第11話 一匹の蜂

「ムルさん。まさか、貴方は……」

 ティナはムルの背に向かって呟く。彼は針を敵に向けたまま、微動だにしない。

 暫し沈黙していたイミオンは、嘲笑うかの様に短く息を発した。

「ふざけたことを、何が『本物』だ! 数百年前に滅びた種族だぞ!? こんな所で生き残っている訳が」

「チャッタ」

 イミオンの言葉を遮るように、ムルは何故か彼の名を呼ぶ。

「アルガンの怪我は」

 意図を汲み取って、チャッタが即座に答える。

「楽観視できる状況じゃないけど、命に別状はないよ! ……ごめんね、アルガン。僕のせいで」

「謝る暇があったら……、そのお得意の頭ぶん回して、なんか良い方法でもないか、考えろよ」

 二人の会話を聞き、ムルは少し間を開けて呟く。

「早めに終わらせる」



「舐めたことを……!?」

 イミオンは怒りで震えながら、片手を上げた。周囲の水が、命をもった生物のように彼の元へ集まる。

 飛沫で視界が塞がれていく。渇いたこの国では、奇跡ような光景だった。

「ティナちゃん! こっちへ!」

 チャッタが急ぎ、ティナを自分の近くへ呼び寄せた。

「最初から私一人で十分だったな。ノコノコ逃げ帰ってきたあの無能共が」

 先程の男達のことだろう。イミオンは苛立った様子で舌打ちをすると、指を鳴らす。

 水がチャッタ達の周囲を取り囲んでいく。やがてそれは、三人を完全に覆い隠してしまう。

「貴様らは暫くそこにいろ」

 ムルが駆けつけようと足を動かした。


「おっと、まずは貴様からだ」

 イミオンが一瞬で間合いを詰め、両腕を振りかぶる。水が渦を巻き、背丈程もある両刃の長剣が出現した。イミオンはそれを掴み、振り下ろす。

 床の石が裂け、辺りに瓦礫が散らばった。

 咄嗟に跳躍し避けたムルは、飛んできた瓦礫を針で弾き飛ばす。


 その隙に、再びイミオンが剣を振るう。

 顔面、首、胸元、それぞれを狙った横薙ぎの攻撃を繰り返し、最後に大きく踏み込んで突く。身体を捻り刃を避けたムルは、最後に上半身を大きく後ろに反らせ、刃を足で蹴り上げる。

 その勢いで大きく弧を描き一回転したムルは、イミオンと一旦距離を取った。


「やけに身軽だな。蜂を自称するだけのことはある」

 イミオンが剣を肩に担いでほくそ笑む。長剣の重さで、力任せに振り回しているだけではなさそうだ。

 ムルはイミオンに注意を払いつつも、チャッタ達の様子を横目で確認する。


 チャッタ達は、水で造られた半球に閉じ込められていた。外からその姿は歪んで見え、様子が分からない。すぐに命の危険はなさそうだが。

「貴様に仲間を気遣う余裕などない!!」

 イミオンが再び片手を振り上げたのを見て、ムルも腰を落として針を握り直した。




 チャッタがクロスボウを構え、矢を壁に向かって撃つ。水であれば貫通しそうなものだが、それは軽い音を立てて弾かれた。見た目より固い“水の檻”だ。

「駄目だ。壊せそうにないね。ムルの様子は、辛うじて分かるけど」

 チャッタは後ろのティナとアルガンへ視線を向ける。自分はともかく、イミオンはアルガンを生かしたまま連れ帰りたいようだ。

 すぐに攻撃を受けないのは不幸中の幸いか、と小さく呟く。


「チャッタさん、ムルさんが……」

 ティナは不安そうに、外の様子を伺っている。イミオンの怒涛の攻撃に、ムルは防戦一方だ。こちらが人質のようになったせいもあるのだろう。

 早々に脱出したい所だが。


「ああ、もう! 俺がやる……!」

「アルガン!? 君、無理しちゃ……」

 アルガンが少しふらつきながらも立ち上がり、怪我をしていない方の腕を上げる。

「焼いて止血は、した! 足手まといは御免だし、無理でもしなきゃ、どうにもなんないだろ」

「落ち着いて! 今すぐ危険があるって訳ではなさそうだし、ここは――」

 そこでチャッタはふと、何かを思いついたように口を閉じる。

「そうだね、せっかくだし……。ちょっとだけムルを手助けしようか」

 再度口を開いた時には、彼は唇に美しい笑みを浮かべていた。

 



 ムルは針を構えて地を蹴った。一直線上にいる、イミオンに向かって駆ける。

 澄んだ音と甲高い音を立てて、金属同士がぶつかった。

「はっ! そんな細い針一本で何ができる?」

 イミオンはムルの針を眺め、嘲笑を浴びせた。剣を上段から振り下ろし、針を押さえ込んでいる。

 見た目よりも針は強度があるようだが、元々の重さが違いすぎる。

 ムルは腕を捻り抜け出すと、間合いを取ろうと動く。


 すかさずイミオンはムルに襲いかかった。剣を振り上げ、長さを生かして遠くの間合いから振り下ろす。

 ムルは身体を一歩横にずらし、最低限の動きでそれを避けた。しかしそこへ、透明な色をした刃が数本飛来する。魔術だ。

 再び上半身を僅かに反らせて刃を避ける。床にぶつかった途端、その刃は水に変わった。


「貴様、魔術は使えないのか? まぁ、使いたくても無理だろうがな」

 イミオンは再びその水を操りながらわらう。

 現在、この空間の水のほとんどはイミオンの支配下にある。ムルが操れる水があるとすれば、それはせいぜい攻撃の際に散った僅かな水滴くらいだろう。

 水の蜂だとすれば、水を自ら生み出せるはずだが。やはり、本物だと言うのはハッタリか。


 イミオンは再び攻撃を繰り出す。剣と魔術で反撃の隙を与えない。ムルは上手く避けていたが、体力が続くのも時間の問題だろう。

 イミオンは勝利を確信し、歪んだ笑みを深めた。



 その時、何かが割れるような音が耳に届く。

 イミオンが視線を向けると、水の檻の一部が人一人が通れるくらいに欠け、隙間からチャッタとアルガンが見えた。

「ムル! 少し下がって!」

 チャッタの声に、ムルは瞬時に後方へと跳び下がる。イミオンが次の攻撃を仕掛ける前に、アルガンが動いた。人差し指をイミオンへ向け、短く叫ぶ。

「壊れろ!!」


 イミオンの耳元で揺れていた、二つの宝玉が音を立てて壊れる。イミオンはそれを認めると、自分の心臓の辺りに一瞬、視線を落とす。

「『疑似魔術器官』は破壊した! これなら……」

「――甘いっ!!」

 チャッタの嬉々とした声に、イミオンが冷笑を浴びせる。

 これは偽物だ。本物をこのような目立つところにぶら下げておくものか。

 彼はチャッタたちに魔術を使おうと右手を向ける。



 耳障りな音を立て、突如、もう一方の手にあった長剣が砕け散った。

「な――なんだ……?」

 長剣だった水が足下に散っていく。床には針が一本突き刺さっていた。

 まさか、唯一の武器を飛び道具に。


「助かった」

 ムルの呟きが聞こえ、イミオンは顔を上げる。そして目を剥いた。

 ムルの手にはがある。確かに床に刺さった針は少々短く、透明度も異なっていた。周囲には無数の水泡も浮遊している。一体どこにそれだけの水が。

 その疑問の答えはすぐに出た。

「破られた、檻か……!?」

 あの少年が水の檻を破った時に、散った水。

 視界の端で、チャッタが得意げに微笑むのが見えた。


「手数は多い方が良いからな」

 ムルは独り言のように呟く。そして一呼吸置き、深い闇色の瞳でイミオンを見据える。

「行くか」

 ムルの身体が消えた、ように見えた。


 彼は頭上よりも大きく跳躍すると、上から小さな水の針を飛ばす。即席で先程よりも小振りな剣を造り上げたイミオンは、それで針を弾き飛ばした。

 その間に、再びムルの姿を見失う。気づくと彼は地上に降り立ち、身を低く屈めている。


 彼は針を口に咥えると、両手を床に付け片足を大きく回す。床には水が溜まっていた。ムルの足によって水が蹴り上げられ、飛沫が上がる。

 瞬時に無数の針に変わった。


 イミオンは大きく後ろへ飛び下がり距離を置く。

「手数ならまだ、こちらが有利だ!!」

 そして剣を片手に持ち返え、もう一本剣を造り出す。左手の剣で盾のように針を受けながら突進し、もう片方をムルへと振りかざした。

 ムルの体勢は今、不安定。

 血飛沫が舞うのを想像し、イミオンは顔を歪めた。


「じゃあ、俺もだ」

 ムルも口元の針を持ち、もう片方にも針を造り出す。

 左手の針で刃と平行に剣を受け、それを滑らせながら彼は前に強く踏み込む。

 そして、手首を返しもう一本の針を盾代わりの刃へ突き刺した。刃がひび割れていく。

 そのままもう一歩、ムルは足を踏み出した。


 イミオンの刃を砕き、針はその後ろの身体に深々と突き刺さった。



「ぐっ……」

 身体の中で何かが砕けた感覚に、イミオンは小さく呻く。刺さったのは、心臓の僅か下。そこには彼の身体に埋め込まれた疑似魔術器官がある。

「魔術器官を砕いたか。しかし、私の身体にある魔術器官は一つではない! まだこれで勝ったとは——っ!?」

 心臓が大きく脈打った。

 視界が回り、額には脂汗が浮き出る。徐々に手足が痺れ、彼は溜まらず膝を折った。



「魔術器官……そこにあったのか。気がつかなかった。俺、そう言うの鈍いんだ」

 ムルがイミオンの身体から針を抜く。

 身体に力が入らず、イミオンは重たい音を立ててうつ伏せに倒れた。


「ただ、心臓近くに針が刺せれば、それで良かったんだ」

「ま、まさか……、貴様……」

 身体を痙攣させながら、イミオンはムルを見上げる。こんな時でも、彼は淡々と言葉を紡いだ。

 何でもない事であるように。


「毒があるんだ。

 水の蜂、それは見たこともないお伽噺の種族、だった。しかし目の前に立つのは、一匹の蜂。そう表現せざるを得ない生物に見えた。


「死ぬようなものじゃ、ないけど」

 ムルの声が最後までイミオンに届いていたかは、分からなかった。

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