。本当に大きな町だよ、水の蜂の遺跡もあったはずだし! ……随分昔に師匠が訪れた時には大した収穫がなかったそうだけど、ムルがいれば、何か別の情報が得られるかもしれないね!」
楽しみだなと顔を綻ばせるチャッタに、ムルが首を傾げて呟く。
「中央」
「あ――」
途端にチャッタは、表情を固くした。そう、リペは“中央”と呼ばれているのだ。
「アルガン」
「なんだよ。改まって」
アルガンは寝台に寝転んだまま、顔だけを二人の方へ向ける。余程眠たいのか、目が半分しか空いていない。
「リペに着いたら君、何か対策を取らなくても良いのかい?」
チャッタの視線はアルガンを気遣いつつも、どこか咎めるような鋭い光を放っていた。
「君の力を狙っていたイミオンは、『中央から来た神官』だと言われていただろう? 彼はリペの神官だ。彼の身柄は役人たちに預けて、僕たちよりも数日先行している」
もうリペに着いているだろうね。その言葉に、アルガンは僅かに身体を強ばらせる。
「彼と、後から捕縛された彼の部下は、然るべき措置が取られると信じておくとして。それと君の話は別物だ」
夜の底冷えする空気の中、チャッタの声が重く響く。
「君、本当に大丈夫かい?」
「――随分、曖昧な言い方するね」
アルガンは嘲笑の混じった声を発すると、ようやく寝台から身を起こした。
「素直に聞きなよ。『僕たちに危険はないのか』ってさ」
わざとらしく僕を強調した言い方に、チャッタは反論しようと口を開く。しかし何度か開閉して、結局口を噤んだ。
アルガンは表情を消してそんな彼を流し見ると、少し間を置いてから意地が悪そうに笑う。
「でも今更? 大変そう、だなんて、割とのんきなこと言ってたクセに」
それはまぁそうなんだけど、とチャッタはバツが悪そうに目を泳がせる。
「いくら悪魔の力と言っても、あそこまで過剰に反応されたのはあの時が初めてだったからね。僕もその――知識として知ってただけだし」
炎の魔術。
悪魔の力と称され恐れられているのは、乾燥したこの国にとって脅威となるから、だけではない。
炎の魔術は百年ほど前まで続いていた争いで、ありとあらゆる物を焼き尽くし数多の命を奪ったとされる魔術なのである。
とは言え、その争いの当事者はほぼ生きていないだろうし、この前出会った少女ティナのように全く知らない世代も多いだろう。
「イミオンみたいに君を研究対象にするとか、炎の力は危険だから排除しようって奴がどれだけいるかは……僕には想像がつかないから」
そして、何故アルガンがそのような力を持っているのか、その理由をチャッタは聞けずにいた。
「それは問題ない、ように……だけど」
アルガンは俯くと、途切れ途切れ何事かを呟いた。
小さすぎたそれを聞き返される前に、顔を上げてムルと視線を合わせた。
「アンタは良いの? それこそ滅びたはずの『水の蜂』様だろ?」
「毒が効いていれば、恐らく」
同意するように、チャッタが深く頷いた。
「水の蜂の毒を受けると、まず身体が麻痺して意識の混濁が起きるんだ。身体の痺れは遅くても数時間、意識も数日もあれば徐々にハッキリしていく。でも、最も重要なのはその後だ。その毒にやられたものは、刺された前後の記憶を失うんだ。まるで、なかったことのようにね」
この毒により、水の蜂は相手の命を奪うことなく、敵からその身や種族の秘密を守っていたのだろう。
「毒の効果もあるし、ムルは――そもそも水の蜂にしてはできないことも多い。だから噂が広まる危険性はかなり低いと思うよ」
だけど、とチャッタは言葉を濁しアルガンを下から上へ眺める。
炎のような髪と瞳を持つ、悪魔の力を操る少年。今は目深に被ったフードで隠しているが、気休めに過ぎない。いや、普段は隠していることも知られているだろう。
もしそれで本当に命を狙われることがあったら。
背筋がぞくりと冷たくなる。今更ながらチャッタは、呑気に構えてた自分を殴りたくなった。
何も言わないチャッタを見かねたのか、アルガンは徐に口を開く。
酷く冷めた声だった。
「もし無理だと思ったら、その時はお互い、すぐに別れるって最初から決めてただろ」
「それは……そう、なんだけど」
俯いてしまった二人を交互に眺めた後、今まで黙っていたムルが珍しく声を発した。
「用心して、次の町では何か対策を練ろう。アルガンの髪を剃る、切る以外の何かで」
「いや、確かに炎のような髪が一番の特徴だろうけど」
「どれだけ俺の髪大事なんだよ」
相変わらずなムルの発言に、二人は肩の力を抜いて苦笑したのだった。
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