悪夢を誘う訪問者【1】




 昼の民であるこの村の人々は、日が沈むと同時に眠りに就いた。

 宿屋の酒場をはじめ、村全体が静けさに包まれたように感じる。

 けれど早過ぎるのではないかという時刻に夕食をとり、部屋に戻っていた旅人――クロウは、眠りに就くことはなかった。

 おりてきた夜の帳に、日中決して脱ぐことのなかったマントの留め具を外し、ゆっくりとそれを脱ぎ捨てる。

 軽くなった身を確かめるように伸びをしてベットに倒れ込むと、日の香りのするシーツに漆黒の髪が映えた。

 これから一仕事しなくてはならない。だが、旅で疲れた体を休ませるには横になるのが一番いい。

 そして何より。

 夜の民であるクロウには夜を迎えるこの瞬間が最も心地良かった。自然と抜けてきた力に、昼間は意識のうちに緊張していたのだな、と自嘲気味に笑みが浮かんだ。




◇◇◇



 孤児院に帰り着き、部屋で休んでいたカイは、ラオと共に夕食の席についた。

 食卓に並んだのはいつもと同じようにパンと野菜のスープ、そしてもう一品――珍しくもスパイスにきいた魚の煮付け。現在この孤児院にはカイとラオを入れても、五人の子供しかしないが、育ち盛りの子供を抱えた孤児院では限られた食費で遣り繰りするのは大変難しい。だからタンパク源としては大豆などの豆類が多く用いられるのだが、今日は一ヶ月に一度あるかないかの魚料理――子供達は思わず歓声をあげた。

 カイも嬉しい驚きに顔をほころばせながら隣に座るラオを見やる。ラオはカイと目が合うとウインクをした。


「今日、カイが暑さで倒れたことをファトに報告したんだよ。そしたら、この通りさ――精を付けろってことだね」


 カイは自分をだしに使われたことに、ほんの少しの反感を覚えたが、目の前の料理にそんな思いはすぐに吹っ飛ばされる。自然と口の中には唾液が溜まってきていた。カイはその唾をごくりと飲み込むと、夢中で料理に食いついた。料理はあっという間に子供達の腹に納まっていった。


 そして人間誰しも腹が満たされれば眠くなる。

 ちょうど、日が地平線へと沈む頃、食器の後片付けまできちんと終えて、カイを含む子供達は床に就いた。



 昨夜の少女ともう一度会いたいと願ったからか、再びカイは夢を見た。

 夢の中、カイは再び遺跡に佇んでいたのである。

 だがあの少女の姿はなく、しかも昼間の遺跡でもない。昼の民であるカイは実物を目にしたことはなかったが、書物でなら伝え聞いている。

 カイの頭上に浮かぶもの――月。

 甘く、優しくも、どこか悲しい光を放つ存在。

 夜の闇に対する恐怖も忘れ、カイは月に心惹かれた。

 それは――

 恋心に近いかもしれない。

 その心を証明するように、不思議と少女に会えない悲しみはなく、月を見て、少女がそこにいるような感覚に襲われる。

 カイは暫しの間、月と見詰め合っていた。

 静かな逢瀬。

 言葉を交わすことはなくても、カイは満たされていた。

 頭上に浮かぶあの儚い存在が、自分の求めていた存在――自分の半身、だとさえ思われた。

 と、その時。

 ガサガサガサ、と茂みの揺れる音がした。

 カイは後ろ髪を引かれながらも月から目を離し、静かな逢瀬を邪魔する存在へと目を向ける。

 茂みから飛び出してきたのは、一人の男だった。

 月の光の下、黒髪がより深い輝きを放ち、日に焼かれていない白い肌は不健康だとさえ思えるほど青白く見えた。

 自らの存在を見咎められた男は、驚いたように目を丸くする。

 カイはその目に見覚えがあった。

 その目は――昼間自分を助けてくれた旅人のものだ。


「…………」

「お前には、私が見えているのか?」


 カイが事実に気付き男をじっと見ていると、男は腕を掴みカイに詰め寄った。

 掴まれた部分が痛い。

 カイは男の手を振り払おうとしたが、子供であるカイが成人男性の力に敵うはずもない。カイは早々に諦めると、男の問いにコクリと頷いた。

 男は、信じられない、と眉間に皺を寄せたが、カイは男の問い自体に眉を顰めたかった。いや、実際眉間に皺を寄せていたのだろう――カイの表情に、男はすまなかったと腕を放した。


「お前には私が見えるのか、ってどういうことですか?」

 

 男に掴まれていた部分を擦りながら、我慢出来ずに、今度はカイが問い掛けた。


「お前には関係ない」


 男はその質問を突っぱねる。それでも負けじとカイは追い討ちを掛けた。


「でも、ここは俺の夢でしょ?あなたは俺の夢で何をしているの?」


 男は息を呑んだ。

 けれど――


「それを話すことは出来ない。だが、一つだけ忠告しておこう。早く目覚めることだ――悪夢を見たくないなら、な……」


 忠告を残し、あたかも今までそこに存在していたのが嘘であるかのように、男は忽然と姿を消した。 否、男はその場から消えたのではない――カイの意識が夢から引き上げられたのだ。

 カイは、ぼーっとする頭で天井を見詰めた。

 カーテンの隙間から外が見えたが、まだ暗い。夜明けの時刻ではないようだ。今まで一度として夜明け前――夜中といえる時刻に目覚めたことのないカイは居心地の悪さに身震いをする。同時に、妙に喉の渇きを感じた。夕食に食べた魚料理のスパイスのせいだろう。そう結論付けると、喉の渇きがより顕著に意識されて、カイはベッドの上で身を起こした。


「水……」


 暗闇に続く部屋の出入り口を見詰め、どうしたものか、と思案するが、どうにも喉の渇きは収まらない。

 そこで、ひたり――と、素足を床に下ろす。

 ひんやりとした感触に目が覚めてきた。日中との温度差から寒いとさえ感じる空気に、ベッドから毛布を引き抜くとそれで体を包み、カイは階段を下りていった。

 そして下りて行った先。

 カイは、微かに耳に届いた呻き声に足を止めた。

 呻き声は、台所と廊下を挟んだ向かい側、ファトの書斎兼寝室から聞こえてくる。ファトの私室に入ることは許されていないが、カイは僅かな好奇心とファトを心配する気持ちから、恐る恐るドアノブへと手を掛けた。


「ファト?」


 そっとドアを開けると、はっきりとした呻き声が聞こえて、カイはびくんっと肩を震わせた。


 それでもドアからではファトの様子を確認することは出来ず、ゆっくりと部屋の奥――ファトのベッドへと歩み寄る。


「ひ、ぃ」


 そして。

 カイは声にならない悲鳴をあげた。

 そこで目にしたものは、恐ろしいほど顔を歪め、胸元を押さえ身悶えるファトの姿だった。


 

 早く目覚めることだ。悪夢を見たくないなら、な。



 夢の中、男が言った言葉が脳裏を過ぎった。


「悪夢……」


 いつも穏やかで、笑顔を絶やさなかったファトが、苦しみに顔を歪める姿に、カイは純粋に恐怖を覚えた。出来ることならこの場からすぐにでも逃げ出したかった。しかし、ファトが苦しんでいるのを放っておくことは出来ない。カイは、勇気を振り絞ると、仲間に助けを呼ぶべく階段を駆け上がる。


「ファトが!ファトが大変なんだ!」


 けれど、辿り着いた先で耳に届いたのは、またも――呻き声。部屋という部屋からそれは響いている。

 嫌だ、嫌だ、

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い――。

 カイは呻き声が聞こえないように耳を押さえた。

 それでも耳について離れない呻き声から逃れたい一心で、カイは自室に駆け込み、頭からすっぽりと布団を被る。

 目を瞑れば、魘されているファトの姿が思い出されて、再び眠りに就くことも出来ない。


 カイは、恐怖に震え、

 眠れないまま――夜を、過ごした。

 

 そして翌朝。

 ほとんど眠ることなく夜を明かしたカイは、カーテンの隙間から太陽の光が射してくると同時に、気だるい体を布団から起こした。

 やっと迎えた朝が心地よくて、カーテンを開け放ち、全身に朝日を浴びる。優しく全身を包む太陽の光が昨夜の恐怖を忘れさせてくれるような気がした。


「カイ、おはよう……」


 ドアの向こうに現れた気配に目を向けると、ドアが開く。少しやつれた感じのラオが顔を覗かせた。

 ラオの顔を見た刹那――

 昨夜の呻き声がフィラッシュバックして、カイはあからさまに顔を逸らした。

 ラオはカイに反応に顔を顰める。


「何だよ、カイ。どうかしたのか?」

「何でもない……」


 平静を装って答えたカイに、ラオは尚も怪訝そうな顔をしていたが、溜め息を吐くと、カイに歩み寄り、抱きしめた。

 その存在を確かめるように。


「ん、な、何するんだよ!」


 カイはいきなりのことに耳まで真っ赤に染めて狼狽した。

 自分とラオとの体の隙間に腕を入れ押し返そうとするが、ラオは力を強めるばかりで決して放そうとはしない。


「ごめん。でも……もう少しこのままで居させて……」


 背丈はあまり変わらないため、ラオが顔の横でポツリと呟いた呟きを、カイははっきりと聞いた。


「ほんと、どうしたんだよ……。何かあったのか?」


 動きのとり辛い体を、つい、と首だけ傾けてラオに目を向ける。冷静になってくると、ラオの体が震えていることに気がついた。


「……怖い……夢を見たんだ。お前も、ファトも孤児院の皆も、誰も居なくて……俺……一人ぼっちで……」


 孤児である自分達は、家族のいない悲しみを十分過ぎるほど理解している。

 そして、一人になることをとても恐れている。


「悪夢――か」


 ラオの背を、大丈夫だ、と擦ってやりながら、カイは無意識に呟いていた。

 自分がもしあのまま眠りの中にいたならば、悪夢を見たのだろうか。

 それは考えても仕方がないことだ。

 それ以上に考えなければならないことがあるのだから。

 自分に忠告をしたあの男。

 あの男のおかげで、悪夢を見ずに済んだ。

 そう、あの男のおかげで……。


 あの男、あの旅人はいったい何者なのだろう。


 男の顔を思い出し、カイは、心の中で呟いた。



◇◇◇



「太陽の瞳」

 カーテンを締め切り、光一つ入らない暗闇の中、クロウはおもむろに呟く。

 昨夜夢の中を駆けすぎたため、少し喋っただけでも体の節々が痛む。その痛みを少しでも和らげようと体の力を抜く。最近、昼夜逆転の生活を送っていたため疲れの溜まる体では、これ以上昼間に起きていることは無理そうだ。

 自然と湧き起ってくる睡魔に身を任せ、ゆっくりと目を瞑る。

 すると。

 脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。


 あなたは俺の夢で何をしているの?


 少年は確かに自分を見つめ、そう言った。夢を駆ける夢魔の姿は、夢の主には見えないにも拘らず。

 だから、か―――その少年に興味が湧いた。

 否、それ以前に、少年が自分の大切な人に、どこか似ていたからかもしれない。

 自分は、その少年を助けてしまった。

 自分の使命は、太陽の瞳を見つけ出すこと。

 ただ。

 それだけ。

 だから―――

 少年がクロウに興味を示し動き難くなるのはまっぴらごめんだ。




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