第5話 襲撃ー1

 町中の灯りが消えた夜中、ティナはふと目を覚ました。まだ覚醒しきっていない頭で部屋を見回す。僅かな灯りを捉え、そこで目を止めた。

 開け放たれた窓、そこから差し込む月明かりを背負って誰かが室内に立っていた。全身黒い衣装を身に纏い、性別すら定かではない。

 彼女は驚き身を起こした。


 黒ずくめは足音も立てずにティナに近づくと、くぐもった低い声を発する。

「騒ぐな。お前の、ペンダントを渡せ」

「な……何で、これを」

 何故ペンダントが出てくるのだろう。思わず疑問の言葉が口に出る。

「いいから大人しく寄越せ。痛い目を見たくなかったら、な」

 そう言うと懐に片手を突っ込み、そこにある物を彼女にちらつかせてみせた。鋭利な光を帯びた刃。


 ティナは息を呑むと、胸のペンダントを両手でしっかりと握りしめた。奥歯を噛みぐっと押し黙る。

 黒ずくめは苛立ちを隠そうともせず小声で叫んだ。

「……早くしろと、言っているっ!」

 叫ぶなり懐から刃を抜き放った。月明かりを反射して、それが彼女に向けて振り下ろされる。

「――っ」

 声にならない悲鳴を上げ、ティナは両目を強くとじた。


 その時、窓の外から勢いよく、が彼女と侵入者の間を割って飛び込んできた。

「にゅっ!」

「え……?」

「な、なんだ!?」

 続いて聞こえた奇声は、聞き覚えのあるものだった。黒ずくめも思わず短剣を振り上げたまま、動きを止めている。


 ティナが奇声の方に視線を向けると、そこには見覚えのあるがいた。

「あ、あの時の」

 それは何かを探すように、彼女の部屋の中をポンポンと跳ね回っている。

 ティナは思わず、毛玉を目で追った。


 やがて、一通り探索を終えたらしいそれは、

「チッ」

 舌打ちらしき音を発した。そもそも口がどこにあるのか、と言う話だが。

 そして再び窓に向かって大きく跳び、そのまま外へ出ていった。

 月夜の町にあの奇声が響き、消えていく。


 ティナと黒ずくめは、無言で毛玉が消えた窓を眺めた。



「あれー。おじさん、こんな夜更けに女の子の部屋に入るなんて、どんな神経してんの? あ、おばさんだったらごめんね。それにしたって非常識なのは変わりないけど」

「アルガンさん!?」

 その沈黙を破ったのは、のんびりとした少年の声。

 右肘を扉の枠にもたれさせ、アルガンがそこに立っていた。いつの間に部屋の扉を開けたのだろう。毛玉に気を取られていたとは言え、何の音もしなかったはずだ。

 黒ずくめが気配を尖らせ、アルガンを睨む。


 暗闇とマントのフードでアルガンの表情はほとんど見えないが、隙間から覗く口元は不満げに尖っていた。


「こっちはさぁ、満腹で気持ちよーく寝てたわけ。どうしてくれんだよ。俺の安眠妨害じゃん」

「黙れ! 何をふざけた事を……」

 黒ずくめはその態度に苛立った声を上げ、短剣を彼に向ける。

 すると初めて、アルガンの口元が三日月のように弧を描いた。

「えー、アンタあんまり頭良くないでしょ? 短気だし、刺客向いてないんじゃない?」

「何っ!?」

 アルガンは一瞬でティナと黒ずくめの間に入った。

「ほら、今だってそう。俺と話をしている暇があったら、さっさとコイツを人質にでもしちゃえば良かったのにー」

 ティナからその表情は見えなくなったが、愉快そうにクスクスと笑う声だけが聞こえてくる。

「相手してあげても良いよ。腹ごなしにもならないけど」

 黒ずくめはたちまち殺気を膨れ上がらせ、アルガンに向かって飛びかかった。



 その刃がアルガンに届く直前。

 バタバタと廊下を駆ける音と共に、ティナの部屋へ何者かが飛び込んでくる。

「ティナちゃん、大丈夫!?」

「チャッタさん!?」

 異変に気がついて、駆けつけてくれたのだろう。


 彼は部屋にいた黒ずくめとアルガンを一瞥するなり、侵入者に向けて何かを構えた。直後、高い金属音がして黒ずくめの手から短剣が零れ落ちる。

「――残念なお知らせだけど、後からもう一人駆けつけて来るんだ。どうする?」

 黒ずくめは腕をもう片方の手で掴み、顔を歪めた。部屋の壁には銀色に光る細い矢が刺さっている。

 黒ずくめは素早く身を翻し、窓から逃亡した。





 チャッタは一瞬窓際へ行きかけたが、足を止めティナとアルガンに向き直る。

「ティナちゃん、大丈夫だった?」

「……は、はい」

 ティナはその言葉に、漸く体の力を抜くことができた。見上げた彼の手には、両手に収まるサイズのクロスボウと呼ばれる武器が握られている。

 壁に刺さっていたのは、ここから撃たれた矢なのだろう。


「あ、あれ……」

 今さらながら身体が震えてきた。そんな彼女を気遣って、チャッタが優しく肩を叩いてくれる。

 ティナは深呼吸をして気を落ち着かせると、改めて彼に頭を下げた。

「本当にありがとうございます、チャッタさん。あの、アルガンさんもありがとうございます」

「チャッタ、余計な事すんなよ! 折角俺がやっつけてやろうと思ったのにさ!」

 アルガンはチャッタに詰め寄り、不貞腐れた様に口を尖らせた。

「君が暴れたらこの家——いや、この町が危ないだろう? そういう意味でも間に合って良かった」

 町すら危ないとは、どれほどまでに暴れる予定だったのだろう。

 少し想像して、ティナは口元を引き攣らせた。


「でも本当に、ありがとうございました。お二人が気づいて下さらなかったら、私は……。やっぱり旅をしている方は、凄いんですね」

「あー、別にぃ。野暮用があっただけだしね」

 アルガンは寧ろ迷惑と言わんばかりの表情で、片手を振った。


 何故かチャッタは、少し気まずそうに頬を掻く。

「いや、こう言っては何だけど、アルガンと違って僕は運が良かったと言うか。僕、昼間イミオンさんに質問できなかったことが、今さらながら気になって気になって調子悪くなっちゃって。気分転換しようと外に出た所で、窓から怪しい奴が入っていくのを目撃して慌てて中に――う、思い出したらまた気分が悪くなってきた……」

 彼は青白い顔をして口元を押さえた。


「それを正直に言っちゃう所が駄目なんだよな、アンタは」

 唖然とするティナの代わりに、アルガンが白い目をしてそう言った。


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