第7話 異変

 焼けるほどの光を感じて、ティナは目を覚ました。

 腕で両目に影を作りながら上半身を起こす。既に日は昇り切っており、日差しがほぼ真上から降り注いでいた。うっかり寝過してしまったらしい。


 ティナは気怠げな動作で寝台から降りる。着替えて店を手伝わなければと思うが、溜息が出るばかりでなかなか体が動かない。昨夜は寝付けなかったのだから無理もない。

 それでも何とか着替えを済ませたところで、タイミング良く扉が叩かれた。


「ティナちゃん、起きてる!?」

「チャッタさん? ……起きてますけど」

 チャッタの声には余裕がなく、何だか慌てているようだった。不思議に思いながらも、ティナは扉を開けた。

 目の前に立っていた彼は若干息を切らせている。

「ティナちゃん、町の皆が大変なんだ」

「え」

 ティナの心臓が大きく脈打った。


「今朝、急に町の人たちが次々と倒れて……。お医者様の話だと、もしかしたら身体の水が足りなくなってるんじゃないかって。それで、動ける人皆で教会へ水をもらいに行ったんだけど、『水は一滴もない』って」

「そんな、嘘でしょう!? 今までこんなこと一度も――」

 渇いた土地だ。今までも渇きによって体調を崩す人はいたが、それでも教会の水がないなどという事態は、起こったことがなかった。

「とにかく、下に。ムルとアルガンが町を回って様子を見てくれてる。店で待ってよう」

 チャッタに促され、ティナは不安を押し殺し頷いた。




 階段を駆け降りると、二人はすでに戻って来ていたらしい。ティナたちを見ると、素早く駆け寄ってきた。

「ムルさんアルガンさん! それで町の様子は、おじさんたちは?」

「大丈夫、二人は無事だから。部屋にいるよ」

 チャッタが二人の代わりにそう答えた。


 アルガンがフード越しに頭を掻きながら口を開く。

「倒れた人の症状は色々あったけど……やっぱりアレは水が足りなくなって起こる症状だろうな。ちなみに患者は、アンタの読み通りの共通点があった。今のところは命に別状はなさそうだけど」

「教会の周り、水を求める人で大変な騒ぎになってる」

 ムルがいつも通りの淡々とした口調で補足した。


「そうか。じゃあ、間違いないんだね?」

 チャッタは何故か念を押すように強く言葉を発した。二人は大きく頷いて答える。

 ティナはどういうことか分からず、ただチャッタを見つめた。


「ティナちゃん。僕達どうしても気になることがあるから、教会に行って来るね」

「え? 気になることって」

「じゃあ、行って来る」

 チャッタは詳しいことは何も言わず、外へ飛び出して行く。ムルがその後に続き、アルガンも教会は嫌いだなどと言いながらも後を追う。


 自分もじっとしてなどいられない。

 ティナは慌てて彼らを引き止めた。

「待って下さい! 私も何が起こったか知りたいんです。一緒に行きます」

「でも……」

「お願いします! 町のみんなが心配なんです」

 チャッタはしばらく躊躇する素振りを見せていたが、ティナの瞳を見つめる内、やがて大きく頷いた。



 通りを走っていると、その異様な雰囲気がはっきりと感じられた。町全体が不安で包まれ、重い空気が満ちている。

 通りを行く人は、何とかする方法はないかとあてもなく徘徊しているようだ。手当たり次第に家を訪ね、水がないか必死で聞いて回っている人もいる。ティナたちと同じように教会へ向かう人も大勢いる。

 皆、必死の形相だ。彼女の不安は募っていく。



 やがて、教会前の広場に到着した。

 そこはムルの話通り大変な騒ぎで、水を求める人々が入口に押し寄せ、あちこちで罵声や悲鳴じみた声が飛び交っている。

「早く水を出せ! 俺の子供を殺す気か!?」

「そんなことを言われても、ないものはないんです」

「嘘! そんなわけないじゃない!」

「そうだ! イミオン様はいらっしゃらないのか!? またお力をお借りすれば……」

「イミオン様は今朝早くここを発たれました!」

 人が溢れたこの状況では、建物に近づくことさえ容易ではない。ティナたちは人波を掻き分け、何とか神官達の前へ辿り着く。

「あの、水がないって、具体的にはどんな状況なんですか?」

 ティナが息を切らせながら、そう尋ねた。

 教会の神官たちは、総出で殺到してくる人々を押さえていたが、ティナを見てホッとしたような表情を浮かべる。

 ようやく冷静な人が来てくれた、と言った所だろう。


「朝起きて、水を溜めている場所を確認した時には、もう水が一滴もなかったんです。かなりの量なので、そう簡単に運び出せるようなものではないはずなのですが。いやいや、別に我々の警備が甘かったとかではなくてですね。きっとあの」

 混乱しているのか、言い訳のつもりなのか、神官の口数はやけに多い。まだ話を続けようとする彼を、チャッタが慌てて遮った。

「あ、あの! すみませんが良かったら、そこを見せていただけませんか?」

 そして神官に向かって、綺麗な微笑みを向ける。

 すると若い彼は一瞬絶句し、

「はい、どうぞ! それで納得なさるなら」

 チャッタの申し出に、驚くほどあっさり頷いた。

 よほどこの状況から逃げ出したいのか、それとも彼の容姿の効果か。

 ティナは半ば呆れながらも、一人の神官に先導されチャッタ達と共に教会の中へ入った。



「確かに、一滴もないね」

 案内された場所に行くと、そこには教会前の広場ほどもある巨大ながあった。磨き上げた石で作られ、水が満たされていればさぞ壮観な眺めだっただろう。

 しかし、そこは今すっかり渇き切っている。


「アルガン、どうかな?」

「えー、嫌な感じしかしないけど」

 チャッタはアルガンと何やら話をしている。

 ムルは窪みの縁に触れていた。


 しばらく周囲を見回していたチャッタは、真剣な表情で神官にこう尋ねた。

「ところで、この町にオアシスなどがあったと言う記録は?」

「オアシス!? いやいや、そんなものがあるのはもっと大きな町だけですよ! この町の水は全て国から運ばれてくる物だけです。ほら、あなた方も知っているでしょう? 魔術を使って、水をこう小さくして……」

「ああ、そこは分かりますので大丈夫です」

 チャッタは神官の話を遮り、何やら考え込んでいる。ティナはチャッタがなぜそんな質問をしたのか分からず、首を傾げた。


「ねえ、本当だったでしょう? すみませんが、それを表の方々にも言い聞かせて下さいよお」

 神官は質問の意味などどうでも良いのか、へらりと笑ってそう言った。どうも情けない。ティナはほんの少し苛立ちを覚えた。


「チャッタ」

 簡潔にその名を呼んだのは、ずっと無言だったムルだ。彼はチャッタが振り返るまで、足下にじっと視線を注いでいる。

「ああ、ムル。何?」

「ここ。ここだけ、おかしい」

 ムルは床を指差している。

 指し示されたそこを三人は注視するが、特に変わった様子はない。

「どこが?」

 三人がムルの下へ近づく。するとムルはその場にしゃがみ込み、床の一部にそっと触れた。

「ここだけ、床の感触が違う」

 その時、カチッという怪しい音が耳に入った。

「え?」

 不吉な音に次いで、床が縦に振動し始めた。いや、建物全体が震えている。ティナはバランスを崩し、たたらを踏む。

 慌てたチャッタ達も、その場から数歩踏み出した。


「――ん?」

「あれ?」

 途端、振動が収まって、代わりに妙な浮遊感に襲われた。背すじに冷たい汗が這う。

 そして、視線を下げた彼女達が目にしたのは、足下にぽっかりと空いた穴だった。

「っ!? 床が抜け」

「ヤバッ、落ちるぞ!!」

 四人は抗う術もなく、その穴に吸い込まれていった。



 堪らずティナは絶叫した。穴は思っていたよりもずっと深く、永遠に落ち続けている気すらする。真っ直ぐ下へと落ちるのではなく、次第に角度がついて背中や臀部で滑るように落下して行く。

 先はまだ暗く、どうなっているかも分からない。

 ティナは不安定だったその身体を、誰かに右側から抱えられた。

 チャッタである。

 彼は安心させる様に、ティナに柔らかく微笑みかけた。


 僅かばかり彼女が安心した、その時、

「あ」

 後ろで短く声を発したのは、ムルだった。次いで、ガコンと何かが外れたような音が聞こえてくる。


「おいっ! 今ムルがどっか行ったんだけど!?」

「嘘だろう、この状況で!?」

 チャッタが片手で髪を押さえて背後を振り返る。こんな時でもマントのフードを押さえていたアルガンは、前方を指差して叫んだ。

「バカッ! 今はいい、それより、着地に集中しろ!!」

 光が見える。どうやら下に着くようだ。

「ティナちゃん! しっかり捕まっててね」

 チャッタの声を聞きながら、ティナは両目を固く閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る