幕間1

砂上にて食すものー1

 果てしなく青一色に染められた空から、黄金の光が刺すように降り注ぐ。顔を上げれば砂だらけの世界が熱で歪んで見えた。


 分厚い布地の下から目を細め、大きく息を吸う。乾いた喉が火傷のようにヒリヒリと痛みを覚えた。


「チャッタ」


 声をかけられ、視線を横に遣る。

 同じくマントで全身を覆ったムルが、隣でラクダに揺られていた。肩には彼の愛する毛玉、ニョンの姿もある。

 彼は先頭を歩いていたはずだったが、いつの間にかここまで移動してきたようだ。

 ムルの瞳は星が瞬く夜空のようで、暑さで参っている心が少し癒される。


 彼は腰の方を探ると、獣の皮と胃袋で作られた水袋をチャッタへと差し出した。


「アンタもそろそろ飲んだ方が良いんじゃない? 倒れたら面倒じゃん」

 振り返り、声をかけてきたのはアルガンだ。彼は口に自分の水袋を咥えている。


 ムルはそれを伝えに来たのだろう。チャッタは微笑んで頷くと、ムルの手からそれを受け取った。

「ありがとう。幸い補給は十分させてもらった事だしね」



 チャッタは三日前に別れを告げた町、水の蜂の遺跡とそれを守る母と娘の絆に想いを馳せた。

 いくらでも持っていってくれと言う彼女たちから、気持ちだけはしっかり受け取って、持てるだけの水と食料を確保させてもらったのである。



 栓を外し口に含むと、冷えた水が喉の渇きを潤していく。チャッタは軽く息を吐いた。


「なーチャッタ。次の町まで後どれくらい?」

 アルガンに問われたチャッタは、水袋に栓をし、腰元に下げた鞄から地図と磁石を取り出す。


「目的の町までは後五日、でもその間に小さな集落が二つ三つあって、その内の一つがそろそろ見えてくる頃なんだけど……」

「あー。聞いといて何だけど、その地図ってアテになんないじゃん。町があるって行ってみたら、とっくに砂に埋まってたってことあったし」

 アルガンの口調からは、露骨に不機嫌さが溢れている。実際、そう言うことは何度かあったので無理もないのだが。


「まぁ、師匠が現役で旅をしていた時の物だからね。かれこれ数十年前か」

 チャッタは苦笑した。



 この時代、好き好んで危険を冒し、旅をする者などそういない。王都まで行けばそれなりに正確な地図が出回っているだろうが、一旅人が手に入れられるものなど高が知れている。


 手元の地図へ視線を落とすと、左下の角に“王都”と書かれた文字を見つけた。それより西側はどうなっているのかも分からない。

 どこまでも砂漠が広がっているのか、それとも緑溢れる豊かな土地があるのか。


 誰しも生まれた町で一生を過ごすことがなのだ。

 王都すら、チャッタ達にとって夢物語ような場所である。



「でも確かに、この集落がなかったり、水はともかく食糧を調達できなかったりすると……この先の道程は厳しいなぁ」

 そうなったら狩りでもしないと。

 そんな一人言のような呟きを聞きつけ、アルガンは嫌そうに声を裏返す。


「狩りぃ!? うわー面倒臭いな」

「俺が行くぞ?」

 親切とも言えるムルの申し出だったが、アルガンは即座に首を振った。

「えー、ムルが行くと『ヌマクルオオトカゲ』しか捕ってこないじゃん。余計イヤだ」


 ヌマクルオオトカゲ。体長は成人男性の片腕程もあるオオトカゲで、砂漠を中心に棲息している。砂中の虫や多肉植物などを食べる雑食で、性質は大人しい。そして食べられる、のだが。

 はっきり言って美味しくない。


 しかし、ムルに狩りを任せると、高確率でこのトカゲしか獲ってこないのである。


「アンタ、絶対に自分の好みじゃないから、ヌマクルオオトカゲしか獲ってこないんだろ!? 狩りやすい生き物ならそれこそスナベリウサギとか、トビタテマキネズミとかいくらでもいるじゃん!?」


 このトカゲ、身体の表面に吸着性のある粘膜を張り、砂や石をくっつけて擬態すると言う特性がある。その粘膜の持つ臭みが肉にまで浸透しており、皮を剥ごうが肉を焼こうが全く消えない。

 そして鱗に触れた時の感触は、ヌチョと言うかベチョと言うか、言葉を選ばず言うと気持ちが悪い。


 触感至上主義ムルの好みは時に風変わりだが、このトカゲの触感には不快感を滲ませていた。


 しかし、ムルは毅然として首を横に振る。


「違う。もふもふだろうがフカフカだろうが、ぬちゃぬちゃだろうが、こちらが生きるためなら遠慮なく狩らせてもらう」

 ムルに同意するかのように、彼の肩に乗ったニョンがにょにょと声を上げる。


 アルガンは少しの間ムルを睨むようにしていたが、やがて試すような口調で問いかけた。


「ふーん。じゃあ聞くけど、もし目の前にスナベリウサギとヌマクルオオトカゲがいたらどっち獲る?」

「ヌマクルオオトカゲ」

「そう言う所だよ!? そこは食べて美味い方を選べよ! 思いっきり私情絡めちゃってるだろ!?」


「まあまあ、狩りは僕が行っても良いし、その辺でこの話はやめておこうよ。それこそ叫ぶと余計に喉が乾くよ」

 興奮するアルガンを宥め、チャッタは周囲を見回す。

 多肉植物でも生えていれば手取り早く水分と食料の確保ができるのだが、どうやらそれも見当たらない。


「もう少し進んで集落が見当たらなければ、獲物を探した方が良いね」

 二人にそう提案すると、ムルは頷きアルガンは不満気にそっぽを向く。

 チャッタはわざとらしく大きなため息を吐いた。


「アルガン、我儘言うなよ。ムルのおかげで水はたくさん確保できるだろ? これだけでも随分楽な旅なんだから。僕が一人旅の頃なんか何度死にかけたか——聞く? 


「遠慮しとく」

 フード越しでもチャッタの瞳が笑っていないことを察したのか、アルガンは背中を丸めて声を窄めた。


 何故かニョンが嬉しげにラクダの上を跳ねている。アルガンが言い負かされたのが愉快なのだろうか。

 この奇妙な生物とアルガンの相性は、正直言って良くはない。


 アルガンは歯を食いしばって、憎らしげに跳ね回るニョンを睨みつけている。

 チャッタは呆れ半分、微笑ましさ半分で思わず笑い声を漏らした。


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