第二章

第14話 小さな集落

 砂山を越えてたどり着いたのは、本当に小さな集落だった。

 砂の間からポツポツと色素の薄い草が生えているだけの地。そこに片手で数えられるほどの住居が並んでいた。


 石を組んで建物の体裁を保っているのは、その内の半分程。後は砂漠の上に貼った天幕の中で生活している者が多いようだ。

 天幕は半球状で、通常の家と変わらない大きさのため、それで十分だという判断なのかもしれない。


 何名かの住人が天幕から忙しなく出入りしている。壺を持ち歩いているため、先程目撃した“水の遣い”が持ってきた水を分けているのだろう。

 十数頭のヒツジやラクダが、僅かな草を食んでいるのも見える。おそらく、ここで飼われている家畜だ。



「元々は、水を求めて旅をしていた人たちなのかもしれないね。ここを安住の地としたのか、それとも……」

 チャッタはラクダから降りると、マントのフードを上げて集落の様子を見回す。

 住人に不安を与えない為、目視できるギリギリの位置で歩みを止めていた。


「それよりさ。こんなちっちゃな集落で食料調達なんかできんの? どう見ても、自分達のことで手一杯って感じじゃん」

 同じくラクダから降りたアルガンが集落を見つめて呟く。やっと休めると思っていたためか、その声にはあからさまな落胆が伺えた。


「そうだねぇ。とりあえず誰かに……」

 チャッタはふと、ある人物に目を止めた。


 天幕から壺を抱えて出てきた小さな子どもである。十もいかない年齢だろう。日除けのマントで性別までは分からない。

 視線に気づいたのか、その子は顔を上げると慌てて天幕の中へ引っ込んでしまう。

 明らかに、警戒されている。


 チャッタは乾いた笑い声を上げ、アルガンは溜息を吐く。


「うん、まぁ。ここで眺めていても仕方ないし、そろそろ行こうか」

 チャッタが、ラクダに跨ったムルとニョンへ声をかけた。

 ムルはラクダの背中を労わるような手つきで撫でると、危なげなく砂上に飛び降りる。ニョンが少し砂を撒きながらムルの後に続いた。


「別に、ここの人たちの生活を脅かしたい訳じゃないしね。駄目で元々って事で、聞くだけ聞いてみようか」

 その言葉を合図に、三人は歩き出した。



 

「どうぞ、こちらを好きにお使い下さい」

 案内されたのは、並んだ天幕の一つである。中には水を溜めておく蓋付の壺が三つと寝台が三つ、足下には床代わりの布と獣の毛皮が敷いてある。

 布は天幕と同じ素材で機能性重視と言った感じだが、毛皮は柔らかく温かそうだ。


「ふかふか」

「良かったね、ムル」

 チャッタは何処となく満足そうなムルを見つめると、案内してくれた集落の長へと頭を下げる。


「本当に何から何まで……ご厚意感謝致します」

「いえいえ。実に何十年ぶりかのお客様です。何もない所ですが、どうぞごゆっくり旅の疲れを癒やして下さいませ」

 後で食事の準備をしましょう。長は蓄えた灰色の口髭を撫で、柔和な笑みを浮かべる。

 そして深々と一礼すると、天幕の中から出ていった。


 砂を踏み締める音が十分遠ざかったのを確認し、

「で、交換条件は?」

 アルガンは声を低くしてチャッタに問いかけた。




 あの後、チャッタが集落の人を呼び止め尋ねると、そこで一番大きな建物へ案内された。ここ集落の“おさ”の住居なのだと言う。


 旅人が珍しいのだろう。ある者は好奇心に満ちた眼差しで、ある者は不安げに表情を曇らせながら。チャッタたちの周囲には、次第に住人が集まってきていた。

 想像していたよりも、ここの集落は多くの人々が住んでいるようである。その中には、幼い子ども達の姿もあった。


 チャッタは案内された建物の入り口に立つと、身につけた荷物や装備を外し足下に置く。

 敵意はないと示すためだ。

 すっかり身軽になると、彼は最後に頭のフードを取った。

 ふわりと零れ出た絹のような髪と涼やかな風貌に、集まった人々から思わず感嘆の声が漏れる。


「じゃあ、ちょっとお願いできないか聞いてくるね」

 チャッタはアルガン達に向かって微笑むと、案内人と共に颯爽と建物へ入っていく。



 程なくして、彼は口髭を蓄えた男性とにこやかに談笑しながら登場した。

 男性は建物の周囲に集まる人々を見回すと、演劇のように朗々と告げる。


「皆、この方々は旅人だそうだ。この乾いた地を越え、遥々とここまで辿り着いた客人だ。この奇跡のような出会いに感謝し、存分に持てなそうではないか!」

 すると、住人たちは瞳を輝かせ、大きな歓声を上げた。

 両手を高らかに打ち鳴らし、フードから見える口元には笑みが浮かんでいる。

 一体何故、こんなにも喜んでいるのか。


 アルガンは居心地の悪さに、思わず隣のムルを流し見る。

 彼は口を真横に結び、なぜか背後に視線を向けていた。


「ねーねー、おにいちゃん、これ何?」

「ふわふわー! おもしろーい!」

「ニョンだ」


 なるほど。ニョンを子どもたちに奪われたらしい。

 世にも珍しい跳ねる毛玉は、集落の子どもたちにこね回されていた。

 発せられた奇声は悲鳴のようにも聞こえる。


 駄目だ話にならないと、アルガンはチャッタへと視線を向けた。

 彼は長の半歩後ろに立ち、まるで宝玉のような煌びやかな笑みを浮かべている。

 アルガンと目を合わせると、チャッタはほんの少しだけ肩をすくめて片目を瞑った。


「うわぁ……」

 まんまと懐柔したか。

 いつもながらどうやっているのか、アルガンは口の端をひきつらせ声を上げた。



 それから三人は長に連れられ、この天幕へと案内されてきたのである。

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