第3話 神官と魔術
「とにかくムル。君の探している大切な物を教えてくれるかな? 何だか僕には少し嫌な予感がしているんだけど」
チャッタの問いに、ムルが口を開いた時だった。
「おい、聞いたか? 中央から高名な神官様がいらっしゃっているらしいぞ」
「ああ、『水の蜂』って呼ばれている方の一人だろう? どうやら魔術の力で病を治して下さるそうだ」
「ティナちゃん、ムル、アルガン! 今すぐ教会へ向かうよ!」
「ええっ!?」
「は? 嫌だよ、何でだよ?」
ティナは驚きの声を上げ、アルガンは口の端を歪めて不満を口にする。話の腰を折られたムルも、表情は変わらないが何処となく不満そうに見えた。
「いや、だって神官様だよ!? 水の蜂の貴重な情報が得られるかもしれないじゃないか。ムルもほら、人が多い所の方が探し物の情報も集まるし!」
「分かった」
驚くことに、それでムルは納得してしまったらしい。ティナは最早声も出ず、アルガンは益々顔を歪めた。
「とにかく、俺は行かないからな! 俺、教会とか神官とか大嫌いだし!」
「ちょ、ちょっとアルガンさん。声が大きい……」
「——ああ、そうだよね」
アルガンに注意しようとしていたティナは、チャッタの言葉に驚き振り返った。
「え、あの、良いんですか?」
チャッタは曖昧な表情で微笑んでいる。何処となく、気まずそうにも見えた。
「でもあんまりフラフラしちゃダメだからね。なるべくここ、もしくは分かりやすい場所で待っててよ」
「はいはい。分かってるよ」
アルガンは早くもティナ達に背を向け、片手を上げた。
それを慌ててティナは引き止める。
「あの! それでしたら、私の叔父がやってる店があるので、そこで待っていて下さい! 料理を出す店は少ないですし、入り口に色とりどりの布が掛かっているのですぐ分かると思います」
「そっか、ティナちゃん。助かるよ」
すぐフラフラするんだから、とチャッタは独り言の様に呟く。
アルガンは首だけで振り返ると、少し思案した後で唇を意地が悪そうに歪めた。
「じゃあ、アンタの名前でせいぜいご馳走させて貰うよ」
そう言うと、唖然とするティナから逃げる様に走り去る。マントの裾を翻し、あっという間にその姿は小さくなった。
とんでもない瞬足、いや逃げ足である。
「ちゃ、ちゃんとお金は払って下さいね!」
聞こえないとは分かっていながら、ティナはそう声を張り上げた。
結局本来の目的通り、チャッタを教会へ案内することになったのだが。
ティナは背後をちらりと振り返り、同時に深々と溜息をついた。
「あの……」
「うん。言いたい事は分かるけど、よくある事だから気にしないでくれると嬉しいな」
彼女の後ろには、チャッタの真横をピタリとついて歩くムルの姿。まるで母に手を引かれる幼子のようだ。
掴んでいるのは手ではなく、チャッタの髪の毛だが。
「あのさ、ムル——まあ良いか。その内、気が済むよ。多分」
チャッタは乾いた笑い声を上げ、前を向いた。何だか、普段の関係性が見えるようだ。以前とは別の意味で通行人の注目を集めている。
ティナはこっそりと二人から距離を取った。
そこでようやく目的地が見えてきて、彼女は少しホッとして声を上げた。
「あ、二人とも! あそこが教会です」
周囲の砂の色から浮き出た真っ白な建造物。高く伸びた四本の太い柱が建物全体を支えており、天井には半円上の屋根が乗っていた。ここがこの町の教会だ。
「こう言ってしまうと失礼だけど、町の規模にしては大きな教会だね」
チャッタが教会を見上げ、そう感想を漏らす。
「そうですね。この町の半分……と言うと大袈裟ですが、それくらいの大きさはあると思います」
この国では水の神を信仰しており、その教会は至る所で見られる。近隣の町の中でも、この町の教会はそれなりの規模だったはずだ。
普段はもう少し閑散としているのだが、現在教会前の広場は多くの人でごった返している。恐らく、通行人が話していた、高名な神官様を一目見ようと言う事なのだろう。
ティナ達が教会に近づいて行くと、人だかりから一際目立つ声が響く。
「イミオン様がいらっしゃったぞ!」
大きな歓声が上がる。それと同時に教会の内部から、精悍な顔つきの一人の青年が姿を現した。
歳はチャッタよりも少し上、くらいだろうか。清廉な白の装束に身を包んでいる。それは遠目からでも柔らかく、上質な生地で縫われていることが分かった。胸元と足の一部には、金の糸で荘厳な刺しゅうが施されている。
彼は両隣をこの町の神官に守られ、堂々とした足取りで群衆のいる広場へ現れた。左右の耳には大振りの宝石が二つ、煌びやかに揺れている。
「うわーすごい人気だね」
チャッタが感心したような、呆れたような声を上げた。
「イミオン様は魔術に通じておられるそうだ!」
魔術。
誰かが発したその声に、チャッタは形の良い眉を動かす。
イミオンは穏やかな表情で群衆に手を振っていた。そこでふと、一人の男性に目を止め近寄って行く。初老の男性だが妙に顔色が悪い。
イミオンは彼と少し会話を交わすと、懐から針の様なものを取り出した。
「針だ」
声量は小さいが、チャッタが興奮した声を上げる。
群衆が見守る中、イミオンはその針を男性の腕に突き刺した。
すると不健康そうだった土色の肌が、一瞬で明るさを取り戻す。覇気のなかった表情もいきいきと輝き始める。まるで別人のようだ。
群衆から一際大きな歓声が上がる。
「さすが、水の蜂! 癒しの力を持つ奇跡のお方だ」
チャッタの瞳が一瞬、訝しげにすっと細められた。
しかし次の瞬間、彼は興奮した様子で頭を抱えて叫ぶ。
「ああ、もう! うん、ちょっと我慢できないから、僕あの人に訊いてくる!」
「え、訊いてくるって何をですか!?」
勢い込んで走り出そうとしたチャッタを、ティナは慌てて引き止める。彼はこちらを振り向きもせずに言った。
「決まってるでしょ、あの人が水の蜂について何か知らないか訊くんだよ。いや、もしかすると彼は水の蜂そのものである可能性もあるよね。治癒能力も水の蜂の特徴だから!」
「何言ってるんですか!? 何百年も前に滅びたって言われていた種族が、こんな簡単に見つかったらびっくりですよ! ——ほら、ムルさんも、いつまでもチャッタさんの髪の毛を掴んでないで、何か言って下さい!」
今までずっとチャッタに張り付いていたムルに、ティナは声をかける。
ムルはチャッタの髪からパッと手を離した。あれほど頑なに離そうとしなかったのに。
「あっ」
その隙にチャッタはイミオンの下へ駆けて行く。
事の唐突さにティナは一瞬動きを止め、
「な、何で手を離しちゃったんですか!?」
平然と立っているムルを問い詰めた。
「『いつまでも掴んでないで』って、言ったから」
「変な所で素直にならないで下さい」
ティナはチャッタが高名な神官に何か失礼なことをしないかと、視線を向けた。
「すみません、質問があるのですが」
彼は人々を治療しているイミオンの傍へ行く。跪いていたイミオンは、立ち上がってチャッタに微笑みかけた。
しかしチャッタが口を開く前に、彼以外の何者かが、徐にイミオンへと接近する。自然でさりげない雰囲気で、護衛の神官にも気づかれていない。
「あ、え、ムルさん!?」
何者かの正体は、ムルであった。
「……何ですか?」
イミオンが訝しげな目をして、ムルにそう問いかけた。彼は相変わらずの無表情で、イミオンを凝視している。いや、彼が視線を送っているのは、イミオンの顔ではない。
それよりもう少し上の方、
「まさか……」
ティナの頭にある考えが浮かんだ瞬間、ムルはその考えの通りに行動した。
つま先立ちをすると、何の予告も了承も得ず、イミオンの髪をわしゃりと撫でたのだ。
「なっ!?」
群衆に衝撃が走った。空気すら音を立て固まったような気がする。
しかし何故か、最も衝撃を受けていたのは他ならぬムルであった。少し後ろに後退り、右手を小刻みに震わせている。
「硬い……」
どうやら髪質が固く、お気に召さなかったらしい。イミオンは、額を出すように前髪を後ろにかき上げて固めている。その所為なのかどうなのか。
ムルの不可解な行動と言動に、イミオンは笑顔を引きつらせた。
「ムッムルさん! 失礼でしょ!?」
ティナはいち早く我に返ると、血相を変えてムルに近寄った。
彼の腕を掴んでイミオンに深々と頭を下げる。これではまるで、保護者ではないか。いや、ひょっとすると、すでにそうなのかもしれない。
「いや、ハハハ……変わった方ですね」
「ほぼ初対面ですけど、そう思います」
乾いた笑い声を上げたイミオンに、もう一度頭を下げながら彼女はしみじみと頷いた。
そして今だ、とチャッタの腕もしっかりと掴む。
「では、失礼致しました!」
「えええ!? あの、ちょっとティナちゃん。僕の用事は!?」
二人の腕を引っ張って、ティナは広場から逃げる様に立ち去った。
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