第16話 旅への憧れ

 遥か昔からこの国は、水の神様に嫌われた国だと言われてきました。雨が降ることは滅多になく、限られたオアシスがあるだけの渇き切った大地。

 人々は何千年も前から水を求めて争い続けてきました。


 そんな時、現れたのが『水の蜂』という種族です。心優しく気高い女王様を中心とした彼女たちは、この世のものとは思えないほど美しかったと言います。

 水の蜂は何もないところから水を生み出し、人々へ平等に分け与えました。それだけではありません。彼女らは傷ついた人々の傷や病をも癒していきました。

 大地と人の心は豊かになり、国は平和になりました。


 ところが、徐々に水の蜂は人々の前に姿を見せなくなってしまいます。皆不思議がりましたが、元々人間は水の蜂の住処を知りません。彼女らの“国”は誰にも知られないように隠されていたからです。

 遂に人々は、水の蜂は滅びてしまったのだと思うようになりました。


 大地は痩せ衰え、人々は再び水を巡って争うようになります。長い長いその争いが止んだのは今からおよそ百年ほど前。


 今は国の下、教会が水の蜂のように水を管理し、人々に分け与えるようになりました。




 国の成り立ちから始まって、チャッタは子どもたちに歴史を語る。水の蜂はこの国の歴史と密接に関わっているからだ。

 その後は、水の蜂がいかに素晴らしい種族か、と言う話に変わっていったのだが。

 チャッタの講義は、とうとう日が暮れるまで続いた。



「――と言う訳で、『水の蜂』と言うのは本当に神秘的で美しい種族なんだ」

「そうなんだ!」

「水の蜂って、すごいね、おにいちゃん!」

 三人にあてがわれた天幕の中に、子どもたちの感嘆の声が響く。


 何度も聞いているアルガンは飽きてうたた寝を始め、ムルはニョンと戯れている。

 少年、コドルが連れてきた友達は全員で五人。全員、最後まで飽きることなく聞いていたようだ。チャッタの説明が上手いのか、それとも『水の蜂』に対する物珍しさなのか。


「そうだよね! 君たちにも水の蜂の素晴らしさを理解してもらえて、僕は本当に嬉しいよ」

 チャッタは胸に手を当てて、神に祈るように天を仰いでいる。感情が昂りすぎているのか、その瞳は少し潤んでいた。

 子どもたちも興奮冷めやらぬ様子で、負けじと目を輝かせ口々に話し出す。


「水を出してくれるなんて、神様みたいね!」

「水の神の化身とも言われているね!」

「ケガや病気も治してくれるんだね、すごいなぁ……」

「うんうん、心優しい種族だったからね!」

「でも毒があるのは、ちょっと恐いなぁ」

「大丈夫! 悪い人しか使わなかったし、悪い人に対してもあくまで自分の身を守るためだからね」

 チャッタと子どもたちは、はしゃいだ声を上げ『水の蜂』談義で大いに盛り上がっている。


 その騒がしさに、アルガンが地を這うような唸り声を上げて目を覚ます。身を起こして部屋の中の光景を眺め、彼は呆れた様子で額を押さえた。

「……まだ、終わってなかったのかよ」

「おはよう」

 ムルはアルガンの横に腰かけ、のんびりとチャッタ達の様子を眺めている。その表情は相変わらず彫刻のように変化がない。


 僅かにズレてしまったフードの位置を整えると、アルガンはふと浮かんだ疑問を口にした。

「なぁ、アンタって、チャッタのこの話どう言う気持ちで聞いてんの?」

 ムルは僅かに首を傾ける。


「事あるごとに、大層な水の蜂への賛辞をまくし立てられるわけじゃん。その、ムズムズするっていうか、なんか嫌じゃねえの?」

 『水の蜂』ってつまりアンタのことだろ、とはさすがに言えないアルガンであるが、言いたいことは伝わったようだ。ムルは首を軽く横に振る。

「俺は何も覚えていないから、あまり」

「あーなるほどな」


 その時、甲高い悲鳴のような声が上がり、アルガンはギョッと目を剥く。見ると、チャッタと子どもたちが大声で笑い転げていた。何がそんなにおかしいのかは分からない。

 一番年上のくせに子どもみたいだ。


「けど――」

「ん?」

 小さなムルの声を聞きつけ、アルガンは目線を戻す。仄かな灯りに照らされ、ムルの頬は淡い夕焼け色に染まっていた。


「こんな風に『い存在』として認めてくれる人がいて、それをこうして伝えてくれるのは嬉しい、と思う」

「ふーん……そう言うモンか」

 アルガンは相槌を打つと、一つ大きな欠伸をした。



 いつの間にかチャッタ達の話題が少し変わったようである。落ち着いた声で、一人の少女が疑問の声を上げた。

「でもそんなにすごい人たちなのに、どうしていなくなっちゃったんだろうね?」

「ふしぎだねぇ」

「他の国にいっちゃったのかなぁ」

「ほんとにみんな死んじゃったのかも」

「えー! そんなぁ……」

 少年たちはそれぞれ首を捻り、色々と考えているようだ。

 チャッタは含むような笑い声を上げると、語調を強めて得意気に告げる。


「そう、そこが最大の謎なんだよ! その謎を追うために、僕たちは水の蜂の痕跡を追って旅をしているんだ」

「そうなんだ、すごいね!」

 コドルたちは目を丸くして歓声を上げた。

 ここまで説明してようやく、チャッタの求めていた反応が返ってきたようである。彼は満足気に何度も頷いた。


「すごいだろう? それに水の蜂がいなくなってしまった証拠は何処にもないんだ。益々夢があるだろう!?」

「え、じゃあ、まだどこかに『水の蜂』がいるかもしれないってこと?」

 コドルの問いにギクッとしたのは、何故かアルガンだけだった。ムルの表情は微動だにせす、チャッタも何も言わずにニコニコと微笑んでいる。


「もしいるなら、わたし、会ってみたいなぁ!」

「ぼくも!」

 次々に元気な声が上がる中、コドルが少し顔を曇らせながらも笑顔で言った。

「ぼくも会いたいなぁ。ぼくのお母さんや隣のおじいちゃん、体のちょうしが悪いんだって。水の蜂に会えば、元気になるかもしれないよね!」


「それならとっくに――」

「うわああぁぁっ!? バカ!!」

 とんでもないことを言い出しそうだったムルの口を、アルガンが慌てて押さえつけた。


「おにいちゃんたち、どうしたの?」

「な、なんでもねぇよ!」

「えっと……そうだ! 会った時から思ってたけど、コドルは旅に憧れているのかい?」

 チャッタが慌てて話題を変える。コドルは気にした様子もなく、すぐにチャッタを見上げて大きく頷いた。


「うん、そうだよ! ぼくのお父さんもお母さんも旅をしていたんだって」

「コドルのご両親も?」

 おじさんたちだけじゃないよ、この集落のみんなもだよ。そう他の子どもたちも教えてくれる。


「ぼくが生まれる前まで、お父さんたちは国のあちこちを旅して回ってたんだって! だからぼくもお父さんたちみたいに、この国中を旅してみたいんだー!」

「――そうか。旅、できると良いね」

 チャッタが浮かべた綺麗な笑みに、コドルは心底嬉しそうに笑い返した。


「おにいちゃんが旅にでたのは、『水の蜂』を知るためなんでしょ? ぼくも旅にでたら何かすごいものを探したいなー」

「ずるいよコドル! 僕も行きたい!」

「えー、いっしょはムリだよ。ぼくは一番おにいちゃんだから、ぼくが一番最初に旅にでるんだよ」

「なんで! みんなで行こうよー」

 子どもたちが微笑ましい言い争いを始めた時、

「お前たち、ここにいたのか」

 外から少し掠れた男の声が聞こえてきた。


「こら、コドル。この方たちは長旅で疲れていらっしゃるんだから、お邪魔しちゃ駄目だろ」

 天幕の布を捲って顔を出したのは、ひょろりと背の高い男性である。彼の鼻の形はコドルとそっくりだ。


「あ、お父さん」

「申し訳ありません。お騒がせしてしまって」

 コドルの父はそう言って、チャッタたちに頭を下げた。

「いえいえ、誘ったのはこちらですから!」

 僕も楽しかったです、チャッタがはしゃいだような声を上げてカラリと笑うと、コドルの父は安心したように息を吐いた。


「でしたら、良かったです。ほら、お前たちそろそろ戻るぞ! 食事の時間だ」

 子どもたちは元気よく返事をして、ぞろぞろと天幕の外へ出ていく。


「おにいちゃん、おはなし楽しかった!」

「ありがとー」

「ああ、どういたしまして」

「あなた方の食事も用意しております。準備が整い次第、長の家までお越し下さい」

 子どもたちの背中を見送ると、コドルの父親もそう言い残し出ていった。



 先程までの騒ぎが嘘のように、三人のいる空間はシンとした静寂で満たされる。

「なぁ」

 最初に口を開いたのは、アルガンだった。


「旅なんて、そんな良いもんじゃないと思うけど。『できると良いね』なんて、適当なこと言ってよかったのかよ」


「そうかな? 少なくとも確固たる信念と目的のある旅は不便も多いけど楽しいよ」

 ね、ムル。そうチャッタが同意を促すと、ムルは大きく首を縦に振る。


「俺は」

 アルガンは開いた口を一度閉じた。思い浮かんだ何かを打ち消すように、激しく首を振る。

 そして、微かな声で呟いた。


「ただアンタたちに着いていってる、だけだから」

「――そうだったね」


 その時のアルガンの表情は、フードの下に隠れて誰にも見えなかった。


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